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ノード流と左右非対称性について

先日、利き手についての記事で、心臓が左にあるのは「毛」によってつくられたノード流に寄るものだということを書いた。
これは東京大学の教授である、岡田康志さんが発見したことである。

発生は最初左右対称に進んでいくが、ある時を境に非対称性を獲得して心臓を左に肝臓を右にというように内蔵などの非対称性が獲得されていくという。

youtubeで岡田康志さんの話を聞いていたのだが、「心臓が右にできたらデメリットはありますか?」という問いに「迷ったら良くない」と言っていた。
「右にできるなら右だ!」と決めて作れば、右向きのキレイな心臓ができるのであろう。「右か左かどっちにしよう…」というように迷いながら心臓をつくると、いわゆる奇形の心臓が出来上がるということだ。

ノード流という水が左に流れることで、左に心臓をつくろうとなる。ノード流が無かったら左か右かどっちか迷ってしまうのであろう。
この「迷ったら良くない」という言葉からまたインスピレーションを得たので、ちょっと書いてみたいと思う。

利き手を決めるのは優位脳であり、優位脳を決めるのは言語野であるということが言われている。そして言語野はたいていが左脳にできるので、利き手は右手になるのである。
世界的に見ても右利きの人が90%であるという事実もある。

この言語野が左脳にできるのも非対称性であろう。ということは、心臓と同じようにノード流がこれを決定しているとは考えられないだろうか。
「心臓だけがノード流に依存しており、他の臓器の非対称性は別の仕組みでつくられている」というのはどうも効率が悪い。
一つのシステムで全ての臓器の非対称性をつくる方が効率的である。
そう考えると言語野が左脳に偏るという非対称性もノード流に支えられていると考えるのが妥当な気がする。

そこで左利きである。左利きは60%が左脳に言語野を持っており、その他は右脳にあったり左右に偏在していたりするという。
この左右に偏在しているという状況が「迷ったら良くない」に関連しているような気がする。
ノード流が無い、もしくは弱い(強弱があるのかは知らないが…)とき右か左か迷っている内に左脳と右脳にまたがるように言語野をつくってしまったのではないだろうか。
そしてその結果優位脳が左脳に決まらず、左利きになってしまったのではないだろうか。

・・・というようなことをインスピレーションしていました。
この仮説が仮に正しいとすると、左利きの人は「毛」の動きが悪くノード流を作れなかったということも言える。
そして「毛」の働きが悪いと呼吸器疾患を患いやすいかもしれない。

・・・という僕の想像(仮説)でした。
では、また。

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