レズビアンだけどノンケのふりして生きている理由
1.なぜ、言わないのか。
私はレズビアン。
だけど、普段はノンケのふりして生きている。
(=男の子ことを好きな女の子として生きている)
好きな女の子ができても男の子に変換し話し、
彼女ができても彼氏に変換して話し、
出産や結婚の話をされたら適当に右から左へ受け流す。
髪を肩甲骨あたりまで伸ばし、くるくる髪を巻き、ばっちり化粧もする。男勝りな喋り方を除けば、私は周りの女の子たちと大差ない。(ややクセ強めだけど😉)セクシャリティは見た目では分からない。
ノンケのふりして生きるのは簡単だ。
本当のことを言わなければいい。
本当は女の子を好きなことを。
世間では、女性は男性を愛することが「普通」とされている。そんな人たちから見れば私の世界は「異常」にみえる。一度、異常のレッテルを貼られてしまうと剥がすのに苦労するし、シール跡みたいに残ってしまう。
昔から、私の瞳には女の子がとても輝いて見えるし興味があるのは女の子。好きになるのは可愛い女の子のキャラだし、格好いい女性芸能人だし、セクシーな女性アイドルだ。
私が好きなものを好きということ、
女の子を好きになるのが私にとっては普通なのに、それを異常とする世間の方が異常である。
だけど、声高々に「あたしはレズビアンで〜〜す‼️‼️」と生きてはいない。その必要は今は感じないからだ。
なぜ、言わないのか。
今日はそのことについて話そうと思う。
2.「レズビアンである」という先入観があるのが嫌だ
実際、仲の良い友達にはカミングアウトしている。わざわざ好きな子や彼女を男の子に変換して話すのは億劫だからだ。
しかし、中高大学時代のクラスメート、バイト先の人、職場などにはカミングアウトしていない。
学校や仕事場で会う人たちは、よほどの信頼関係を築けない限り、ただ同じ目的を持って同じ電車に乗っている乗客にすぎない。わざわざ電車が同じになった人に「あたしはレズビアン🎶宜しくね」なんて言わない。
仕事場の「彼氏はいるの?」なんて、ただの世間話の一個に過ぎない。それに真剣に返すのはお門違いだ。私は適当に場を和ます一言を放ってその会話を終わらし、次の話題を振るまでだ。
それに、もしその会話に「彼女はいます」と答え、(レズビアンなんだ…)という風に飲み込んでもらった場合どうなるのか。
私は怖い。
正直、それを聞いた人は私がレズビアンであることはその時は驚いても、家に帰る頃には忘れて、他の楽しいことに消えてしまう。他人にはカミングアウトされたことなんてどうでもいいことなのかもしれない。
しかし、ふとした時に思い出して
「ああ、この子はレズビアンだから…」
という先入観を持たれてしまったらと思うと怖い。
女の子と話しているところをみて「この子はレズビアンだから、この子と話している」とか、男っぽいアイテムを持っていたら「この子はレズビアンだから、男っぽいアイテムが好きなんだ」と思われてしまうかもしれない。
レズビアンだから、女の子と話してるわけではないし、レズビアンだから、男っぽいアイテムが好きなわけでもない。
ただ、単純に話したいだけで、そのアイテムが好きなだけだ。
レズビアンだからという余計な付属語をつけて私を観て欲しくない。そんな先入観を持たれるくらいなら言わなくていい。そう思うのだ。
3.好きなものが同じ方が話していて楽しい
先程は仕事場を例に出していたが、もし友達の前だったらどうなるのか。
友人同士、お酒を囲んで飲み会をすることがある。(コロナ前の話だけど)
カミングアウト済みの友達には赤裸々に彼女の話をしたり、好きな子の話をする。
そうでない子には、彼女や好きな子を男の子に変換もしくは女の子であることを言わずに恋バナを楽しむ。
ぶっちゃけいう、
ノンケの飲み会よりも
セクマイの飲み会の方が断然楽しい
好きな性別が違うため、合わない話がある。
妊娠や結婚なんて話は正直よくわからないし、それに関わる避妊だのどうのはよくわからない。
異性のドキッとする仕草なに?という類の会話をすることもある。
ドキッとする仕草は、男性的な動きと女性的な動きは異なるから全く会話が噛み合わない。周りの友達(ノンケ)が「腕の浮き出る血管がすき」「厚い胸板がいい」という話をしている中、私は(むちむちした柔らかい腕って最高〜!)(胸はないよりあった方がいいよね、できれば大きめ)とか脳内でほざいてるので話が合うわけがない。
好きなものが同じもの同士の方が会話は弾む。
オタク同士の会話だってそう。好きなアニメが同じ同士だったらそのアニメの会話ができるし、キャラクターやストーリー、原作の話…と話すことが溢れ出てくる。
でも、美少女アニメ好きとロボットアニメ好きが話すと会話が一方通行になってしまうだろう。(もちろん噛み合う人たちもいるだろうし裁量次第だと思うけど)
好きなものが違うと会話はちぐはぐになってしまい、「へえそうなんだ」「そうとこがあるんだね」と話を聞き、話す1on1になってしまうだろう。
ノンケとの恋バナも同じだ。
私がノンケとの恋バナがあまり楽しくないなと感じるように、レズビアンだとカミングアウトされて興味のない「女」の話をされてもノンケは楽しくないだろう。男の子の話で盛り上がっている時に女の子の話をされても、「そういうのもあるんだね」で終わってしまう。
なんだか水をさしてしまうようで居心地が悪くなるので、男女共通で共感できそうなことをその場で言って場を盛り上げることに集中している。
4.多数派でいる方が楽
先述したように、私は会話の流れやその場の空気を読んで、言わない選択肢をしている。
正直、みんな他人のことなんてどうでもいいし、言っても言わなくても大して覚えてない。
案外みんなアンタのこと気にしてないんだし、楽に生きよ?と心のあたしが話しかけてくる。
言ってもいい。
だけど、言わなくてもいいなら言わない。
それが今の私だ。
レズビアンはセクシャルマイノリティの一つ。
(✳︎性的少数派ともいう)
多くの女性が男性を愛する中、
私は女性を愛する。
女性として女性を愛するということは自ら選択をしているのではない。性的指向は自分では選択はできない。好きな色が赤色の人がいれば青色の人もいる。それと同じように、男の人が好きな人もいれば女の人が好きな私もいる。
小学生の頃、周りの女の子が男の子を好きだということに驚いた。自分軸をまわっている私はいつかは周りも女の子を愛するのだろうと思ってた。王子様なんていない。プリンセスのが可愛いじゃ
〜ん😚と思ってた。
でも違った。
私はみんなと違った。
自分は少数派である
幼い私には変えられない事実に心をチリチリさせたのを覚えてる。
はっきり言って、多数派の方が生きやすい。
よくある例だが、駅の改札は右利きの人が使いやすいようになっている。左利きの人は不便を感じるだろう。横書きのノートは左利きには書きづらいし、スープをすくうレードルは左利きの人にはとんがっている方向が違うから使いづらい。
それらは、定期券を右手に持ち直せばいいし、縦書きを使うかパソコンのワードを使えばいいし、使いづらさに慣れればいいのかもしれない。
しかし、右利きの人が考えなくてもいいようなことを左利きの人は考えるのだろう。不便だなとか面倒だなとか仕方ないのかなとか。
それとセクシャルマイノリティの考えも似てるのではないだろうか。
恋人とデートをしていても、女二人だと異性から声をかけられることがある。異性カップルだとこんなことはないのではないか。
同性カップルが「子どもを持つ」と公表したとき、多くのバッシングを受けていたのを目にしたことがある。異性同士ならお互いの遺伝子を受け継いだ子どもができるし、そんなバッシングを受けることは少ないのではないか。
多数派の方が生きるのが楽だということは少なからずあるのではないかと私は思う。
5.結論
いろいろ説を出して考えてみたものの、
読み返すと「考えすぎ〜〜❗️」と言って自分の背中を叩きたくなる。そんなあんたのことみんな気にしてないって!
ぶっちゃけ、結局怖いんだと思う。
もし拒否されたらどうしよう、受け入れられなかったらどうしよう、変な先入観持たれたらどうしよう。
そんなことを考えている自分がいるのだ。
しかし、私がレズビアンであることは果たしてそんなに悪いことなのだろうか。怖がるようなことなのだろうか。
自分が好きなものを好きということはもっと誇りを持っていいのではないか。ハッピーPRIDEでいってもいいんじゃないか。
(私は今〜♪を流しておいてください)
自分が自分であることにはとても誇りがある。
自分の好きなものも絶対素敵で、誰に否定されようともその好きは価値があるものだ。
しかし、まだまだ周りの目を気にしている。
頭ではどうでもいいと思っているのに、行動は慎重で、全然どうでもいいなんて思ってない。
言わなくてもいいなら言わない。
それも一つの選択肢。
それで生きるのが楽だとおもっているのであればそれでいい。
しかし、今自分が抱えている心のもやもやはきっと100%自分らしく生きれているという実感がないからだ。
その100%の中にカミングアウトをすることが含まれているかはわからないけれど、好きなものを好きだということ、せめて彼女を彼氏に変換したり、好きな女の子を男の子に変換するような私ではなく、ありのままに語れたらいい。
そうやって、少しずつ自分の自信を確固たるものとして、PRIDEあるレズビアンとして生きていきたいと思う。
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