Ryo Chonan 長南 亮

総合格闘技ジム TRIBE TOKYO MMA代表 現役時代はPRIDE、UFC、DR…

Ryo Chonan 長南 亮

総合格闘技ジム TRIBE TOKYO MMA代表 現役時代はPRIDE、UFC、DREAM、DEEPなどで試合していました。 ニックネームは『殺戮ピラニア』 1976/10/8生まれ 山形県鶴岡市出身

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  • ピラニアとよばれた男

    総合格闘家、長南亮の半生を忘れないうちに振り返ってみる。 どのように格闘技と出会いそれを生業としたのか? 今格闘技を始めようと思っている人、始めたい人、始めたばかりの人、興味のある人達などに読んで頂けると幸いです。

最近の記事

何者でもない者

12年もジムを経営していると、所属選手も増え毎月、誰かの試合があってサポートをしている。 それが仕事かと聞かれるとビジネス的には全く儲からないし、労働的にもメンタル的にも、そこから得れる報酬は合っていないと思う。 選手の試合に関しては自分自身の試合よりプレッシャーがかかるし試合を定期的に組んでいかなければいけない事自体、大きなストレスにもなる。 そんな状況なので練習に来ない奴とか最低限の練習量も熟せずプロになりたいとか試合に出たいと思う人は他所のジムに行って欲しい。 選手育

    • 再び戦いの場へ

      2003年3月の中旬、山形の雪が減ってきた頃、忙しいU野組の仕事もひと段落してきた。 親方には再び関東に戻る事を伝えた。 愛車のホーミーワゴン(FR)は雪道を飛ばしまくって農道でスピンして何にも接触せずに助かったもののバックした際に雪で埋まったガードレールにぶつかりテールレンズが割れてゲートも凹んでしまった。 ホーミーは売却して関東に戻ろうと思っていたので査定額が下がってしまい残念だが大雪の庄内で何時間も毎日車で走っていて大きな事故に遭わずに済んだし、何度か山形と関東を往復し

      • 1.28 ONEと修斗

        ONE Championship有明アリーナ 修斗ニューピアホール この大会が1/28同日に行われました. 気持ちが次の大会に切り替わる前に書いておこうと思います。 後半ではRIZINで行われたYA-MAN、平本戦についても少し触れます。 ONEは4年ぶりの日本開催となります。 知っている人は多いと思いますが、自分はかつてONEの仕事を受けて主に日本人選手のブッキングを担当していました。 2019年の3月と10月に行われた両国で行われた日本大会でしたがプロモーションから凄い

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        • 過酷な冬

          フィルター切りの男 2002年の年末、俺は故郷の山形県鶴岡市に帰った。 足が痛くて肉体労働は出来ないのだけど近所で住宅設備の会社を経営していたトモちゃんのところ(実家から約100m)で販売している換気扇の交換用フィルターを規定のサイズに切断する仕事があると言うのでその会社でひたすらフィルターを切って小銭を稼いでいた。 トモちゃんの会社は今でこそ立派な法人会社になって関東でも仕事をこなしているようだが当時は後輩のヤンチャ者を集めて営業に行かせて社長は営業には出ずに会社で待ち、

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        • ピラニアとよばれた男
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        記事

          DEEP2002完結編

          2002年の秋頃、見知らぬ電話番号から電話が鳴ればほぼカードの支払い請求の連絡だった。 俺が借りていた消費者金融のカードローンは2社で合計160万くらいになっていて給料日に30,000円ほど返済しても元金は3000円くらいでグレーゾーン金利時代の最大金利28%をモロに食らっていた。 デビューからずっとギャラを払ってもらえず怪我や試合で仕事を休むと日当は貰えない状態で、憧れていたプロ選手とはこんなものかと虚しく感じていた。 そんな状態でも一心不乱に練習をして現場では働いていた。

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          三浦彩佳物語

          前のnote(超えてきた者)の続きにもなるがジム内で虐めが横行していた時期、三浦彩佳もそのターゲットになっていた。 三浦は他に虐められていた選手を除く、ほとんどの選手達に無視をされていた。 何故当時べったり一緒にやっていたトレーナーと揉めたのかは今でも理由は知らない。 まだ虐められていなかった時期、三浦はそのトレーナーとのパーソナルトレーニングの前になると眩暈で歩けなくなり駅で倒れる事もあった。 勿論試合など出来る状態ではなく当時参戦していたDEEPジュエルスには試合の欠場に

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          三浦彩佳物語

          DEEP2002(中盤)

          出稽古 GWが終わり1週間ぐらいで川崎に戻った。 事故のダメージも回復して縫った肘も抜糸してもらった。 試合前だと言うのに2週間近くバイクの事故のおかげで練習を出来なくなったのだが、事故の保険でバイク一式や休業補償の分など、まとまったお金が入る事になり、普通であれば焦るはずが自分にとっては仕事を休む口実も出来てラッキーな結果となった。 間違っても相手や保険屋さんに過大請求などはせず、走行距離、使用年数から事故の割合でお金を受け取る事になったのだが仕事と格闘技の二重生活ですっ

          超えてきた者

          TRIBE TOKYO MMAは創立11年を迎えオープンした頃とは選手の数も倍に増え、一般会員さんをメインにやっていた設立当初とはすいぶん違った景色になってきている。 ジムとしては2年前に北田俊亮が代表を務めるノース支部もオープンして競技とフィットネスの差別化を目指しているのだがビジネスや人を雇う事はなかなか難しく日々勉強であって試練だと思いながら業務をこなしている。 選手育成を始めた時は誰もがもっと簡単に上に行けると思っていた。 自分の通ってきた道筋を振り返れば環境や指導

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          DEEP2002(前半)

          2002年の年明け最初のオファーはパンクラスの2/27大阪大会だった。U-FILE3人が出場し上山さんと三崎和雄選手、大久保ちゃんと佐藤光留選手、俺の相手はパンクラスの宮川順也選手と言うネオブラ1回戦でKO負けした勝ち星のない選手だった。 まずこのオファーの内容が気に入らなかった。年末のDEEPもそうだったけどU-FILEをセット販売する時に上山さんを大将にするのは解るが、必ず自分が大久保ちゃんの下の3番手にさせられていた。 佐藤光留選手とだったら俺が再戦したいのに何で俺よ

          失敗と勝利と

          本日ONE CHAMPIONSHIPで行われました若松佑弥vsシャ・ウェン選手との試合の計量でTRIBE所属の若松が計量オーバーしてしまった事を深くお詫び申し上げます。 ……と今まででしたらこんな感じで声明を発表するのでしょうけど、反省や修正は必要でも特に謝りません今回は。 関係者各位には、ごめんねって話して、まぁ良いからその代わり試合でがっつりやっちゃってと話して頂いてました。 連続2回も失敗して何やってんだ論がSNS(特にTwitter)でガヤガヤしていたようです。

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          U-FILEスタイル

          インストラクター DEEPのフューチャーファイトを終えた辺りに、練習後に田村さんとストライキングコーチの磯崎さんに、選手数名がジムに残るように言われた。 磯崎さんが説明をしてくれたのだが内容はこれからは日替わりで選手達がジムの指導をするようにして欲しい言う話で、条件として今後の月会費は要らないけど、これからの試合のマネージメント料はジム側が30%取ると言う事だった。 また今後はU-FILEが独自で大会を開いていくと言う話もあって、その大会で使われるルールについての話も兼ね

          アメリカ遠征を終えて

          5月7日RIZINでYA-MANの試合の翌日となる早朝、ミット類一式と沢山の着替えの入った旅行バッグを車に積んで成田空港へ向かった。 渡航先はフロリダ。UFC参戦により3年も長期滞在して練習させて貰っている佐藤天のいるKILL CLIFF FC。 2月からTRIBE所属のエフェヴィガもABEMA TVの格闘留学の企画の中で渡米滞在させて頂きトレーニングキャンプを行っている。 企画の集大成としてマイアミで行われる5/13 CONBATE GROBALでキャンプの集大成として試合

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          DEEPへ

          自分が参加したネオブラッド予選はとても刺激的だった。 自分に足りない物が何なのかを肌で感じて解ったし打撃であればだいたい勝てるような感覚も解った。 当時のJMMAの打撃のレベルはびっくりするくらい低かった。 基本的に強い選手と言うのは柔道かレスリング経験者で上を取って勝つと言う選手が多かった。 U-FILEは自分が入会する前には大江慎さんが打撃を教えていたので、大江さんが辞めた後もキックボクシングをちゃんとやると言う指導方針が残っていた。 自分が入ってからはプロのキックボク

          プロデビュー戦

          プロデビューが決まってからは土日にMMAの練習を増やした。 アマチュアコンテンダーズに続き太志朗も一緒に出ることになった。 試合の契約体重も何キロとか決まってはいなかったと記憶しているが自分の体重を申告して、経歴や体重からマッチメイクされるようだった。 契約書と言うものは見ていない。 上山さんにはギャラは1万円と伝えられた。 俺が型枠大工で日当17000円ほど貰っていた頃だ。 正直ギャラとかどうでも良かったし試合が始まる前まで俺なんかが総合格闘技の試合に出て良いのだろうか?

          プロデビュー戦

          雲取山登山

          最近は結構なペースで登山をしていて1/30(月)には仕事の前に浅間嶺を登ったけど何か物足りなくYAMAPを見ながら次の山を探す。 両神山も割と普通に登れたので俺にとってのラスボスクラスいっちゃいますか?と東京都最高峰の雲取山にトライする事に。 住んでいる土地柄(入間市)から秩父山地は制しておきたいと言う気持ちもあった。 予報を見ると天気は幸い晴れのようだ。 決戦は自分の休日である2/3の金曜日。 冬季ではあるものの最近の登山経験で少し自信があった。 YAMAPで計画を立て

          プロ格闘家…?

          大久保ちゃん 太志朗がデビューすると今度は大久保ちゃん(大久保一樹)がリングスでデビューすると言う話になっていた。 大久保ちゃんは自分よりも年下だけど一年くらいU-FILEでは先輩で、大人しいけど変わった男だった。 ウェイトをしっかりやるタイプで、体格的には、がっちりしているのだが正直強いかと言われると当時の自分から見ても、そうでもなかった。 大久保ちゃんは田村さんのお墨付きで出定が決まったのだが俺的には大久保ちゃんで大丈夫なのか心配だった。 そもそも当時、大久保ちゃんは総

          プロ格闘家…?