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新たな決意

考える時間

実家に戻るとGSX-Rは祖母の家の車庫にしまった。※見出しの写真はこの半年後に復活したGSX-Rと従兄弟の息子の3兄弟と。

最初のD建設を辞めた時以上に喪失感はあったけど連絡の取れなくなっていた俺に対して周りの皆が優しくて嬉しかった。

思えば半年以上ちゃんと笑っていなかったな。

このまま鶴岡で仕事を探して住んだ方が楽しいし幸せになれるのではないか?
俺は22歳になっていた。

何を間違えたのか?
バイクは動かなくなってるしレース活動もしなかったし空手もしないで働きまくっていただけだった。
働く事は間違いではないけど何を思って上京したのかと自問自答の日々を過ごした。

職人としての技術は身についていたので無駄な時間を過ごしていた訳ではない。
仕事以外で俺に残っているものは強さに対する拘りだけだった。
鶴岡に戻れば飲み屋街は乱世の時代だ。
街でチンピラに絡まれても圧勝出来るし中学校の頃から周りには強い強いと言われ続けてきた。
強さにはある程度の自信があった。

仕事以外の趣味はいろいろあったけど格闘技は別格だった。
本物のプロ格闘家の前では俺なんて虫けらみたいなもので上には上がいる。
鶴岡じゃ強いかも知れないけど本物と俺は戦った事すらない。
そんな奴らは東京にうじゃうじゃにいると思っていた。

中3の頃から読み続けていた格闘技通信だが、ちょうど実家に戻ったくらいに特集で関東各地のジムが紹介されていた。
格通は骨法なんてのが当時は大きく取り上げられたりして胡散臭いと思っていたが、修斗が人気が出てファッション誌に登場する時代となり、俺はどこかのジムに入会して圧倒的な敗北を経験すれば自分が井の中の蛙だったと言う事を確認出来るはず。
もし将来的に地元に引っ込むとすれば、それを経験してからだと思った。

ずっと止まっていた携帯を復活させる為にドコモショップに行った。
止まっている間も基本料金は毎月払っていたのだが状態として強制解約となっていたそうだ。
仕方なく未納分を払い新機種を買って新しい電話番号となった。
古い携帯には松戸で会った先輩達の電話番号も入っているのだが久しぶりに電源を入れるとD201は全部文字化けしてぶっ壊れていた。
これは結構ショックだった。

3度目の挑戦

俺は新しい携帯と格闘技通信を持って再び東京へ向かった。
俺達の中で唯一東京に残っていた下北沢のヨッチューの家に行くとそこから渋谷のハローワークに行って型枠大工の求人情報を探った。
しかし今までと違うのは会社の近くに格闘技のジムがある場所を探すと言う計画を立てている事だ。
格通のジム紹介のページの住所を見ながら関東全域でそれを探すと数件のジムの近くに寮付きの会社を見つけることが出来た。
今みたいにネットやスマホも無く求人情報は全部紙の時代だ。

エンセンさんやプロシューターが多く在籍するPUREBRED大宮ジム、ルミナさんが有名で同じくプロシューターが多く在籍するK‘z FACTORY、PRIDEに出場中の小路晃さんの和術慧舟會A3ジム、そしてリングスで活躍する田村潔司さんのU-FILE CAMP。

採用の条件などを見比べると多摩区の中之島にあった榊工務店と言うところが一番良いと思ったのだが中之島の隣の駅は登戸でそこにU-FILE CAMPがある。

ハローワークに貰った求人情報の地図を頼りに会社に面接に行くと榊工務店の親方と奥さんが面接をしてくれた。
職業の履歴に今まで働いた3件の工務店を書いたのだが、それを見た奥さんに「若いのに結構転々としているのね?」と言われる。
書いたものが自分のキャリアだと思うし、それには胸を張っていたぐらいで疾しい事は一切無かった。
前の会社の寮で金を取られたとかバイクを蹴飛ばされて怒って辞めたとかは言う必要は無かったので言わなかったのだが、疾しい事があるとすれば一つだけ。
きっちり目をみて話す俺だけど実は格闘技をしたいと言う目的があってこの場所に来ているのだとこの時の親方も奥さんも知る由が無いのだ。

一人暮らし

寮の場所が登戸から遠く離れた横浜の青葉台の辺だったので俺は働いてから1人暮らしをする為のお金を貯めなければいけなかった。
親方はまぁまぁな評価の給料をくれたので2、3ヶ月働くと登戸に部屋を借りる事が出来た。
22歳にして初めての一人暮らしだった。
見つけた物件はU-FILE CAMPまで歩いて5分の立地で1Kのちょっと古いマンションだった。

引越し後、すぐにU-FILEに入会したいと思ったのだが朝早くから働いて食事も洗濯も全部自分でやらなければいけない状況だ。
最初はそれに慣れるのに時間がかかった。
朝起きるのも今までは寮生活だったので誰かが起きれば自然と起きて支度をしていたのだが誰もいないので目覚まし時計に頼る事になる。
寝坊は出来ないので夜はゆっくり寝る事が出来ず常にビクビクしていた。
目覚ましの音がカチっと鳴るだけで俺は目を覚ましアラームが鳴る前に目覚ましを止めていた。

一人暮らしが初めてだから仕方ないかと思っていたのだがこの状況はずっと続く事になる。
休日でも仕事の時間に慌てて起きていた。

頻繁に自炊をしていたのだが今のような食事に対する知識や、その時代は得られる情報が少なかったので、だいぶ無駄な事をしていたと思う。
冷凍を使わなかったので食材を腐らせてしまう事もあったり一回の量が多過ぎたり全て外食にしておけば良かったと今になって後悔をする。
会社への通勤はアドレスV100と言うスクーターを使っていた。

一人暮らしを始めて半年が過ぎてもジムにはなかなか通えなかった。
仕事は一部屋を任されても自分で全部出来るくらいにはなっていたし榊工務店は綺麗な仕事をする会社で無駄に労働を強いてくるような事はない。
あとは俺の気持ち次第なのだが近くに住んでいるのに緊張してU-FILEに行けないのである。
今現在ほど格闘技ジムが多くは無く敷居も高かった。

格闘技ファンの時期が長過ぎたお陰でリスペクトが強過ぎてしまってそんな状態になっていた。
バイクでU-FILEの前を通った時にスープラが停まっていて中に田村さんらしき人が乗っていた。
「ヤベぇ田村だ」と面識も無いのに緊張して見ないようにしながら俺は一目散に去っていった。
このままでは前の会社にいた時と一緒だ。
入会に必要な入会金と月会費2ヶ月分が高かったのも入会のハードルを高くしていた。
全部で5万くらい必要だったのだが、この時期は借金こそ無かったけど1人暮らしでだいぶお金を使ってしまっていた。

1999年が終わろうとしていた。
そんな年末に親方が正月だから希望者は10万円まで給料の前借りをさせると言う。
帰省する地方出身者の為だったのだが俺はチャンスと思った。
10万を前借りすると俺は帰省はせずにジムの正月明けの営業初日にU-FILE CAMPに入会に行った。
2000年最初の会員となった。
これが俺の格闘技人生のスタートだった。
受付で担当してくれたのは既にプロ選手として活動している上山龍紀さんだった。
上山さんは自分と同い年なのだがどれくらい強いのだろうか?
まだ何も解らないままクラスの参加から練習はスタートした。

U-FILEに入会して最初の夏に上山さんと

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