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マッドフラッド 7 / 人口増加の謎

こんにちは、TOYOです。
1816年、マッドフラッド(泥の洪水)によって、世界は壊滅的な状態を迎えました。
タルタリア帝国を中心とした、世界各国の街々が大洪水に飲み込まれ、建物は泥に埋まり、多くの人々が死に絶えました。

しかし、18世紀後半に突然、世界人口の増加が起こっています。
なぜ、世界でこれほどまでに人口が爆発的に増加したのでしょうか?
そこには私たちにずっと隠されてきた、歴史があるのではないでしょうか?

世界人口増加の謎

私たちのひいおじいさん、ひいひいおじいさんのあたりの世代にとてつもない人口爆発があったうえに、なぜか養子でもらわれてきたという話が異様に多い不自然さがあります。
その不自然さに対する、ひとつの回答とも言える仮説があります。

マッドフラッドで世界人口が大幅に削減された後に、突然、急激な人口増加が起こりました。
これは削減した人口を埋めるために、人間が新たにプリントアウトされたということです。それはクローンの創造という形で行われたということです。

ロシアの研究家アンドレイ・チュニャエフ氏は、人間がプリントアウトされていて、かつ20世紀より前の時代は全てヴァーチャルで存在していて、現実の存在はなかったというぶっ飛んだ仮説を公表しています。

反論は可能ですが、これは世界人口の増加の理由を見事に説明しており、
ひとつの仮説として無視できないものだと考えられます。

人口増加の動きは生物学的な観点で理解不能であり、あり得ない話です。
1950年から1953年にかけて最大出力でプリントが行なわれ、その後、ストップしたと考えられます。

ヨーロッパが現れたのは19世紀になってからです。
アメリカが出現したのは20世紀になって初めてです。

ローマでは、1900年頃から人口が加速的に増え始め、たった1世紀という時間だけを要して、人口はほぼ25倍にまで膨れ上がりました。

また、モスクワの街の人口は1世紀の期間で50倍に増加しました。
ここで注目したいのが、内戦があった年では、モスクワの人口はその時、2分の1にまで減っています。100万人以上の人間が喪失しました。
これらの人々がどこに消えていったかはわかりません。

この自然界において、これほどの出産能力を有した人間の集団というものは存在していません。

何らかの理由があったために、1953年に人間のプリントアウトのプロセスは終了してしまいました。

中国の人口の推移を見ていきましょう。
1953年から60年にかけて北京の人口はほぼ10倍に跳ね上げっています。

ここで結論を導いていきたいと思います。
初めに急激な人口増加のテンポがあり、そのテンポは生きている人間が出産できる能力をはるかに超えるもので、その後1953年にそのテンポは落ち、その後は実際に生まれた人たちが自分たちで出産をするようになります。

この分析によってわかったのは、私たちの現実のプリントアウトは、つまりこのようなゲームが起きたのは20世紀だったということです。

ロシアとヨーロッパの町々で活発にプリントアウトが始まるようになった年代とは、1850年代だったのです。

実は、軍ではクローン技術はもっと前から広く知られており、実用化されてきました。
19世紀には既に、クローン技術は産業界ではよく知られていたものだったという疑惑があります。
これは仮説ですが、この仮説はいくつかの事実が補強しています。

たとえば、中国の人口というものが、いったい何処からこれほど増加してきたのかということです。

人口の爆発的な増加は、中国だけではなく、東アジア全体に言えることです。
なぜなら、昔の情報源を辿っていくと、その地域に「人間がいなかった」ということがわかります。

モンゴロイドはどこから現れたのか?

なぜいなかったかというと、その地域がかつて厚い氷に覆われていたからです。それは、西暦1500年迄です。
単純にそこに「人間がいた可能性自体がない」のです

そして、そこに人間がいなかったという確証としては、"モンゴロイド"の頭蓋骨で150年前以上のものが、一切存在していないからです。
科学の世界で、そのような証拠が存在していないのです。

モンゴロイドこそが、南東アジアにおける主だった人種なのです。
そしてどういうわけか、150年前辺りからモンゴロイドという種族が現れてきたのです。

かつて厚い氷に覆われ、人間がいなかった地域に、なぜ突然モンゴロイドという種族が現れたのでしょうか?
彼らは、150年前、クローン技術によって作られた種族である可能性も考えられるのではないでしょうか?

中国のリーダーがブルドーザーを使って、すべての小型の墓を埋めてしまうという命令をしていたりします。なぜそのようなことをしたのでしょうか?

かつて中国には墓地が存在していなかった、という事実を隠蔽するためでしょうか?

歴史に埋もれた子供たち

これはロンドンにあった孤児院です。ここだけで4500人の孤児たちを収容することができました。
イギリス全土では、実に64の孤児院があったそうです。
単純計算で、28万人もの孤児たちが、孤児院に収容されていたわけです。

しかし、このことは単にイギリスだけで起こったことではありません。
これは世界中で同時に起こっていたのです。

20世紀初頭、ニューヨークでは数千人収容の孤児院が4つあり、モスクワでは毎年18000人、イタリアでは毎年3万2千人の孤児が生まれていて、スペインとポルトガルでは毎年1万5千人の孤児が生まれてきていたそうです。

1860年以前では、37万4千人の赤ちゃんが、ミラノ、ナポリ、フィレンツェの孤児院で受け入れられていたといいます。

歴史研究家のデビッド・ランセルによれば、モスクワでは1万6千から1万8千人の孤児を1880年まで毎年受け入れていたといいます。

また、当時のヨーロッパでは、経済崩壊によって、結婚が成立しなくなっており、大量の未婚の母たちが出現していました。
各国政府は、このような、未婚の母から生まれた子供たちを、非嫡出子として排除する政策をとりました。

アメリカでは大人たちの数が絶対的に不足しており、工場や農園で主に働いていたのは、ヨーロッパで母親から引き離され、船で運ばれて売り飛ばされた、孤児たちだったのです。

非常にたくさんの両親のいない子供たちの奇妙な状況は、多くの研究者たちによって文書で明確に記録されています。
しかし、実際のところはこの19世紀の期間の間に、いったいどれだけの孤児がいたのかということはまったく不明です。

しかし、これらの大量の孤児たちと、未婚の母たちの数があいません。
ヨーロッパ全土で毎年数100万人単位の孤児たちが発生していましたが、果たして未婚の母たちはこんなにいっぱいいたのでしょうか?
本当にそれほどたくさんの女性たちが、子供たちを手放したのでしょうか?

これは当時の遊園地のアトラクションにあった、インファント・インキュベーターという施設です。

中に入ると、保育器の中にいる赤ちゃんが展示されており、看護婦さんたちが世話をしています。

これらの施設で展示されている未熟児たちは、合計で8万人にも上っていたそうです。
こんな多くの未熟児たちが一体どこから来たのでしょうか。彼らの母親はいったいどこにいるのでしょうか。

彼らの成長後の姿です。なんと、全員同じ顔をしています。

当時の兵士たちの集合写真です。まったく同じ顔の人物が何人もいるのがわかります。

クローン / プリントアウトによる人間製造

こちらは1737年に書かれたとされる、ペテルブルグの都市計画図の一部です。とても奇妙な絵ですが、瓶に入った赤ちゃんが描かれています。

施設では、多数のクローンや、レプリケーターでプリントアウトされた赤ちゃんが製造されていました。
ある一定のひな型の赤ちゃんを大量に製造したので、顔が同一の人物が大量に発生したということのようです。

これらの赤ちゃんは成長して子供を作り、マッドフラッドで減少した人口は速やかに元に戻っていきました。

このような人工的に製造された赤ちゃんたちの子孫が、バイオロボや、bot である、ということができるのではないでしょうか。

私たちの文明は、これまで何度もマッドフラッドによって崩壊し、その度に、プログラムがリセットされ、人間がプリントアウトされてきたのではないでしょうか?

私たちの中に、確実にクローンの人々が存在しているという事実を理解する必要がある時代にきているようです。


このブログ作成にあたり、一日一食 OMAD エンドゥさんの動画、笹原俊さんのブログ内容を転載させていただきました。


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