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何でもない日の祝い方

ある記事を読んで、その通りだと思った。
その人は当該者で、ある種訴えのようにも取れた。
考えるべきなのはこっちだった。

理解してないんだよな。基本的に。
理解してないのに己の偏見と見繕った正義だけで判断する。
そいつにどんな理由があってその行動をしているのか分かろうとしない。
理解してみようとするより先に否定してしまうのだ。

基本的に何事にも理由があると思っていて、できるだけそれをポジティブに捉えたいと思っている。
例えば自分に何か壁が出来たとしたら、それは自分のためだから頑張って乗り越えてみようとか。
雨の日の傘は邪魔だけど、雨の日にしかその景色は見れないとか。

何か気になることがあったら、感情に頼る前に一歩引いてみるといい。
怒るほどのことではないじゃないか。
怒ったってストレスが溜まるだけだし、笑い飛ばして楽しい話しようとか。

よく怒らないとか優しいとか言われるけど、怒ることに可能性を見出していないだけで、相手に何かしてあげようという気はほとんどない。
優しさの起因にはならない。

何事に対してもフラットな目線を持っていたいし、興味があることに対しては前向きに行きたい。
感情の起伏が少ない方が疲れないからね。

なんて感じで、いつも通り自分の考えてることを無駄に文字数稼いで書いているわけだけど、自分で書くのもいいけど人のをもっと読んでみたい。
人の話や考えを聞いたりするのは好きだからね。


祝日なのを仕事しながら知ったけど、何でもない日にもお祝いがあるといい。

連日の雨ですが、気を病まないで、何卒。

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