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【文学フリマ東京38 新刊試し読み】豚キムチ丼

新刊『毒親育ちの恋愛事情』に収録したエッセイを一部紹介します。

豚キムチ丼

 記憶に残る食事と言われて、あなたには何が浮かぶだろうか?意外と高級料理や珍しい料理ではなく、一見ありふれた食事を挙げる人もいるのではないかと思う。
 私の思い出に残っている食事は、大学時代に彼が作った豚キムチ丼だ。 決して高級食材を使っているわけでも、特別な料理というわけでもない。しかし私はあの豚キムチ丼に命を救われている。

 大学時代、一時期ストレスで食事がとれなくなった。実習で人間関係がうまくいかず、慢性的なストレスを感じていたのだ。
 実習でペアになった同期がいつも不機嫌そうだった。作業の分担もうまくいかず、頼み事をしても嫌そうな顔をされる。明らかに相手の態度にも非があるのだが、昔の私は相手の態度を極端に気にしていて、自分が悪いのだろうかと思い悩んだ。
 実習が近づくにつれ、胃がキリキリと痛んで食べ物を受け付けなくなる。仕方なく、実習前はゼリー飲料を流し込む。実習が終わると、解放感からかやっと通常の食事を食べられるようになった。実習が終わるまで、週の半分は満足に食事ができなかった。
 あるとき、週末に彼の家へ遊びに行った。彼に会ってほっとしたのもつかの間、彼のアパートで立ちくらみを起こしてしまった。目が回り、立っていられなくなった。おそらく低血糖を起こしていたのだと思う。
私が食事を満足に食べていないと知り、彼がすぐに食事を作ってくれた。それが豚キムチ丼だった。

 豚肉をごま油で炒め、キムチと和えて温かいご飯に乗せる。工程としてはさほど難しくない、自分でも作れる料理だ。それでもあの日に食べた豚キムチ丼は、涙が出るほど美味しかった。
 食べ終えてから安堵したのか、しばらく泣いていた。それからやっと、食事を普段通り食べられるようになった。あのときの豚キムチ丼からは、「元気になってほしい」という彼からの気持ちが感じられた。「料理は愛情」という言葉を、そのとき初めて理解できた。
 元気が出たら、同期に腹が立ってきた。実習を進めたいだけなのに、なぜここまで気を遣わなければいけないのか。次の実習から同期には期待せず、簡単なことだけ任せて自分で実験を進めるようにした。自分が主導権を握ったためか、同期の態度は軟化した。相手の態度など気にせず、最初から自分で進めればよかったのだ。
 泣きながら食べた豚キムチ丼のおかげで、私はすっかり元気になった。

 彼と付き合って一緒に過ごすうち、食事に対する価値観が変わった。昔の私は食事に頓着がなく、生きるために必要な栄養さえとれれば食事は何でもいいと思っていた。
 朝の食卓に並ぶのは期限切れの牛乳、カチカチの食パン、父親の小言。それから油まみれのキノコとほうれん草。当時は出されたものを食べるしかなく、やむなく胃に押し込んだ。当時の私にとって食事は楽しむものではなく、車にガソリンを入れるように栄養を摂取するだけの行為だった。
 母親は料理が嫌いだった。母親の実家ではお手伝いさんがいて、食事は祖母ではなくその人が作るものだった。母親にとって料理は家族のために作るものではなく、父親に怒られないために最低限こなすべきタスクだった。作っても褒められず、父親から「あの食材が足りない」と小言を言われる。一生懸命作っても不毛だと感じたのだろう。
 作ってもらっている立場で文句は言えないと、私たちは出されたものを「美味しい」と言いながら食べた。母の機嫌を損ねたくなかった。実家にいたころは、食べても満足感を得られなかった。物理的に空腹は満たされていたはずだが、精神的な満足感が得られないから食べすぎてしまったのだと思う。成長に必要な分より明らかに食べ過ぎていたので、次第に太ってしまった。
 私は自分で料理を覚えるべきだったが、大人になるまで機会を逃してしまった。高校までは勉強漬けだったので料理を覚える余裕もなく、大学生活ではアルバイトや飲み歩きに夢中だった。「食べられれば何でもいい」と思っていた。関心もないので、大人になっても食生活は何ら改善しない。家の外にしか関心がなく、生活をおざなりにしていた。

 彼は料理が得意だ。彼の母親も料理が好きで、子どものころから彼に味付けや段取りを教えていたらしい。手伝いをしているうちに興味を持ち、高校生のころから自分で食事や弁当を作っていた。食事を丁寧に作るということは、日々の暮らしを大事にすることにつながる。それはつまり、自分や家族を大事にする技術の一つなのかもしれない。
 同棲してから私は料理を練習した。自炊の方が節約できるし、彼だけに家事を任せるわけにはいかない。しかし、生活の都合以上に自分も料理を作れるようになりたかった。食事に対する無関心は、私にとって親から受けた呪いだった。自分だけならまだしも、相手にまで適当な食事を食べさせたくはなかった。親から受けた呪いを連鎖させてはいけない。
包丁の持ち方から調べた。
 最初は失敗を重ねた。金属の容器を電子レンジにかけ、肉の解凍に失敗して加熱しすぎてしまった。食材の管理ができず、期限が切れていたことも頻繁にあった。一人暮らし時代は期限に無頓着だったが、彼に期限切れの食材をあまり食べさせたくなかった。彼も根気よく練習に付き合ってくれた。最初は改善点ばかりで耳が痛かったが、ここで挫けては解決しない。素直に聞いて直すようにした。
 次第に料理が上達し、自分の作った料理を美味しいと思えるようになった。食事は二人が楽しめる共通の話題になった。旬の野菜の使い方を調べ、ネットのレシピを共有した。
 自炊を通して外食の楽しみ方も変わった。何を食べても「美味しい」としか言えなかった状態から、味の表現が豊富になった。

 あれから何度か豚キムチ丼も作ってみたが、残念ながらあの日ほど美味しいものはまだ作れていない。技術がまだ足りていないのかもしれないし、あのときほど極限状態ではないからかもしれない。それなりには美味しく作れるので、今はそれでよしとしている。

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