第28回「小説でもどうぞ」応募作品:完璧じゃない幸福
第28回「小説でもどうぞ」の応募作品です。
テーマは「誓い」です。
誓いと言われても、普段なにか誓うようなことはないからなぁ……と、なんとかひねり出した感じです。
がんばった成果を見ていただけたらうれしいです。
完璧じゃない幸福
右目を失明した。
ある夏の暑い日、人混みを歩いていたら目の前にあった日傘にやられたのだ。
私の右目を日傘で刺したやつは、立ち止まった私に目もくれずそのまま逃げ去っていった。
今思うと卑怯なやつだけれども、その時は痛みと欠けた視界に混乱してそれどころではなかった。
眼科に行って治療を受けたけれども、元々視力が弱かったこともあり、右目が見えるようになることはなかった。残された左目も、しばらく酷使しているうちにだんだんと視力が衰えていった。
今ではほとんどなにも見えず、白杖を使って生活している。
運が良かったのは、元々視力が弱かったせいで、街中に設置されている点字が読めること。それと、それなりの都会に住んでいるので、街中に点字ブロックがこまめに設置されていて、それを頼りに移動できることだろうか。
慣れた場所ならひとりで動き回ることができるけれども、はじめて行くような慣れない場所や、点字ブロックが少ない場所はできれば付き添いが欲しい。
それでも、白杖を持ちはじめた当初に思っていたほど、不安であふれているわけではなかった。
失明しても落ち込んでいないと言えば嘘になる。けれども、私は今の状況に負けてなにもできなくなるほど弱くはないつもりだ。
ある日、家のソファに座ってぼんやりしていると、隣に座った夫がこう言った。
「片目が見えなくなっても、不幸を嘆いたりしないんだね」
その言葉に、私は夫の声がする方を向いて返す。
「嘆いても視力は戻りませんからね」
かろうじて光を感じることのできる左目で、ぼんやりと夫であろう塊を捉える。夫は今、どんな顔をしているのだろう。今の私にはもうわからない。
コンタクトや眼鏡さえ着ければまだ人の顔を判別することができた頃。その時に見えていた夫の顔は、ころころと表情が変わっていた。本人はいつでも冷静でいるつもりだったみたいだけれども、喜怒哀楽がすぐに顔に出る人だったし、きっと今でもそうなのだろう。
でも、夫の表情が変わるさまを見ることはもうできない。
それでも、昔の記憶と夫の声色を頼りに、今どんな表情をしているのだろうかと思いを巡らせる。きっと、泣きそうな顔をしているのだろう。
「僕は、君の視力を奪ったやつが憎いよ」
それは知っている。
今まではっきりと言葉にはしていなかったけれども、眼科の検診に付き添ってもらっているときや、街中で私の白杖が突然蹴り飛ばされたときに、私にかける言葉の奥にはいつもそんな気持ちが隠れていた。
私は夫のその気持ちを否定はしない。けれども不毛だと思う。憎んだからといって私の視力が戻るわけではないし、その憎しみは確実に、夫のしあわせを削り取っているのだから。
だから私は夫にこう言う。
「目が見えなくなっても、わたしはしあわせですから」
そう、私はなにがあっても自分自身のしあわせを手放さない。
しあわせな人生を過ごすことが、私の立てた誓いなのだ。
この誓いは、神様とかいう存在を証明できないものに立てたものではない。
私自身と、私と共に生きてくれる人に立てた誓いだ。
完璧な幸福など存在しない。けれども、それなりのしあわせというものは存在するし、私はそれを逃したくない。
憎しみや嘆きに囚われて、周りの人がわけてくれるしあわせを、ひとつたりとも取りこぼしたくない。いや、取りこぼさないと誓ったのだ。
夫との結婚式のときに、ひとり心の中でそう誓った。
夫が鼻をすすりながら私のことを抱きしめる。とてもあたたかかい。
こうやって私を大切にしてくれる人の側にいられれば、私は自分の誓いを守れる。
そう思っているのに、涙がこぼれる。
いや、泣いたからといって、しあわせが消えるわけじゃない。この涙を受け止めてくれる人がいるのだから。
私と一緒にしあわせになると誓ってくれた人がここにいるのだから。
どんな困難が訪れたとしても、私は私を支えてくれる人と、誓いを守り続けるんだ。
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