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○○で東大生が「馬鹿」になる

今日僕がお伝えしたいのは、

人間を動かしたいと思ったら、とにかく「快楽」を与えるべき

という当たり前のことです。


僕の知り合いに知り合いに、
東大生のめちゃ優秀な女の子がいました。

その子は高校までは一切遊ばずに勉強を頑張って
東大に合格しました。そして大学に入ってから
母親からこう言われたそうです。


「大学に入ったらまずサークルに入って、そして、その中で一番イケてる男を速攻で彼氏にしなさい。」

ほ〜、なるほど。
って感じですよね。続きがあります。


「そしたら次に、その彼氏の知り合いの友達と沢山仲良くなりなさい。そしたらその友達の中に必ず彼氏よりイケてる男がいるから、彼氏をフってその男に乗り換えなさい。」


なるほど〜。
これは確かに効率的なスキームかも知れないなと
思ったものです。


でも本当にそれでいいの?


っていう漠然とした違和感は拭えなかったんですよね。
でもその違和感がなぜ生じるのかは言葉ではうまく説明できない。間違いなく言えるのは、


「そのスキームの先に本当の幸せはあるの?」


っていう疑問ですかね。
本当の幸せっていうのが何のことを言うのかはうまく説明できない。でも、本当の幸せじゃなさそうなことは分かる。


でもこの女の子もこのこの母親もあくまで本人の幸せを願っているからこそ、そういうアドバイスとか行動選択につながってくるから、多分僕が、


「いやそれって本当に幸せにつながるのでしょうか?」


と言ったとしても、
全く聞く耳は持たないだろうな。


それよりも


「インテリでハイスペイケメン大学生男子がめちゃくちゃ集まるパーティーが来週六本木でパーティーするらしいですよ。」


などの情報とか、

「ハイスペ男子から激モテする方法!」


などのタイトルの本の方が喜ばれたりするはずです。


そう考えると
この人たちは「幸せになりたい!」って願いつつも、


いつの間にか


目の前の「快」を満たすことに
躍起になっていることに
気づかずにいるのかも知れません。

マズローの欲求5段階説をご存知ですか?
ご存知でしたらすいません。


安心安全の基本的欲が満たされて、初めて愛と所属の欲求(社会的欲求)が満たされて、その先に自己承認欲求があって、最後に自己実現欲求に到達するということ。


本当は人間て幸せになりたいはずなんです。
常に幸福感を抱いていられたら最高に幸せ。長期的な幸福感です。


正直僕だって、
モデルや芸能人を抱きたい!それを実現しないと死んでも死にきれない!と思って生きてた時期もありますが、


いざそれを達成してその快楽を得ることはできましたが、
正直幸福感というには程遠かった。
まあ、目先の快楽を満たしたところで、こんなもんなんですよね。


でも快楽っていうのは、幸福を蔑ろにしてしまうほどに、
強烈で、これを利用すればコピーライター は
幾らでもモノを買わせることができる。


ターベットが求めているのが例え「幸せになりたい!」というふうに言葉上表れていたとしても、決してそれを真に受けることなく、
しっかりと快楽の達成を念頭において文章を書くことが大切。


でも欲を言えば、
やっぱりその先には真の幸せがあってほしいと思うし、真の幸福感を味わうことにつなげてあげたいと思う。


そこまで連れて行ってあげる責任もしっかりと感じながら目の前の快楽を与えて前進させてあげられるライターはバランス感覚があるっていうか、


もはやそれってライターの域を超えた「リーダー」って呼ばれる存在に近づいていくのだろうな。俺はそこを目指していきたい。


だから常に抽象度を高く保って、
仕事をしていきたい。

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