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父の暴言と助けてほしかった自分

父がやらかした。

父が泥酔して粗相をするのは以前からのことだ。しかし今回は場所が家の中ではなく、タクシーの中だったのだ。
父はタクシーの運転手に絡んだらしい。そのタクシーには母方の親戚も乗っていた。今までは家族にしか当たらなかったのが、第三者の前で事を起こしてしまった。
母はそれを見て、父にアルコール依存症の治療を受けさせる決心をしたらしい。家族がいる前で父が暴れたのがよっぽど堪えたようだ。
私は一部始終を聞いて恥ずかしさを覚えるとともに、胸にざらりとした痛みを感じた。父の振る舞いにではなく、母の振る舞いに。

父は昔から、酔うと暴言を吐く癖があった。
父は暴言を吐いた翌日も何事もなかったかのように振る舞う。謝罪を受けたこともない。前日の言動を問い詰めても「覚えていない」と笑ってごまかす。罪の意識が薄いのだと思う。
私は謝らない父が嫌いだった。せめて子どもに暴言を吐くのが間違った行動で、異常だという意識を持っていてほしかった。

父が自分の振る舞いを顧みないのも悲しかったが、母が現状を変えようとしないことに対しても不満だった。「お酒を飲まなければいい人だから」と言って父の横暴をそのままにしていた。
母が何も言わないのをいいことに、父の酒癖は一向に良くならなかった。

母はおそらく、父がタクシーの運転手に絡む姿を見て恥ずかしいと思ったのだろう。それも自分の姉弟の前で起きてしまい、人に知られてしまった。母が動いた動機は「恥」だった。
父が治療でどれだけ変わるかは知らない。それでもずっと前から父に異常をはっきり伝えてくれていたら、「子どもに暴言を吐くのは異常だ」という認識を持って接してくれていたら。私が助けを求めた時点で、母が父に治療をすすめていたら。今回の事件を知って、私が思ったのはそんな「たられば」だった。

結果、私は父のような男性に過剰な恐怖を感じるようになり、そして人に助けを求められなくなってしまった。適応障害を2度発症し、会社で働ける精神状態ではない。今ではカウンセリングやフリーランスという働き方によって、生きづらいなりに何とか生活しようと試行錯誤の最中だ。
母にとって「恥」は動機になるのに、子どもを守ることは動機にならなかった。自分が深く傷つき壊れる前に、母に父を止めてほしかった。

母は父を説得し、アルコール依存症の治療を受けさせることができるのかは知らない。私は父に自分の病を認める強さがあるとは思えないので、結局母も父も変わらないだろう。

ひしゃげた心のまま生きるために、今日も私はこうして文章を書く。決して楽になるわけではない。それでも書いて、誰かに伝える。そこに何か意味があると信じている。


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