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【SS】夏の花火

夏休みも半ばになり、あたしは家のカレンダーを見て心をおどらせた。
明日の土曜日。
日付には赤丸がされてあり、市の花火大会が開催時間とともに記されている。
既に、母に無理を言って浴衣も準備してある。
紺色の地に、小柄の花や和菓子が描かれた少し子どもっぽいけれども、オーダーメードでつくってもらった初めての浴衣だ。
明日になったら、浴衣に袖を通せるのが待ち遠しい。
あたしは浮かれるような気分で、その日は眠りについた。

翌日のこと。
午後になって日が傾くにつれ、あたしは窓から外をながめた。
視線の先には花火大会の川べりが広がっており、昨年も訪れた場所だから容易に場所の想像ができる。
あたしは、またしても母に無理を言って着付けを頼み、体に浴衣をまとわせた。
色々白いものを詰め込んで、何とかすらっとした着物姿を母につくってもらったように思う。
躊躇ためらいはあったけれども、姿見を見てわたしはうっとりする気持ちになった。
既製品にはない深い紺色が、揺れる度に浮かびたつように染色の良さを表している。
たとえるなら、金魚のひらひらとした尾ひれのように、腕を傾けたり体を少しひねったりすると、追うようにして紺色の地が柔らかさを含み、着た者を一層のこと引き立てるのだ。
普通の布ではなく、何段階も格が上がったような織りと染色の技によって。
姿見を見ながら、あたしは喜びで胸がいっぱいだった。

自室から一階に降り、家族で市の花火大会に向かう。
夕方とは言え、夏の気温は中々下がらず、じめっとした湿気とも相まって少し汗をかく。
川べりに向かう人の列に混じるにつれ、あたしは家族と何事か会話をして、花火大会が始まることに高揚した気分を抑えることができなかった。
立ち並ぶ出店と、空に浮かぶ提灯の列。
周囲のあちこちに頭を向け、あたしは少し減ったお腹をなだめながら家族の後をついていった。

川の土手には既にレジャーシートを敷いて、席を確保している人達がいた。ここら辺りは交通網もあまり発達しておらず、長い間中堅の市としてその地位を築いてきたものの、最近では都市から離れた郊外として密かに人気が出ているらしい。
人口がどんどん増えるのも時間の問題だろうと父は言っていた。
川の土手の上に、あたしは家族とともに立ち見として並んだ。
頭の上に見える、黒にも近い濃紺の夜空は花火の背景として最適だった。

やがて、家族と会話をしながら待っていると、近くの方からどぉん、と大きな音がする。
続くように地響きのように体に振動が来る。
足元から登ってくるような、立ってはいられるけれども体全体が振動を受けて地面と一体となるような感覚。
頭上を見れば、夜空の中に線香花火のような明るい大きな火花がいくつも散って、雨のように降った後、ゆっくりと消えていく。
どぉん、と、また大きな音がした。
色とりどりの鮮やかな花が夜空に咲いて、まぶしい目がくらむような光を放って、赤から黄色、オレンジから緑へと変化していく。最後には青い大きな花が一気に咲いていく。
輝く流星がいくつも尾を引いて、四方八方にぱっと散った。
その周囲を縫うように長い光の尾が高所へと届き、遠くにある星々を覆い隠すようにまばゆい光が花を描いて、一瞬後にどぉん、と振動が続く。
あたしの顔も、花火が上がる度に他の人と同様、華やかな色が映り込んでいるだろう。

あたしは、しばし没我ぼつがの境地を味わった。
夜空に様々な大輪の花が咲いていく。
そのどれもが同じではなく、うっとりするくらい綺麗なのだ。
今、この瞬間にしか見ることのできない花火。
目に焼き付けるように、食い入るように、わたしは飽きることなく大輪の花々を見つめていた。

ふいに母に袖を引かれ、花火がやっと終わったことに気がついた。
辺りでは多くの人がきびすを返して帰路につき、または出店に駆け込んで食べ物を買ったり、遊戯に興じている。
この後は、自治体が開催する盆踊りだの挨拶回りだのが待っている。
出店で、親からお小遣いを使って夕食を買う許可も出るだろう。
学校の同級生とも浴衣姿で会って話をするだろう。
待ち遠しくてたまらない。
あたしは妙にそわそわした気分で家族の後をついていった。

夏には夏の思い出がある。
子どもの頃の夏は、後になったらもう二度とやって来ないのよと、母は言うけれど。
あたしの中で永遠に。
夏は終わらないまま。
その輝きを、とどめている。



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