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『銀座の画廊は絶滅しない』

第一章、あんたのせいで先生は死んだんだ、絶対に許さないぞ
 
久しぶりに電話すると先生は一人だった。
 
戦争だよ、と先生は言った。
 
日暮里の自宅に行くと、先生は一人でいた。末期の大腸がんで闘病中だったのだ。
 
しかも、看病していた奥さんが大腿骨骨折で入院中したそうだ。
 
ちょっとお腹触ってよ。
 
先生のお腹を触ると腹水でパンパンだった。
 
先生は日本画家だ。
 
私は日暮里で整体師をやっていて、先生は上客だった。
 
先生にお前には向いていないと言われて私は整体師の仕事をやめた。
 
小柄で細い先生、お腹だけがふくらんでいた。
 
腸のマッサージをした。先生は気持ちよさそうに目を閉じていた。
 
先生からは息子と呼ばれていた。先生に子どもはいなかった。
 
先生は先妻と別れた時に一千万を渡し、路上生活をしようとした。今の奥さんが、それだけはやめてくれと言って結婚した。
 
ところが先生はこの結婚は、史上最大の妥協と言っていた。
 
奥さんは鹿児島生まれ、葬儀屋のバイトをしながら先生の作家活動をサポートしていた。
 
先生は夏に大腸がんの手術をし、人工肛門も覚悟したが、大腸はつながった。健康食品のおかげだと先生は言っていた。それから、抗がん剤を拒否、秋に医者から見捨てられた。
 
健康食品に頼る先生は痛々しかった。
 
窓を開けて空気を入れてあげると、気持ちいいと言った。
 
純粋な子どものような笑顔だった。
 
先生の代表作は入間の稲荷山公園の桜だ。日展で入選した。
 
入間や吾野によく取材に行っていた。狭山茶を整体院でよくもらった。
 
日暮里北口のイタリアンカフェでよくおしゃべりした。
 
その近くのすし屋のディナーにもよく連れて行ってもらった。
 
 
銀座の画廊は絶滅する。先生は突然言った。
 
先生とつき合いのある画廊は銀座にあり、私も一度一緒に行ったことがあった。
 
肺のマッサージをしてあげた夜、先生は呼吸困難になったそうだ。
 
お前のやってくれたマッサージをしたら呼吸できるようになったよ。
 
お前は命の恩人だ。
 
ほどなくして、悪妻が退院した。
 
なんでお前が家にいるんだという感じでとげとげしくあたられた。
 
私はそれから先生に会わなくなった。
 
先生は入院した。
 
数日後、先生は死んだ。
 
先生から借りていた絵を返しに行くと、悪妻に、「あんたのせいで先生は死んだんだ、絶対に許さないぞ」と言われた。
 
道理が通じない、これが末法思想の現代だ。
 
私は先生のおかげで縁のできた銀座でクリニックの受付の仕事を始め、先生の紹介の銀座の画廊にも毎週通うようになった。
 
この物語は消滅の危機にある銀座の画廊、歌舞伎座、怪医師についてのフィールドワークの結晶なのである。
 
続く。
 

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