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#3 関西住みなのに8年ぶりにユニバへ行った人が、なぜ翌日に呆然として動けないでいたのか。

どうも。久々に書きます。
いつもはSNSに、気付きだったり感想だったりをサッと書いてしまうのですが、今回はどうやら140字には落とせそうにない。かといってインスタに文字ばかり載せるのも何か違う。といった具合で、だったらnoteかという結論に至りました。何となくTwitter・インスタ・noteの棲み分けが出来そうな今日この頃です。

8年ぶりのユニバーサルスタジオジャパンへ!

先日、3/12にユニバーサルスタジオジャパンへ友達と行ってきました。
タイトルの通り、約8年ぶりの訪問。8年前と言えば、2014年。自分が中学2年生の時ですね。当時、部活が同じだったチームメイトとクリスマスの時期に男女で(←ここ重要)行きました。ハリーポッターが出来てすぐだったかな。昼と夜に2回乗りに行ったことを覚えています。クリスマス限定のショー「天使のくれた奇跡」も鑑賞しました。これだけ鮮明に覚えているのは、ユニバの思い出が少なすぎるからなんだろうなぁ。(笑)

実を言うと、高校時代に部活の大会で近くまで行くことがあったので地球儀のあるゲート近くへ訪れたり、大学に入ってからは従姉妹の結婚式がユニバの近くのホテルで開かれたりと付近まで行くことはありましたが、パーク内に足を踏み入れるのは実に8年ぶりだったと思います。

そんな僕が8年ぶりにユニバに行くことになった目的は、

「ユニ春!ライブ2023」の2日目「櫻坂46」のライブに参戦するためでした。ライブと入場券がセットで11100円(税込)というお得すぎるチケットで、久々にユニバにも行けるならと即決で抽選投げました。こちらのライブもめちゃくちゃ良かったのですが、これについてはまたどこかで。

【余談ですが】ユニバのテーマパークビジネスが恐ろしいって話


ライブはさておきで本題へ。

の前に、関係ないけどやはりこれだけは言いたい。

「ユニバ、どんだけ幸せに金落とさせんの上手いねん!!」

雰囲気はカチューシャからという刷り込みから買ってしまったピカチューのカチューシャ。
耳が重すぎて、頭からずれまくり。

と。体験価値を上げるためのアイテム(ニンテンドーワールドのリストバンドやハリポタの杖)やパーク内で過ごす雰囲気を高めるグッズ(カチューシャやコスチューム)、ユニバを象徴するような映えグルメなど、人間が高揚感に任せてつい買ってしまうようなものばかりで「商売上手いなぁ。」と惚れ惚れしてしまいました。自分もだんだん金銭感覚がバグりそうになりましたが、残高を見ることで何とか正気を保てたように思います。さすがに一本350円のコカ・コーラに手が伸びそうになった瞬間は末期だと思いました。テーマパークビジネス恐るべし。しかし、マーケティング専攻の身としては興味そそられまくりの対象だったので、これからはそういう仕掛けの部分も気にかけていきたいと思います。

「利他⇒利己」は神話じゃないのかもしれない


ってことでいよいよ本題。タイトルの「なぜ呆然として動けないでいたのか?」の答えなのですが、端的に言うと「くらってしまったから」なんですよね。もう少し具体的に言うと、「ユニバでの気付きが自分の価値観を揺さぶってきたがために、深く考え込んでしまったから

経緯を話すと、就活の話になるのですが、まずその直近の週で、第一志望の企業2社からお祈りを頂いたんですね。これが思ったよりも精神に来たわけです。心のどこかで厳しい壁だと分かっていたものの、いざ現実を突きつけられると、リアルに「これからどうしよう。」とか思っちゃうんですよね。表情には出さないけど。「今後、どれだけ第一志望をずらし続けようともこの絶望は何度も襲ってくるんだろうな。」そんなことを思いながら日々小さな絶望を繰り返して続けています。

そんな絶望をくらった後で、前々から予定していた3/12(日)のユニバはもう何としてもすがりつきたいビッグイベントでした。こういう時のエンタメってホントに心の洗濯になりますよね。しかし、ただ楽しんだだけで無く、僕はユニバから一縷の希望を見出すことが出来ました。

まず、これを読んでくださっているあなたは、なぜ自分は「ユニバに行きたい!」となるのでしょうか?キャラクターに会うためですか?アトラクションに乗るためですか?パレードを始めとする華やかなショーを観るためですか?人それぞれに答えはあるでしょう。ただ、僕は気付いてしまいました。ユニバの核がそれらでは無いことに。

「ユニバの真髄は、『人』にあった。」

8年というブランクを空けると目に留まるものが明らかに変わっている自分を実感します。その中で気付いたのがコレでした。

僕はユニバの価値は「完璧なまでの非日常」にあると思います。現実でのネガティブな感情をすべて忘れさせてくれる、180°世界の変わるような空間に身を投じることが出来る。ちょっと嫌な言い方をすると、思考停止して思いのままに1日を楽しむことが出来る。では現実との間にギャップを生み出している要素、つまり非日常のムードを作っているのは誰なのか。それは、パーク内で働く【キャスト(クルー)】の皆さんに他ならないなと感じたんです。

具体的に言うと、まずユニバのショップ店員さん。ただカチューシャを買うだけのほんの数秒間のあいだでも、会計中に僕の服を見て、「チャーリーブラウンのスウェットですよね?ありがとうございます!」と一言かけてくださったんですよね。またパーク内では、アトラクションに並ぶために少し通りかかっただけでかつ目も合っていなかったのに「ピカチュウのカチューシャばっちりです!」と笑顔で褒めてくださったり、飲食店ではまたまた会計中に「私もこのピザ好きでオススメなんですよね!」みたいな会話を店員さんから友達がされていたり。


少なくとも僕があの日出会ったユニバのスタッフさんは全員、共通して「コミュニケーション能力」が高すぎました。ここで言うコミュニケーション能力の高さとは、むやみやたらにずけずけと入ってくる感じではなく、「相手のことをよく見ながらその人に合わせた最適なテンション感で話しかけられる力の高さ」のことです。どんな性格の人であれ「褒められる」ことが嫌な人ってほとんど居ないと思います。それをよく熟知したコミュニケーションの取り方を心得ているというか、相手の心を開く一言目が皆さん素敵すぎるんですよね。

また完璧にその世界の住人になりきった彼らが振り切ったおもてなしをしてくれるからこそ、こちらは少し戸惑いながらも、だんだんとその非日常を受け入れることが出来る自分を100%受け入れてくれる場所だと認識できるからこそ、人は普段出さない表情をここで見せるのでしょう。これは単にキャラクターやアトラクションがあるだけでは不可能な現象だと思います。

あのような一つ一つのコミュニケーションが、来場客に対してかけがえのない思い出を作る。画一的で無く、お客様1人1人がそれぞれに自分だけの物語を体験することでそれが他に無い喜びとなり、「また来たい。」と思うのではないだろうか。彼らはまさしくエンターテインメントの、人を喜ばせるプロだなと感じました。

で、これは僕にとって、単に「すごいコミュニケーション能力だ!自分も明日からそういう人間になれるように頑張ろう!!」というレベルの話ではないのです。いや、なりたいとは思います。でも今回のメインはそこじゃないです。

「誰かに喜んで貰う」これが自分にとっての幸せ


今回、8年ぶりのユニバを通して1番学んだのは、「誰かを喜ばせたいという感情のルーツ」でした。

就活動画なんかを見てよく思っていたんです。「『人々を笑顔にしたい』が第一目的で働こうとしている人って何なんだろう?」と。自分の軸として据えている人も居ました。でも、考えてみれば変な話です。

利他が利己を上回ることなんて起こり得るのでしょうか?

自分が幸せじゃなきゃ誰かを幸せにすることなど出来ようがない。これがあくまで今までの自分のスタンスであり、僕は「まず自分の成し遂げたい目標があって、それを実現する過程で誰かが喜ばせることが出来たら最高。」という気持ちでいたんですよね。誰かを喜ばせるためが第一目的だと自分がすり減っちゃう気がするし、誰からの評価も受けなくなった瞬間に自分が何のために働いているのかが分からなくなりそうな気がしていたので。

つまり、ぶっちゃけて言うと、僕は自分が幸せになることを第一目的に働きたいと思っています。だからこそ、自分の行きたい場所・やりたいことに固執しているのでしょう。

ただ、ユニバのキャストの方々を見ていて思いました。

人の笑顔を見れば、自分が幸せになれることを知っているから、誰かを喜ばせたいんだ。」という“利他的な利己”を持っている人がこの世には居るのかもしれないということを。

「利他⇒利己」が自分の幸せであると認識しているからこそ、その幸せに向かって、人を喜ばせたい気持ちがいくらでも湧き上がってくる。これって、視点が自分に向いているだけでは絶対にたどり着けない境地だと思うんですよね。「なんで『人を喜ばせたい』が自分の人生の第一目的に来るんだろう?」この疑問はどれだけ頭の中でこねくり回しても気付くことが出来るものなどではなく、「利他⇒利己」の人と触れ合うことで初めて答えが出るものだったんですね。

この答えは、「自分がその光景を見ることで幸せを感じられるから」でした。

そして、長々と話してきたうえで、この経験が自分にとってのどんな希望だったのかというと、「自分の中にも利他⇒利己の気持ちが少し芽生え始めている」ということなんです。自分が実際にキャストの方から受けたもてなしで感じた嬉しさだったり、キャストの方が自意識を捨て去ってお客さんを喜ばせる様子だったりを通じて、彼らに対し凄くリスペクトを感じている自分が居ました。

僕はエンタメの力に日々心を救われ、エンタメからもらった気付きを糧に今日まで生きてきました。だからこそ、自分もそういったものを届ける側として働きたいと思っています。面白いものを作って届けたり、エンタメと人々を繋いだり。欲を言えば、自分が恩を感じる仕事で、馴染みのある場所で働きたいと強く思っています。だからこそ、第一志望からお祈りされたときは本当に苦しかった。

これまでの自分の考えが間違っているとは思いません。ただ、割り切り方として別の考え方があっても良いんじゃないかなと、僕はこの経験を機に思えるようになりました。

【やりたいことはあっても良いけれど、そうじゃない仕事でも、誰かが喜ばせることが出来れば自分の幸福感は満たされるのかも知れない】

とは言いつつ、僕は今後も当分は自分のやりたいことをベースで就職活動を進めていくのだと思います。1回きりの人生だし、やりたいことを仕事にしたい。ただ、「誰かを喜ばせたい」が仕事の第一目的に来る人の気持ちが何となくわかってきた今の僕は、何をするにせよ「どうすればみんなは喜んでくれるか?」というステップを必ず踏める人間になれるのではないかと思っています。

「自分のやりたいことを、皆が喜ぶ方に寄せていく」が至上命題だった自分の中に「誰かが喜ぶためには何をすればいいかを考える」という別視点が、納得のいく形で加わったのは本当にデカいです。

まとまっているようでまとまりのない僕の頭の中をつらつらと書き綴ってきたわけですが、要は、

「『誰かを喜ばせたい』が第一目的の人は、恐らく、自らが『利他⇒利己』タイプの人間であると知っている人、もしくはそれが幸せだと気付いた人」

「それに気付くには、自分が誰かから直接『喜ばせて貰った』経験が必要なのかもしれない」

ということをユニバから教えて貰いましたということを言いたかったです。

まぁかといって依然、自分が放送やエンタメの世界を諦めることはありません。見切りをつけて、メーカー?商社?分かんないですけど、今のところ自分がそこで活き活き働いている未来が見えません。いや、我ながらホント勝手傲慢。好きなことを仕事にできる人なんて一握りなのにね。社会不適合者すぎてしんどいです。笑

だけど、今回学んだ「人を楽しませる精神」であったり、それが自分の喜びになるんだということを体感として知れた経験だったりは、これから生きていく上で絶対に忘れないでいようと思います。そのためにクソ長い文章書きました。

将来、この文章を振り返ったときの自分がどうなっているのか分かりませんが、たとえ希望の仕事につけなくて絶望していたとしても、この学びを思い出して、出来る事をやってください。それが多分、自分の人生を少しでも豊かにできる生き方です。

と、まぁ未来の自分へみたいな臭いメッセージも添えつつ、今回は締めようと思います。

ここまで読んで下さった方々、ありがとうございました。

あ~、ユニバ行きたい。

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