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マッドフラッド 5 / 歴史に埋もれた子供たち 2

こんにちは、TOYOです。
私たちが教えられてきた歴史は真実ではありません。
多くの真実が私たちに隠されてきているのです。

その歴史の中に埋もれた子供たちについて、
皆さんに是非知っていただきたいと思い、一日一食 OMAD エンドゥさんの動画内容を転載させていただきました。

マッドフラッド 5 / 歴史に埋もれた子供たち 2

イギリスの首相が、1000人にも及ぶ子供たちを、20世紀イギリスの植民地に売却していたということに対しての謝罪の検討について知らされました。

マスコミの報道によれば、貧困層に属する子供たちは、よりよい生活を実現するために、オーストラリア、カナダ、それ以外の国々に送られていったということになっています。

しかし、これらの子供たちの何割かに対しては、それらの土地で大変残酷な仕打ちが待っていました。

オーストラリアの首相は謝罪し、数十万人に及ぶ当時の子供たちが現地で残酷な対応をされたという事を曝露しました。

これは1930年から1970年代にかけて、孤児院で生活していた子供たちについてでした。
彼らは強制的にイギリスから送られてきていました。

多くの子供たちには、両親が既に亡くなっているとか、送られた先の土地では豊かな生活が待っているといった嘘がつかれていました。
受託機関側は政府と共同で作業し、子供たちをあたかも明るい未来にむけて送り出すかのように仕事をしていたといいます。

しかしその明るい未来は、現地での農地や工場での肉体的、精神的に過酷な労働、そして性的虐待によって、埋め尽くされていました。
これらの孤児たちは巨大な、そして多くの場合大変隔絶された場所にある施設に引き取られていきました。
そしてそこでは、大変残酷な労働と規則が強いられていました。
行政などによる何らかの視察や監査というものはなされていませんでした。

子供たちの移民の仕組みは、1969年に作り上げられました。
そしてここに、実際に移民させられた人の証言があります。
ローレという移民させられた人の証言があります。

他の少年たちと一緒に1947年に、西オーストラリアに送られ、その際の移動を指揮していたのは、「キリストの兄弟たち」という団体でした。

一番初めに送られた場所は砂漠の景色のある所で、その後、2つ目の場所は放置された畜産農家だったといいます。
少年たちは自分たちで町を建設しなければならず、10歳くらいの年齢の子供たちは労働をさせることになりました。

子供たちは学校、寝室、台所などを建設しつつ、鍬とスコップで土地を開墾し、手作業でセメントを混ぜ合わせ、焦げ付くような暑さの中、仕事を行っていました。
仕事のノルマをこなせない子供たちについては、殴られたり、そのため骨を折るほどでした。

子供たちが居住している町々で一般的なのは、性的虐待でした。
これらのことが起こっていたのは20世紀です。
19世紀については、記録さえ残っていないのです。

公式の歴史の情報では、それらの孤児院では、大変丁寧に子供たちが世話、教育をされていたかのようにされていますが、事実はまったく違い、世界中で恥ずべき、子供たちの奴隷労働が蔓延していたということがわかります。

歴史の中で、純粋な心の子供たちが過酷な奴隷労働をさせられてきたこと、子供たちへの性的虐待が行なわれてきたこと、これまでの世界がいかに酷いものであったのかを皆んなが認識し、二度とこのようなことを繰り返さない、より良い世界へと変革していかなければならないでしょう。

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