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充実した日々

U-FILE CAMP

仕事を終えて帰ると急いでシャワーを浴びて練習着に着替える。
作業着は洗濯機で回しておく。
現場さえ近ければ19時のクラスにはギリギリ間に合った。
初めて出たのはストライキングクラス。当時はジムが溢れるくらいの参加人数だった。

俺はプロ選手を目指している訳ではない。
ただ長年の格闘技ファンで、リングスが大好きで腕っ節に自信はあるけど圧倒的な敗北を味わいたくてここにいる。

新参者の俺が周りを見渡すとそんなに皆が強そうでは無い事に気付く。
あれ?と思ってるとクラス開始時間に田村さんが現れた。
黒いリングスのウィンドブレーカーを上下着ていたのだが直接教えてくれると知って感動した。

クラスは最初、縄跳びから始まるのだが縄跳びは重いタイロープだった。空手の時にはやった事が無いので俺にとってはとても難しかった。
しかし先頭にいる人は3分をほぼ片足で笑いながら飛び続けていた。
俺は何度も引っかかる。
続けてパンチや蹴りのフォームの練習が始まった。
キックボクシングのスタイルだったのでフルコン空手と違って顔面パンチがある。
田村さんに「左手を真っ直ぐ上げて右手はマイクを持つように構えて」と教えられる。
それからペアを組んでミットを行う。
その日の参加人数は奇数だったが何故か真ん中ぐらいにいた俺のペアがいない。

シャドーしている時に思ったのだが縄跳び以降は俺が少し目立ってしまうくらい他の人より出来てしまっていた。
俺とペアになるはずの人は俺のシャドーを見て、俺とは組みたく無いと避けたのだった。
上山さんがサポートで入っていたので俺のミットを持ってくれる事になりフニャフニャのビニールのミットを構えてくれた。
このミットで大丈夫なのかな?と思ったけど上山さんはプロの選手なので遠慮なく100%のミドルをぶち込んだ。

ジムに衝撃音が響き渡った瞬間、上山さんはこれじゃ駄目だと奥からローキック用の厚いミットを持って来て取り替えた。
何発か蹴ってると田村さんが来て「何かやってたの?」と聞いてきた。「5年も前ですが極真をやってました」と俺は答える。
田村さんは凄いねと褒めてくれた。
何年も格闘技から離れていたが仕事はフルパワーで働き、体はがっちりしながらも絞れていた。
たまには走っていたし夜中はシャドーしたりもしていたので肉体的なブランクはそれほどなかった。

田村さんに名前を聞かれ「長南と言います」と答えると珍しい苗字だねと言われ、田村さんはフ〜ンと考えた後に「チョウ君」と誰からも呼ばれた事のない呼び方で俺を呼び出した。
長君は微妙だったけどテレビで見ていたリングスのエースに名前を覚えて貰えた事、俺の蹴りを誉めて貰えた事がとても嬉しかった。
K工務店の空っぽだった俺が、今はこんなに素晴らしい経験をしている。
何もなくて死にたいとさえ思っていた俺だったのに…その夜帰宅すると母親に電話で「産んでくれてありがとう」と伝えた。
自分勝手な話ではあるが母もとても喜んでいた。

翌日はグラップリングの日だった。
高校でちょっとだけやった柔道は遊びみたいなものなのでバックボーンとは言えずグラップリングに関しては素人だった。
最初に組んだのは小柄で沖縄出身のアラと言う男だった。
アラは格闘技をやる為に上京して近くのパチンコ屋で働き寮住まいしているそうだ。
最初にやったのは低空の両足タックルだった。
アラが教えてくれたのだが、途中で見ていた田村さんが、こうやるんだよと俺に向かってタックルを入ってくれた。
タックルはとても速く受けた時に田村さんの体を触ると筋肉の塊だった。
この筋肉でそのスピード。当時の俺は身長は今と変わらないものの体重は75kgくらいだった。
田村さんは90kgくらいあったのだろうか?
その体が羨ましく増量したいと当時は思って必死に食べた。
食べる物の内容も良くなかったのだが現場仕事でフルに働いてから毎日練習するこのパターンでの増量は難しかった。
その後のクラスは中級クラスで当時は試験みたいなのを受けて合格しないと中級は参加出来ないと言うシステムだった。
その日に一緒にパートナーを組んだアラはうちの会社にも山形の奴がいるから、そいつに俺を知っているか聞いてみると言ったので、山形って言っても広いから俺の事なんて知らないと思うよと俺は答えた。

仕事は日曜休みだったが日曜は沢山練習してジムが休みの月曜は仕事だけをやった。
プロになれるとは思ってもいないし誰に頼まれている訳でもないがジムは毎日通った。

初級の面々

祖母の家に置かせてもらっていたGSX-Rだが実はジョニーズのヒデカズさんが再びセッティングをしてくれて復活して俺の親父が地元の庄内平野を乗り回していた。
俺の代わりに海岸線を走り回って楽しんでいたようだ。
ただ立ちコケしたり俺のグローブを盗まれたりこのままでは駄目だと思い友人の結婚式で帰った際にGSX-Rも住んでいる川崎まで乗って来た。
紫メタサンダーはやめて単色でブルーメタリックにに塗装して貰いシートもノーマルに戻した。
しかし復活したバイクが手元にあっても格闘技を始めるとそっちに夢中でGSX-Rにはほとんど乗らなくなってしまった。

毎日ジムに行くのだが通い始めて翌週くらいの土曜日に初めてグラップリングのスパーをする機会があった。
俺は同じ初級の人と組んだのだがスパーを開始してすぐに、まだ習っていなかった腕十字で相手を極めてしまった。
ほとんどの会員さんより力は俺の方が強いので散々見てきた格闘技を真似してやるだけで形にはなっていたのだ。

上山さんが「凄いね」と言うと、目を輝かせた伸びた坊主頭の小柄だけど骨格のわりとがっちりした男が「次お願いしても良いですか?」と言ってくる。
入ったばかりでお願いされるような立場では無いがスパーは楽しかったのでお願いしますと答えた。

握手からスパーを始めると俺よりも年下のこの男は勢いよく襲いかかってきた。よく解らないけどその荒ぶる動きについていった。
俺がガードで下になると片足を担ごうとしてきたのでそれに合わせて三角締めの体制に入った。
三角の形は知っていたけど細かいことは知らなかった。
とりあえず一生懸命に締めてみた。
見ていた上山さんは初心者の俺の応援をしてくれるかと思いきや相手の方に三角の逃げ方をアドバイスしている。
「何でやねん?」
心の中でそう思いながら俺の見様見真似の三角を逃げたその相手はパスガードし肩固めの体制に入ってきた。
正直苦しくなかったけどどうやって逃げれば良いか解らないのでタップをした。
その後のフリーの時間にその男と続けてスパーをしたのだが、よく解らない動きをしてくるのでまた極められてしまう。
しかし通用しない訳ではなかった。長年の格闘ファンの知識と現場仕事のパワーと勘でやり合えてはいた。

練習が終わるとお互いに自己紹介をした。
その男は西内太志朗と言う名前だった。柔道をやっていた大学生で何ヶ月か俺より先に入会していた。
「またやりましょう」と言ってくれる。
この日は本当に嬉しかった。年下に極められたけど格闘技を好きな奴と思い切りスパーが出来て楽しかった。
太志朗もその日の事を後々語っていたのだが、寝技のバックボーンの無い俺がいきなり強くて驚いたらしい。
その日は見ていた上山さんも驚いていたそうだ。

太志郎もまだ初級だったが、俺はジムで初めての練習仲間が出来た。土曜日はまたやりましょうと待ち合わせるようになった。
太志郎は佐々木さんも強いですよと言う。
佐々木さんとは佐々木恭介と言うちょっと太った男だった。
※現在、佐々木日田丸と言うリングネームでプロレスラーとして活躍
クラスで顔は合わせているけど手を合わせた事はまだなかった。
俺より重いこの男は寝技の動きがとても良かった。
バックボーンの柔道で使っていた寝技を使い、特に腕十字の極めが強くて彼の十字には何度もやられた。

そんな風に柔道経験者達と練習していたのだが土曜のフリーの練習時間に試してみたい技があった。
かつてベーサトやユタと放課後に戦っていた時に使っていたアキレス腱固めである。
グラップリングスパーが始まると誰にも習っていない外掛けから相手の足を絡んで一気にアキレス腱を締めあげた。
「イタタタ」と太志郎も佐々木もタップをする。

上が太志朗、左が佐々木

2人共柔道ベースなので足関はそんなに知らないだろうと思いやってみたらそれがハマった。
腕関を凌げば足関で勝機があった。
そして彼等は俺より圧倒的に打撃が出来なかった。
土曜にグラップリングの後に打撃の練習をすると俺が少し教える感じになった。
打撃の練習を始めた途端に「自分も混ぜてもらっていいですか?」と上のクラスに出ていた若者が声をかけてきた。
一緒に軽いスパーをやると顔面パンチに免疫の無い俺はポカポカと殴られた。
その男の名は小武と言った。
ポカポカ殴られながら顔面パンチは始めたばかりだけどそのうちこいつにやり返そうと思った。

一般の時間には来ていないけど会員最強は別にいると太志朗は言う。
何でもその男は昼間に田村さんや上山さんと練習しているそうだ。
名前は“松田恵理也”と言った。
実は前年に行われたアマチュアリングスで準優勝してその記事を週間ゴングでたまたま見た事があった。
それによってベールに包まれていたU-FILEにもアマチュアで強い選手が育っていると知りU-FILEが俺のジム選びの選択肢に浮上したと言う経緯もあったのだ。
まだまだ気持ちはファンだったから強い人と練習する事が楽しくて仕方なかった。

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