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What killed the imagination?


Curiosity killed the cat.

Curiosity killed the cat. という諺から命名されたアイドルっぽいバンドが昔イギリスにあった。結構流行った曲もあったがいつの間にか聞かなくなった。
好奇心猫を殺す。
7つの命を持つと言われるくらい不死身の猫ちゃんも、好奇心が過ぎて死んじゃった。ましてや人間なんてな。
わかるな。だからおまえさん、あんまり余計な事に首をつっこむんじゃないよ。身を滅ぼすよ。
と、まぁこんな感じのことわざ。
イギリスっていう国も島国で保守的な面があるのかな。まぁ、余計なお世話、カンケーないだろっていう言い回しにもなるらしい。

What killed the imagination?

さて、今日殺されたのは猫じゃない。
想像力だ。
想像力が殺される話をしたい。何が想像力を殺したのか?

これはオレの中ではひとつの結論がある。

ひとの間違いを注意したり、やめさせたりする行為だ。

先生!〇〇くんがやっていることを注意してください!

気持ちは、わかる。
異端者は迷惑だ。和を乱す。すぐにやめさせたい。謝らせたい。可能な限り断罪したい。間違っている。だってルールを守ってないんだもん。

いや、カンケーないだろ。お前には。

The birth of the mod

ゲームの歴史においてmodという行為がある。
modification 、修正とか変更とかいう意味で、モドとかモッドとか発音する。
1993にDOOMという今のFPSのご先祖さまみたいなゲームが生まれた。64マリオ発売の3年前だ。
このゲームがあまりに革新的で面白かったため、多くのプレーヤーがこぞってプログラムをHackしてキャラクターやステージを自分で改変して遊んだ。おまけにひとに配った。これがmodの始まりと言われている。

コンピュータのプログラムに著作権が認められたのが米国が1980年で日本は1985年。だから販売されたプログラムを無許可で変更し流通させることは、同一性保持権を犯すため、犯罪とも言える。
しかし、id software(DOOMを開発した会社)は、プログラムを改変する事を歓迎した。映画などの版権キャラクターはさすがにやめさせたが、オリジナルの新ステージなどゲームをより面白くさせる要素については、おー、それっていいんじゃないって感じだったそうだ。次回作Quakeでは、modのためにSDKまでつけたくらいだ。

結果、3D・FPSのゲームコミュニティは大きく活性化した。日本ではコンソールゲーム主体だったが、欧米ではPCプラットフォームでFPSが多数開発され、写実的な表現やゲームエンジンなど開発の基盤がいつのまにか日本を追い越した。アーケードゲームとコンソールで世界を席巻した日本のゲーム業界はこのとき負けたのだ。

日本でもユーザーコミュニティを上手く育てた例がある。初音ミクはクリプトンメディアが2次創作を許可するライセンスを作り、結果的に日本でUGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)の市場を大きく牽引した。

限りなくグレーなコミケが、新しいクリエーターが生まれる場所になっているという事実もある。

ビーマニでも著作権違反をお知らせしてくるユーザーさまからのメールが多かった。犯罪性の高いものは別だが、個人の利用の範疇である程度であれば黙認するという考えがあって、それは大人の対応だとおれは思っていた。

コロナ警察みたいなひとはどこにでもいるし、わかりやすいからか声も大きくなりがちだ。間違っちゃいないけど、ただひとの揚げ足を取るだけの行為自体は不毛だとおれは思っている。大人とか年寄りとかでもこういうヒトはいっぱいいる。住んでるマンションのゴミひとつ自分の手で拾わないくせに、文句ばかりは一人前だったりな。

ルールで縛るという発想から想像力は絶対に生まれない。

HALはルールを大切にする。挨拶や礼儀正しさは企業の受けも良い。はみ出しがちな若い学生に常識を教え社会で生きていく道を作る。それはレガシーだ。感動した。大切にしたい。
でも、もっと大切なことは、HALの卒業生には、誰もみたことのないような、スゴイおもしろいゲームを作りたいという想像力があるということだ。

では、そういう想像力がどうやって維持されるのか。それをまず学生自身にもわかって欲しいと思ってこの文章を書いている。

ひとと違う発想は簡単に常識的な注意で萎縮する。弱い力。そういう気持ちってなかなか理解されない。けっこうみんなデリケートで、ちょっとした非難ですぐにしぼんでしまうこともある。

だからおれは個人的な主義として、学生を授業中にあんまり注意したり、あきらかに間違っていても、強硬に上から非難するのはしたくないと思っている。怪我をしたり、ものを壊したり、ひとにあんまり迷惑をかけるようなことはちゃんとやめさせる。それ以外は楽しく自由に考えて、どんどん行動して欲しいと願っている。おまえらの常識がおれらの常識を追い越すこともあるだろう。

いままでの常識を打ち破るような、DOOMのようなゲームを産んで欲しい。猫を殺すぐらいの凄まじい好奇心を持ち続けて欲しい。そう願っている。

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