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飯野純平さん・神宮一樹さんインタビューPart2「木々の声が聴こえる」

塔と井戸 ダイアローグ 第2弾
飯野純平×神宮一樹×佐藤悠

Part2「木々の声が聴こえる」
2021.04.24.


こんにちは。塔と井戸・佐藤悠です。

ダイアローグ第2弾のPart2です。
今回も、前回のPart1に引き続き、飯野純平さんと神宮一樹さんへのインタビューで伺ったことをお届けします。
前回は、お二人の高校時代についてお話ししてもらいました。それぞれ、高校内の人間関係や雰囲気に影響を受けながら、少しずつ音楽や本に触れ、自己の幅が広がっていったことがわかりました。

今回は、そうした経験を経て、二人は“師”と呼べる存在に出会った大学時代のお話を聞かせていただきました。この出会いが二人にとって、大きな風となります。

まずは、「影響を受ける」とはどういうことなのか、そんなことから話してもらいました。今回も最後までお楽しみください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

考えを失う瞬間、先鋭な自己が現れる

佐藤:前回のお話から少し考えたのですが、私含め3人とも、高校生と関わる仕事をしているのが共通じゃないですか。

飯野:うん。

佐藤:若さとは何かってよく考えるんですけど、若さって「影響を受けられること」だと思うんですよ。

神宮:はいはい。

佐藤:挑戦できるとか、失敗できるとか、時間があるとかいろな言い方ができると思うんですけど、若さとは「影響を受けられること」だと思うんです。高校時代の影響の受け方は、すごく特殊だと思うんですよね。人の生き方に惹かれるというか。

神宮:うん。

佐藤:人とか作品から影響を受けるという経験が、若い時代の一番良い過ごし方だとは当然思わないし、「みんなそうなってほしい」と思っているわけではないんですけど、「今の高校生たちはどうなんだろう」と気になる時があって。どうですか?お二人の周りの生徒は。すごく落ち込んだり、何かに興味を持ったりとか。そういう話を聞くことはありますか?これは、本題と少し逸れますが。

飯野:一見すると、何も影響を受けていないように見える。引っ掛かりのない日常を過ごしているように見える。神宮くんどう?

神宮:うーん。それについては、たしかに本人たちが「おもしろい」って言っていても、次の週には忘れてるからわからん。

飯野:あーなるほどね。

神宮:生徒に関して言えば、あんまり受けてはいないと思う。これは少しメタ的な意見になっちゃうけど、俺が思うに人ってそんなに大きな影響をしょっちゅう受けられるものではないと思うし、もう一つ思うのは、他人から影響を受けることってそんなに大事なことなのかなって思っている。今までの話の流れを全部ぶった斬ることになるけど。

佐藤:どういうことですか?

神宮:音楽とか作品とかを見ることで学ぶことはたしかにあるし、俺もいろんなものに影響を受けてきたけど、それ自体が大事かと言うとあまり大事ではないと思っていて。

佐藤:はいはい。

神宮:というのは、自分が持つ価値観って、後々自分が似た経験をしてそういう感覚と一致するから起こるものだから。だけど、他人が作ったものだけが先行している人って結構いる気がするんですよ。

飯野:うんうん。

神宮:「この映画のこのシーンがどうだ」とか、「この人はこう言っていて」とかね。「お前、何も考えてないじゃん」って思うの(笑)。

飯野:たぶんそれ、僕の世界観では、その姿勢は「マニア」的だと思うんだよね。

神宮:そう。ただの愛好者であって、

飯野:影響を受けているわけではない。

神宮:そう。そこに委ねているだけなんですよ。自分の一部を。そうじゃなくて、自分の一部に巻き込むくらいにならないといけないと思う。こっちが食わなきゃいけないのに、そういう人たちは大きな物のエサになっているだけなんだと思う。だから、僕は、究極他の物に影響を受けずに、自分の哲学を作り上げればいいと思う。だから、啓蒙書は読まないって決めている。単純に胡散臭いっていうのもあるけど(笑)。

佐藤:僕も読まないです(笑)。

神宮:それこそ、PDCAとかもすごく嫌い。そんなの自分で仕事しながら見つけていくしかないじゃん。

佐藤:それが、今回の話の最初に戻ると、風は僕らをどうこうしようとして吹いていないっていうことだと思うんですよ。

神宮:そう。その通りだと思う。

佐藤:だから、自己啓発本とかを読んでも何も思わないんだと思います。その一方、本当に面白い物に出会えたときは、自分の考えも消えていくと思うんですよね。それが、時間が経ってから、「こうだったんじゃないか」とか、自分なりの解釈が後から付いてくるのではないかと思うんです。本当に面白い物に出会ったときは、言葉を失うような感覚になるというか。

神宮:その、言葉を失うほど、自分が何の感想も批評もできないほど惹かれるということは、一番「俺はこういうものが好きなんだ」という自己表現だと思うんだよね。それに打ちのめされるっていうのが、そこに自分の価値観が一番表れているから。

佐藤:そうですよね。

神宮:そういう経験は良いと思うんだよね。「こういう言葉を知っていれば、これは人に言える」とかそういう影響の受け方は、面白くないというか。

佐藤:それはダサいですよね(笑)。自分がコントロールできる範囲なんですよね、そういうのって。

神宮:たとえば、僕すごく野球好きで、よく試合見ながらああだこうだ言うんですけど、それってめちゃくちゃ気持ちいいのよ。だって責任感ないから。たぶん、僕サッカーより野球が好きなのは、やったことないからなんだよね。傍観者だから。

佐藤:それが、第2のテーマにつながるところでもあるんですけど、僕は“冷静な批評家”になりたいと思わないんですよね。

飯野:なるほど、そこに繋がるのね。

佐藤:批評家は風になれないと思うんですよ。もちろん学術的な批判は違いますよ。だけど、評論家は風にならないし。そういうの最近多いですよね。

神宮:さっきの話に戻すと、俺は野球の記事とかいろいろ読んだりしてるけど、俺から野球について影響を受けるやつは絶対出てこないし、野球選手になりたいってやつは絶対出てこないんだよね(笑)。

飯野:風にならないってことだよね。

神宮:そう。もしかしたら、本とか作品もそういうものだと思うことがあるかもしれない。

言葉にできない引っ掛かり

飯野:若いときは何が良いかというと、“言語化できない”という経験をできることだと思うんだよね。彼らが出会う、驚き・引っ掛かりは言語化できないからこそ、僕らには見えないのかなって思うんだよね。

佐藤:なぜですか?

飯野:たとえば、自分の堂本剛に関する話で言うと、神宮くんと僕の高校生活の終わりには3.11が待っていて。

佐藤:その年だったんですね。

飯野:3.11で2010年代が始まって、僕らの大学での学びは、紛れもなく3.11以後の世界とどう向き合っていくかっていうことでもあったはず。でも当時は、自分の(大学の)後期入試がなくなったこととかにしか目が向かなくて、そういうことを大事に捉えず生きていたんだよね。だだ、そのとき聞いていたのが、(堂本)剛くんのラジオ。彼が、やたら深刻に自分がどういう状況にあって、被災したファンに寄り添おうと話していたことはとても覚えている。当時は、「彼は優しいからこういうことをするんだろう」くらいに思っていたのね。だけど、後々振り返って、「なるほどそうやって連帯しようとしていたのか」とわかったのね。アイドルの役割とか、ファンとの結びつきとか、ラジオというメディアで繋がるということの意味がようやくわかって、そこで初めて風がバーっと吹く感覚があった。だから、問題意識は持てていないにせよ、3.11発生の当時から言語化できない領域で引っ掛かりがあったんだね。言語化できない、つまり処理しきれないモノと出会った。処理しきれないモノに出会ったときって、閃光がビュンって行く感覚だと思う。音速を超えた巨大なモノが過ぎ去っていくような感覚なんだよね。その後から、風が吹くっていうか。アニメとかで音速を超えたものってあるじゃん(笑)。

神宮:遅れてくるやつね(笑)。ライトセーバー的な(笑)。

飯野:そう(笑)。遅れて風圧が来るみたいな(笑)。僕のその3.11について、後から深く気づけたという経験も、そういう光が過ぎ去っていったような経験だったのかなと。高校生の時って、処理しきれない、自分の言葉の網の目から漏れるというか。そういう経験をできるのが、とても豊かなんだなと。大人になると言語化できちゃうから。引っ掛かりがあったとしても、即座に意味づけができちゃう。それは良いことかもしれないけど、もしかしたら何かひどく貧しいことなのかもしれない。だから、僕は高校生たちに対して、「音速を超えた何か、理解を超えた何か」になれると嬉しいかもしれない。彼らの中に、言語化できない引っ掛かりとして残るというか。それが、自分が風になれる可能性かなあ。

佐藤:たしかに、処理しきれないものに出会って、後からその意味を理解するという経験は、若さの象徴って感じがしますね。よくわからない苦しみや悲しみや感動が来て、後から「あの経験ってこういうことだったんだ」とわかることですよね。だけど、今だと同時刻的に分析できてしまいますよね。「あの人はこういう人で、こういうキャリアを積んでいて、こういうバックグラウンドがあって」みたいな。そういうコミュニケーションを取っていくことが大人のコミュニケーションでもある。若いときは、そのズレがあるのかもしれないですね。

ただ目の前にいる人間と向き合う

神宮:今の話聞いて思ったのが、少し飛躍するけど、大人って、今から向き合う人の経歴や出身を気にするじゃない。学歴しかり、キャリアしかり。海外に行けば、国籍とか。そこを手がかりに相手のことを知ろうとするというか。人間って、たぶん知らないものに出会うのが怖いから、初めて会う人に対して、出身の大学とかを聞くことで、「聞いたことある大学だから、優秀な人なんだろうな」とか判断して、先に予想して関わっていたりすると思うのね。

佐藤:それがコミュニケーションの定石ですもんね。

神宮:だけど、僕がイタリアで行った刑務所とかは、一番自分の知らない環境だった。イタリアのナポリの下町のマフィアの人たちの人生って、一番想像がつかないの。それと同時に、向こうからすると、日本が中国と同じ国だと思っている人もいるくらいだから、アジアの国から来た若造のことを、お互い何も前情報がないんだよね。寿司を食う人種くらいしか知られてないんだよね(笑)。

佐藤:侍がいたとかですよね(笑)。

神宮:そうそう(笑)。一方、僕が彼らに対して知っているのは、彼らは何らかの法を犯した過去があるということくらいだったんだよね。何も前情報がない状態で、僕という人と接してくれる。僕もその人を「犯罪者」ではなくて、そこにいる「あなた」と接することができる。この経験が僕にとって重要だったと思うんですよね。知らないから、先に情報を入れて、ジャンル分けして、人間を規定しておきたいという作用が働いちゃうんだけど、それがあるとどうしても目の前の人間を見られなくなると思うんだよね。差別とかの根源って全部これだと思うんだよね。

佐藤:まなざし(集団から偏見の目で“見られている”ということ)ですもんね。

神宮:まさにそう。それを超えた先にある、ものすごく細かい繊細な人間の差異をちゃんと見たいって思う。行った当時はそこまで意識していなかったんですけど、それが自然とできていたのかなって思う。

遠く離れた国の、想像もし得ない人生たちが、交わる瞬間。
イタリア・ナポリ近郊の過疎地域で、住民との演劇ワークショップにて

世界との溝が埋まる瞬間

佐藤:次に、二人に吹いた大学時代の風について聞かせてもらいたいです。

飯野:大学に入る前の話になるけど、受験中に世界史と現代文の先生に打たれたんだよね。「こういう学びの世界があるのか」と。世界史の勉強をしていると、その時代に人が呼吸していた厚みが感じられた。あと、現代文の評論文で、「死」をマイナスに捉えるのではなくて、「死」をきっかけに親族同士で集まって、絆を確かめ合うという内容の文章を読んだのね。一緒に死を悼むことで共有して、連帯を感じ合う。死のポジティブな面を論じているんだけど、それを先生を介して教えてもらったとき、すごく泣けたのよ。打たれたのね。

佐藤:受験の時からそういうものにも触れていたんですね。

飯野:そう。大学入って結局何のサークルにも入らず、予備校で生徒に教えて、大学と図書館と予備校を行き来していたのが、大学1年生。外大は、旅が大好きな人間がめちゃくちゃいて、俺も旅したいなって思っていたんだけど、如何せんビビリで、ガチガチに準備したりして、一人旅とかで徐々に範囲を広げていったのね。大学2年の夏のとき、北海道に飛行機で行って、そこから電車で回るっていう旅をしたんだけど、そこで吹かれた風がめちゃめちゃ覚えていて。めっちゃ感動したんだよね。今思っても、言語化不能な体験で。

佐藤:北海道のどこに行ったんですか?

飯野:美瑛だね。ずっと行ってみたかったのよ。

佐藤:僕も大好きですよ、美瑛。

飯野:いいよね。美瑛に着いて、自転車に乗らず、のさのさ歩いていたのよ、ロードを。なんかすごくいい気持ちで歩いていたのね。後の卒論にもつながるんだけど、このときに遠くに見える木々があって、音もなく揺れているのよ。すごく気持ちの良い風が木々を揺らしてるような気がして、その木々のざわめきが、物理的には聞こえていないんだけど、すごく聴こえた。木々のざわめきというか、木々の声を受け取ったような経験だと思っていて。一つのこの世の真実を受けたような気がして。めちゃくちゃ泣けたの。世界との溝が埋まったというか。

聴こえないはずの木々の声が、聴こえた

飯野:それで、当時たまたま見知ったグリッサン※1 の言ってることと、何か共鳴するように思えたんだよね。

 ※1 エドゥアール・グリッサン:カリブ海のフランス領マルティニーク出身の作家、詩人

神宮:グリッサンもよく読んでたね。

飯野:そう。それで、グリッサンが論じられた文章のなかで、引用されていたのが今福龍太先生の文章で。他の文章でも、なぜか彼(今福龍太)の名前にたびたび出会ったんだよね。「このおじさん、また出てきたな」と思って、調べたら、なんと自分の大学にいる人だってわかって、興奮して先生のところに行って、それで彼のゼミに入ることになった。今福先生とは、実は予備校の時にもすれ違っていたみたいで。受験の時に使っていた現代文のテクストに先生の文章が載っていることに気づいたの。自分が深く打たれた予備校の授業のなかで、もうすでに先生と出会っていた。

佐藤:出会うべくして、出会っていたんですね。

飯野:そう。後になって、答え合わせみたいなのが起こるのかな。する必要もないんだろうけど。自分の人生が豊かな感じがして嬉しい。風に吹かれている感じが。

佐藤:風というか交点の中にいる感じってありますよね。

飯野:一つの結節点というか。

佐藤:いろんな人間が生んできた文化の中継点に、自分はいるのかもしれないっていう感覚ですよね。

今福龍太との出会い

佐藤:二人のゼミの教授である今福龍太さんについて聞いてみたいのですが、今福先生とはどんな方だったんですか?

飯野:先生は、大学院に直で行って論文書くことはしていないらしいんだよね。アカデミックな世界とは一定の距離を保ちつつ、真木悠介※2 さんの本を読んだり、ゼミに行ったりするなかで、メキシコのフィールドにも行っていたらしい。僕が、修士論文書いていたときに、「僕、『論文』はあまり書かないから」みたいなこと言うわけ。それもあって、良い意味で、アカデミックな何かを教えてもらった感覚がないんだよね。

 ※2 真木悠介:1937年生まれの社会学者。見田宗介さんの筆名。

佐藤:こういう分野(文化人類学など)の人って、研究者という感じでもないですよね。僕もそういう人に惹かれる傾向があります。大学とか学会で評価されることに全然興味なくて、むしろ冒険家みたいな感じなのかな。うまく言えないんですけど。

飯野:わかる、わかる。

佐藤:それもさっきの神宮さんの話じゃないけど、独特のラインですよね。頭良いけど、エリートではない。だけど、完全にアウトローでもない。独特の立ち位置の置き方をしている人だと思うんですよね。

飯野:一つの見方をすればそういう感じ。

神宮:僕にとって、今福先生は、さっき僕が言った、“圧倒的に力はあるけど、王道ではない人”の良例だよね。身近にいた人。あと、すごく遊びを大事にしている人だったよね。

飯野:そうそう。

神宮:さっき純平くんが言ったけど、“幅”。あと、知識の幅。サッカーのこととかすごく知ってるし。俺が衝撃受けたのは、ゼミの説明会の最初に自分が好きなものとかを言ったんだけど、同じ学年で「ディズニーが好きです」みたいなことを言った子がいて、「明らかに今ディズニーの話とかじゃないだろ」って俺は思ったんだけど(笑)。今福先生は「ディズニーも面白くて、ドナルドダックは・・・」とか、ディズニーの話をすごくしていた。単純にすごいと思ったんだよね。あと、自分が是としないものには結構厳しくて、嫌いなものは嫌いって、はっきりしていて、人間的なところがある。やっぱり賢い人だから、その作品が良くないっていう理由は、言葉で説明できてしまうんだけど、たぶん感情的に嫌いなんだろうなって俺は思っていて、こんなに頭が良い人の人間臭さというか、感情的に見える部分が結構好きだった。

佐藤:それも結構大事な視点ですね。たしかに頭の良い人は、自分の感情的な好き/嫌いとか、ある種弱い自分を知識によって隠せるんですよね。だけど、わかっちゃいますよね。見てるこっちとしては(笑)。

神宮:だから、純平くんの言葉を借りれば、彼は感情として嫌いっていうのが先にビューンって通り過ぎて、それを補足するかのように知識というか、
学術的なことを言うけど、俺は今福先生の感情が見えるときが結構あって、それが人間臭くて。普段会っているときとかは、言葉を荒げたりすることはないから、だけど言葉とかで怒りが見えてきて、俺はそれを面白いと思うかな。

飯野:そうだね。

神宮:あと、僕と純平くんが親密になったのも、先生がサッカーの模型を作る機会があって。

飯野:ブラジル大会のときだね。なんか、ワールドカップ関連で仕事がたくさん来るんだよね、先生は。

佐藤:そうなんですね。

神宮:しかもブラジルだったからね。

飯野:渋谷のヒカリエで展示をすることがあって、先生がゼミ生の僕らに「なんか、作らない?」って言うのね(笑)。

佐藤:東京外大が楽しそうですね。いいなぁ(笑)。

渋谷ヒカリエに展示された、お二人が製作した作品

飯野:これこれ。

神宮:うわ、懐かしい!

飯野:他のゼミ生も参加してたんだけど、結局夜な夜な研究室でやっていたのは、僕と神宮くんだけだった。

佐藤:あぁーそうだったんだ。

飯野:2人で文化祭の準備してるみたいな(笑)。

神宮:毎日こうやって粘土こねてね(笑)。

飯野:絵の具で塗ったりして、それを車で渋谷のヒカリエに持っていて、飾って。

神宮:鳥人間みたいなの作ってね。

飯野:そういうところだよね。最初はそういう遊びだったよね。最初は。

神宮:あれで、いろんな話をしたんだよね。

飯野:あの時間、手を動かしながら、いろいろ話したから。段々馴れ馴れしくなっていくっていう。

飯野:だから、「こんなものを展示していいのか」って思ったよね(笑)。

神宮:だって、僕ら何の造形作家でもない学生が、粘土こねただけだよ(笑)。

佐藤:たしかにそうですね(笑)。

神宮:それがさ、渋谷のヒカリエに展示されるっていう(笑)。

飯野:それが、”今福龍太”の名前でやってることなのに、こうやって任せてもらえるんだなっていう。これが先生の一表情だね。

神宮:あと、今福先生に関して言うと、純平くんに接する「今福龍太」と、僕に接する「今福龍太」は全然違うんですよ。僕は好き勝手やらせてもらったんだけど、純平くんは論文書いたりするときに、すごく厳しかったんじゃないかと思うんだよね。だから、僕は敗北感みたいなものを教えてもらえなかったんだよね。

佐藤:違う接し方だったんですね。

神宮:僕には「好きにやってごらん」みたいな感じだった。最後の卒業研究まで。「彼に勝てないな」みたいな敗北感を感じたことはなかった。以前、純平くんにメールで書いたことがあるんだけど、その頃純平くんは論文のことでだいぶ参っていて。俺はそういうことを経験していなかったから、少し羨ましい気はしたんだよね。どう?飯野くん。

飯野:そうだね、あんまり褒められたことはなかったかもしれない。「院に来ないか」とか唆されたときだけだよね(笑)。だから、修論のときも年末に彼の地元の湘南の方まで行って、添削を受けに行ったのよ。そうしたら難しい顔して、急にいっぱい赤入れ始めて、「ここもだめだね」とか言い始めるわけ(笑)。「いや、そこ2ヶ月前に良いって言ってたじゃねぇかよ!」ってこっちは内心思ってるの(笑)。「この段階に先月までにきてほしかったよね」とか言ってきて、急に難しい顔して「読むの辛い」とか言うわけよ。

神宮:(笑)(笑)。

飯野:めちゃくちゃさと一緒に敗北感的なものは確かにあって。一方ですごく愛情的なものも感じていて。ムチ8、アメ2くらいの感じでもらっていて。

佐藤:飯野さんには厳しかったんだ。

飯野:大学院もジョイス※3 関係で研究したかったけど、どう補助線引いたらいいかわからなくて、もう院辞めたいなくらいに思っていたんだけど、彼にも相談して。半ば八つ当たりのように。そうすると、辞めようと思ってるって話した後に、数日経ってから、メールで「もったいない」と。「こういう君に合う作家もいるし、自分の蔵書も一括して半永久的貸すからやってみないか」と言われるわけですよ。「修士の肩書きがあった方が、君の人生にも都合が良いでしょ」みたいな。たぶん自分が誘ったのもあって責任を感じていて、愛情と一緒にすごく長々とメールをくれて。また、この文章がうまいんだわ(笑)。

 ※3 ジェイムズ・ジョイス:1882年生まれのアイルランドの小説家、詩人

佐藤:(笑)(笑)。そうだったんですね。

飯野:まぁそれで絆されて、横浜に誘われて行って中華料理一緒に食べながら、そのとき中村隆之さんというグリッサンの研究してる若手の研究者の方がいるんだけど、「その人と会うから一緒に喋ろうよ」って言われて、そこで中村さんにも「若い時に時間をしっかりとって、一つの物事をゆっくり考えるのは貴重ですよね」と励まされて、蔵書もそこでもらった。修士論文でかなり影響を受けた、キアラン・カーソン※4 という詩人にも今福先生の導きで出会って。まぁそういう優しい面、憧れるような面も持っているよね。めちゃくちゃな壁、ずっと自分の進むべき、夜空の北極星のような座標を示してくれる。自分のなかで、神話の世界みたいになってる。

 ※4 キアラン・カーソン:1948年生まれの、北アイルランドの詩人、小説家

佐藤:神話の世界。

飯野:うーん。すごかったよね。世界の言葉の頂点でありながら、最深部みたいなところを見せてくれるというか。龍太と出会った初期のころに、吉増剛造とのセッションにも連れていかれたことがあった。剛造が目隠しして、龍太がスペイン語の詩を朗読して、ゼミのサックス吹ける子がサックス吹いて、剛造が目隠ししながら、インクぶちまけたりするパフォーマンスをしてたんだよね。「怖っ」と思いながらも、「何、この世界」と思って。言語化不能な意味不明な世界に出会わされたというか。でも、それが後々、時間を経るほどに、自分の中で言語が生まれる母胎みたいなものになっていった。今福先生は消化不能で異次元な、この先も自分にレスポンスをくれる対話相手みたいになってる。離れていても心に住んでて、自分のなかで何かをするたびに囁いてくるリトル龍太さんみたいになってる(笑)。

佐藤:ずっと飯野さんの中に残っているんですね。

飯野:生徒に勉強を教えていても、この辺(頭の後ろ)から「ダメだね」みたいなことが聞こえてくる。

わからなくていい

神宮:個人的に、僕にとって「今福龍太」に匹敵する語るべきは、あと3人いるんですよ。自分の話で言うとイタリアの話を言いたくて。さっき飯野くんが、「ここに繋がるんだ」みたいなことを話していたけど、僕も偶然の啓示というか、真実が語りかけてくる瞬間があると思っていて、実は今も起きたんだよね。このタイミングで、今福先生に匹敵するイタリアの師匠から、数ヶ月ぶりにメールが来て。その人の話は絶対にしなくちゃいけないので。ちょうど君たちと話しているときに連絡が来ていて、僕はやっぱりそういうのを感じ取ってしまう。「なんかあるな」って。

佐藤:そういうのって感じますよね。このタイミングでこれに出会うのは何か意味があるんじゃないかって勝手に解釈してしまう。

神宮:客観的に言えば、こっちが勝手に解釈してるだけなんだけど。さっき純平くんが北海道の木を見たときに、世界との溝が埋まったって話をしていたけど、僕も似た感覚を持っている。真実が話しかけてくるときの、「これがこの世に隠されていて、あなたが探すべき真実だよ」って囁かれている感じがするときがある。そういう出来事って何回かあって、今もまたこれの小さいバージョンだったかなってでしたね。

佐藤:「語りかけてくる瞬間」というのは、僕にもありました。僕は感傷的になるときとか、少し涙が溢れそうになるとかに、心地よい風が心に吹く瞬間があって。たとえば、何か印象的なことが起きた後に見るきれいな空が、生きていることの素晴らしさを一瞬にして教えてくれたような気にさせられたことが何度かありましたね。僕も敏感なんですよね。これは忘れちゃいけない瞬間だって。

神宮:今の話を聞いて、飯野君がいる能登町で身体マイムのワークショップをやったときのことを思い出したんだけど、そのときに書いたこととすごく重なるんだよね。

佐藤:どういうことですか?

神宮:簡単に言うと、「わからなくていいんじゃないの?」ということだね。僕が一番ワークショップのときに伝えたかったことは、「わからないものをわからないまま受け入れる」こと。さっき僕が言ったような、事前情報とか何もない状態で触れて、「わからないよね」という豊かさを伝えたかった。でも、レッスンとか講義は、わかりやすいものにしていかないといけないじゃん。この時点では講師という仕事に就くとは考えていなかったけど、教えることの課題を感じた機会だったんですよね。わからなくていいんだけど、わからないところに触れたときの刺激の豊かさを伝えたい。

佐藤:それは、毎日思いますね。

神宮:だけど、生徒はわからないとダメなんだって思ってるじゃん。学校の教育って、わかって、覚えて、点を取ることが正義じゃん。そうなんだけど、そこからもう一歩先に行くには、わからないものに裸のまま向き合って、何が生まれるか、何を感じるかが大切だと思うんです。

わからないものに、身を委ねる。それが遊び。
飯野さんが企画し、神宮さんが講師を務めた、能登町での身体マイムワークショップにて

佐藤:わからなさを楽しみつつ、一緒にそういうことに迷える関係性を作ることも大事ですよね。一緒に悩んで、一緒に困るという。

飯野:だから、弱さを一緒に抱えていたいっていうのはそういう意味だね。自分が苦手なこととか傷ついたことを生徒と先生っていう間柄を超えて、絶対的な存在にならないためにも、一緒に困る関係でいたいとは思うよね。

佐藤:それしかできないですよね。結局、僕らは一緒に困っていくことしかできないと思います。

Part3へ続く>

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

いかがでしたでしょうか。
Part2では、お二人が出会った大学時代のお話と、今福龍太さんについてお話を伺ってきました。次回のPart3では、神宮さんのイタリア・ナポリへの留学について教えてもらいます。
ぜひ、お楽しみに。

飯野 純平(いいの じゅんぺい)
1992年6月23日生まれ、東京都小金井市出身。東京外国語大学卒。在学中に書物に導かれて参加した今福龍太ゼミ、そこで神宮一樹と出会う。創作や旅を続け、北アイルランドの現代詩人研究をする傍ら、言語と教育に自身の生きる道を見出し、2019年から石川県能登町にて地域教育に従事。受験勉強の指導をする一方、言葉のあり方を考える時間を生徒と数多く共有。能登をフィールドとした言語活動、書道パフォーマンスの共作等。3年を過ごし故郷ともよべる存在となった能登を離れた現在、高校生対象の教育現場にて自身の言語教育スキルをさらに磨きつつ、「街の言葉屋」として活動中。大切にしていることは「詩をものすことではなく、詩に生きていられること」。

神宮 一樹(じんぐう かずき)
1992年6月23日生まれ、埼玉県深谷市出身。東京外国語大学在学中、今福龍太ゼミで、飯野純平と出会う。留学先のイタリア・ナポリで、街それ自体が孕む演劇性に魅せられる。身体マイムとイタリア仮面劇を学ぶ傍ら、刑務所や過疎集落など、<今、ここで>あり得る表現に触れる。石川県能登町でのワークショップを経て地域教育に興味を持ち、2020年より愛媛県伊方町公営塾にて高校生と学びを共にする。主に英語を担当し、即興性や言語を通じた文化考察を重視した指導を心がける。2023年より、埼玉県秩父市にて高校魅力化コーディネーターを務める。「人が人といること。人が人としてあること。」を大切にしながら、<今、ここで、あなたと>だからこそありうる表現を模索中。

取材・執筆・編集:佐藤 悠


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