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入社3カ月で適応障害になりました。②

こんにちは、味噌ちゃんです。
今回は適応障害により休職が決定してから、休職初期についてのお話です。


適応障害発覚〜休職初期

適応障害との診断を受けた翌日から、私は直ちに休職することになりました。
主治医から設定された期間は、まずは2カ月とのこと。
「今はとにかく休むことだけに専念してください」と言われました。

”適応障害ってそんなに長い期間休まなきゃ行けないのか。”
率直に私はそう思いました。
急にただ”休め”と言われてもどう休んだらいいものかと…



朝が来ても起きる理由がない。
会社に行かないからといっても、家でも何もしたくない。

私の場合、適応障害の症状として最も強く出ていたものの一つが、
この「無気力」でした。
とにかく何もしたくない。
私は何もできない。
何かしていい資格もない、とすら思いました。

結局休職に入ってからの約1週間はベッドから起き上がることすら嫌で、自室から出ることも億劫で仕方なく、寝巻きのままベッドの上で一日の大半を過ごすなどしていました。


また同時に襲われたのは、激しい孤独感でした。
入社からたった3カ月で適応障害だなんて、
まだまだ営業というお仕事の本質のうちの10%も知らないのに、
同期入社の子たちはあんなに頑張ってる、
あの子はあんなにできる子なのに私なんて、と。


正式な診断書が出てもなお、これはやっぱり気持ちの問題なのではないかと自分を責めずにはいられませんでした。


そんな私が日常生活の上で辛く感じたのは、電車に乗ることです。
かつてはどこに行くにも交通手段として避けては通れない「電車に乗る」という行為が、私は休職当初とても辛かったです。
動悸がして、冷や汗も出たり、社会から切り離されてしまって、全員が敵に見えて、目を合わせないようにすることに必死になりました。



休職中期

徐々に会社の人事の人から連絡がくるようになり、
1、2週間に1回程度、電話で状況を聞かれるようになりました。

休職に入ってからというもの、私は様々な方法で気持ちのリフレッシュを図っていました。


しかしながら、
2回に1回は人事との電話中にどうしても涙が出てきてしまうのです。

人事側も仕事ですから、当然私に対して「業務の何がどう自分にとってしんどくて今適応障害を引き起こしているのか」を今後のためにも私から聞き出す必要があるのは分かっています。
でも私はそれがしんどくて仕方がありませんでした。
仕事の話をしようとするといつの間にか涙が出ているのを、自分では抑えられないのです。
泣きながら説明しなくてはいけないのもすごく辛かったです。



この、”仕事のことを話そうとすると涙が止まらなくなる”という状況。
そんな自分に直面してようやく、
「あ、自分は適応障害になったんだ」と実感した気がしました。


あの手この手でどうリフレッシュしても、
いざ仕事のことを思い出すと情緒が揺れて揺れて仕方がない…



一度崩壊したメンタルはやはり簡単には戻らない
自分のメンタルは少なくともヒビが入る程度には危ない状態だったんだ…


そんな現実を突きつけられたような感じがしました。







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