見出し画像

誰も教えてくれない神社参拝の作法

今日も見て頂き感謝です。
写真家の立澤重良です。

今回は写真やバイク旅のお話ではなく神社のことについて書いてみます。

タイトルに「誰も教えてくれない神社参拝の作法」と書きましたが、誰も教えてくれないとは学校や親などから教育として教わらなかった、教わる機会が少なかったという意味でございます。

福島県 剣桂神社

さて、私たち日本人の信仰といえば仏教と神道(しんとう)であり、その他の宗教は割合として少数ですよね。

あまり詳しく書くと長くなるので、簡単に書くと日本に古くからある神道と5~6世紀頃に中国などを経由して伝わったインドの仏教の2つが一般的ということです。

宗教には疎い・・・という方のために優しく解説しますと神道は神社、仏教はお寺です。神道は自分が生まれてきたルーツ、仏教は悟りをひらくための学びの場です。

鳥居があって拝殿でパンパンと2回手をたたくのは神社神道。
仏像があって南無妙法蓮華経などのお題目を唱えるのがお寺の仏教。

奈良時代に神仏習合といって一緒にしようとする時代があった影響で、神社とお寺のハイブリッドのようなところも稀にあります。

元々あったのが神道、後から伝わったのが仏教。
興味深いのは他国の場合は異なる宗教が入ってくると争いを招きますが、日本の場合は見事に融合させてしまった点です。日本人ってつくづく特殊だと感じます。

九頭龍神社本宮 芦ノ湖に生(あ)れ坐(ま)された光の龍

さて今回は神社のお話です。

神社神道という宗教は教祖や教典を持たず、自然や森羅万象のあらゆるものに神が宿るという思想です。

古事記や日本書紀などの神話で登場する、最初の男女イザナギとイザナミ。

天界に坐するアマテラス様(お伊勢さま)、葦原の中つ国(地上の世界)のオオクニヌシ様(出雲の神様、別名で大黒さま)、海の神であり八坂神社のスサノオ様、闇夜と月の神様であるツクヨミ様、富士山をご神体とするコノハナノサクヤヒメ(浅間さま)などなど、もう書ききれないほど多くの神様がおられるのです。

初代天皇の神武天皇は神話上の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)とコノハナノサクヤヒメの子なので、天皇陛下が神話から続く神の系列であるとされるのはここにあります。

食事をするときに、コメひと粒、魚一尾、木の実もお野菜も果物も、すべて元々は尊い命であり、私たちが生きていく食のために犠牲になった命!それに感謝の祈りをささげる「いただきます」という合掌も神道の教えであります。

みなさん、ちゃんと合掌して「いただきます」言っていますか??

滝は多くの場合で八百万の神の伝承がある

樹木、野鳥、岩、蝶、キツネ、蛇、滝、川、海、山、雷、そして実在した人物も、ありとあらゆるものが神とされる。

高天の原(たかまのはら たかまがはら)の神様と中つ国の神様に加え、これら八百万(やおよろず)の神様もおられます。八百万は千と千尋にも出てきたので知っている方もおられるかもしれませんね。

この祖霊崇拝的な民族宗教である神道。

アマテラス様の登場は2世紀頃(または紀元前など諸説あり)の話ですが古神道では縄文より以前からある信仰で、もう気が遠くなるほど古くて宗教と言うよりは、宇宙物理学や量子力学に通ずるものがあるほど、知れば知るほど面白い哲学の世界なのです。

神社にあるご神木には注連縄(しめなわ)が巻かれている

神社とは日本に約15万8千社もあるそうで、コンビニの数の3倍くらいなのだそうです。有名な神社から地域の鎮守様、小さなお社までよく見るとそこらじゅうに神社があるのです。

有名なのは日本の中心的神社、簡単に言ってしまえばトップに君臨している神社が三重県の伊勢神宮。続いて島根県の出雲大社。厳島神社、鹿島神宮、香取神宮、諏訪大社、三島大社、宇佐神宮、明治神宮などですね。

多くの場合で自然豊かな土地にあり、ご神木や磐座(いわくら)、山や海がご神体として祀られ、その土地の地場とエネルギー場としても存在し、宗教の範疇をこえた宇宙哲学的なアクセスポイントでもあります。

精神の静寂を保ち神社の氣と地場のエネルギーを感じ取ろう

これら神社は私たち現代を生きる日本人の慣わしとして、お正月やお宮参りなどの節目に詣でる訳ですが、ちょっと気になるのは日常的に感謝のお祈りをする習慣が失われていることです。

むかしはどこの家にもお札か神棚があり、朝晩はお祈りをしていたものです。また玄関やお店の出入り口には盛り塩を、出かける際には火打ち石、祭日には国旗を抑揚、最初の収穫は初穂として納める、などの神道のならわしが徐々に失われているように感じます。

お祭りというのは神社の祭祀(さいし)のことで、賑やかに騒ぐのが大好きな神さまを、年中行事などの節目に氏子(地域の住民など)がおもてなしするのが本来のお祭りです。そのことも多くの人が忘れかけているのではと感じます。

詳しくは分かりませんが・・・どうも敗戦以降に教科書の内容が変わり、教育も様変わりしたところから、日本人の本質的な信仰や強さが失われた・・・いや奪われたしまったような印象があります。

神社のご神木にかぎらず森の中には特別な氣をはなつ樹木が存在している

さて、前置きが長くなりましたが参拝マナーでございます。

まず神社には自分が生まれたルーツとなる産土(うぶすな)神社、地域の鎮守である鎮守神社、そして自分の好きな神社である崇敬神社と、ざっくり3つに分けてみましょう。

産土神社はあなたが生まれてくる以前、あなたという霊魂は今のお父さん、お母さんの元へ「あの家庭で生まれたい」と産土神にお願いして誕生と至るそうですが、その時の【あなたを担当した神様】がおられる神社のことです。
その産土様は生まれたときの居住地の半径2キロ以内くらいに存在しているどこかの神社に眷属様(けんぞく とは神社を守る八百万)としておられるそうです。

鎮守様はいま住んでいるところの一番近くの神社です。最低でも月に一度は感謝のお祈りをするために参拝しましょう。
崇敬神社は直感でいいので好きな神社、行ってみたい神社、気になる神社ということでOKです。
ちなみに私の崇敬神社は香取神宮です。

自分に合った神社、崇敬神社は直感で決めよう

参拝はできれば一人で詣でるのが理想的です。誰かと一緒だとつい会話をしてしまい、心の静寂に集中できないからです。

参拝する時間帯はお勧めは朝の6~7時くらい。朝が早いと朝日を浴びる時点で太陽神であるアマテラス様へのご挨拶ができ、眷属である野鳥たちのさえずりを聞き、蝶や虫たちも活発で生命が満ち満ちた時間なのです。

お天気は雨が降っていたら参拝に適した日です。無理をしてまで出かける必要はありませんが、後で詳しく書きますが水は穢れを清めるので私は「禊(みそぎ)の雨」と呼び、喜んで雨の中を傘をささずに参拝します。
お店をやっている人なら分かると思いますが、雨の中でも来てくれたお客さんって嬉しいですよね。それ神社の神様も同じだと思うのです。

神職さんが朝のお勤めで拝殿で太鼓をたたいて祝詞(のりと)を奏上しているタイミングであれば更にラッキーです。
なぜなら本殿に主祭神様が降臨されているときなので、ちゃっかり正式参拝と同じような功徳をいただけるのかもしれません(私個人の憶測です)。

さらに早朝や雨なら観光参拝者も少なく静かにお祈りできます。唯一の難点は社務所がまだ開いていないので、お札やお守りが買えないことです。
参拝が終わって社務所が開くまで境内でゆっくり瞑想でもして過ごしましょう。

日光東照宮はお寺っぽい印象ですが徳川家康を神格化した神社です

愛犬家の方はワンちゃんを境内に入れないように(最近では許可された神社も増えてきたようです)。
帽子やヘルメットなど被り物は脱ぎます。
服装は派手な色はなるべく控える。カジュアルでOKですがだらしない服装は失礼なので避けましょう。
靴に泥などの汚れがある場合は境内に入る前に拭き取りましょう。

鳥居では小揖(しょうゆう)という15度の角度で軽く一礼します。
参道に入ったら頭の中のおしゃべりを止めて、心の静寂を保ちましょう。参道の砂利を踏みしめる「ジャッジャッ」という音も清める音になるので一歩一歩丁寧に、美しく歩くことに集中です。

次に手水舎(ちょうず、てみず)です。衛生面で手を綺麗に・・・ではなく神道では水で清めるという重要な概念があります。【穢れと清め】この考えが非常に大切で穢れがある状態だと神さまに取り合ってもらえません。

手水舎の手前で一礼し柄杓にたっぷり水を汲み、左手を清め、右手を清め、左手に再び水をのせ、口に含み口を清める(日頃、言葉遣いの悪い人は特に入念に)。最後に柄杓の柄を洗いもとに戻す。再び小揖。

さらに良いのは神さまの世界には清める専門の部署といえる祓戸(はらえど)なる場所があり、そこにお祓い専門のビッグネーム4柱(神さまを数える時の単位は柱です、鬼滅の刃でもお馴染み)のお一柱、瀬織津姫さまに「有難きセオリツヒメ様、我を祓えたまえ、清めたまえ」と3回唱えましょう。

心がすっきりします。

東日本では最大級といわれる成田市の麻賀多神社の大杉

神社は多くの場合で本殿があり、その手前側の社が拝殿というレイアウトです。まずはこの本殿の神様に参拝です。境内にある他の摂末社(小さな神社)を先にお参りしないように。

拝殿の手前、お賽銭箱のところで小揖。お賽銭を入れて鐘をカランカランカランしましょう。鐘の音で穢れを清めます。

お賽銭は5円を入れる人が多いですが、5円はご縁があって・・・という話は大昔のことです。当時の1円の価値を今の価値に換算してみましょう。いい大人が5円はちょっと寂しいです。
お賽銭は子供たちに神社を残すための資金です。本殿の修復や境内の整備、駐車場やスロープの設置など様々な整備に必要なお金となるので、ご自身の経済事情とよく相談して大人の金額にしましょうね。

私の場合はお賽銭は必ず3倍以上になって帰ってくると思っているので、大抵の場合は略式参拝で千円、正式参拝で一万円(この場合、銀行で事前に新札を用意)としています。

神社のお話をしている最中ですが不動明王様です

鐘を鳴らしてお賽銭を入れたら深揖(しんゆう)を二度。深揖とは腰を90度折る深い礼です。予め家で練習しておきましょう。慣れないとフラつきます。
そして90度折った状態で2秒保持。
これを2回です。

つぎに二拝(拍手、かしわで とも言う)
パン パン といい音を鳴らして

お賽銭箱の脇にお札で書いてある場合が多いですが、大祓(おおはらえ)の言葉を3回奏上。

はらえたまえ きよめたまえ まもりたまい さきわえたまえ
×3回です。

合掌したまま心静かにお祈り。
祀られている主祭神さまのお名前をあげ、日頃の感謝を伝えましょう。
はじめて訪れた神社の場合は貴方の住所とお名前も告げると良いです。

いま生きていることに感謝
世の中の人の幸せを願う
社会全体の発展を願う
日本の発展を願う
神さまの世界、宇宙全体がより良くなるよう願う

最後に一度、深揖です。

そして拝殿から降りる時、踵を返すように立ち去るのではなく
名残惜しむように下がり最後に小揖です。

日光の二荒山神社(ふたらさん)

お祈りをするとき、お葬式のように悲しげに目をつむったり、やたら念を送るように力んだりするより、清々しく凛とした振る舞いで視線は上(高天原)へ、活躍しますぞ!という意思表明をするように祈ります

ちなみに清々しいとはスサノオ様の口癖だそうで、私はそのことが好きで日常会話でも積極的に清々しいという言葉を使っております。

私の場合、ツーリングなどで地方の神社を詣でる時は、地元千葉の酒蔵で売っている地酒のワンカップをお供えさせていただきます。「おおっこれは珍しい酒だな!」と神さまが喜んでくれたようなフィードバックを何となく感じて嬉しくなります。

山梨県 氷室神社

えっ??お願いごとですか??

そうですよね、神社参拝といえばお願いごと。
私も以前はそう思っていました。
しかしお願い事はダメじゃありませんが色々と難しい面があります。

そもそも少々大げさに解釈すると、お願い事は【それが叶っていない現状への不満】なのです。いまある豊かさに意識をむけて有難さを実感し、心から感謝するのが原則なのですが、なかなか普通の人にはそれはハードルが高いですね。

私もそうですが人間は弱いもので、つい不満や不足を感じてしまうもの。だけど神社参拝では騙されたと思って、ひたすら神さまに今、命あることに感謝をしてみてください。

伊豆の白浜神社

私は学生時代、車やバイクが大好きだったので自動車整備士になろうと思い、その道の専門学校を受験しました。しかし、誰でも合格しそうな学校なのになぜか落ちました。なんて運が悪い、神さまに見放されている・・・なんてその時は思いました。しかし、その直後に運がいいことに有名な大手企業に就職できました。

その後、最初に就職した大手企業をひょんなことから退職する羽目にあい、なんて自分の人生は不幸なんだ、と路頭に迷いましたが今になって振り返ると、その出来事がターニングポイントとなり写真家として成功している今の自分がいます。

【禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)】

災いが福となり、福が災いとなる。この世の幸不幸は縄を撚り合わせたように表裏をなす。

目先の幸不幸を案ずるより、日々感謝して小さな当たり前を大きな幸せととらえ、今この瞬間に集中し徳を積んで生きれば、自然と自分らしい人生に導いていただける。私はそんな風に思います。

その上で具体的なプランとして恐れ多くも神様にお願いがある場合に限り。願いは一つの計画として、人々の幸せに貢献し社会を明るくする活動であるという高貴な願望である場合、銀行から融資を受ける際の事業計画書を作るようにプランを具体的にしておきます。

〇年〇月に私は事業をはじめ、地域の人たちに豊かな暮らしを提供するサービスをはじめます。そのための資金を〇〇万円を融通いただけますようお願いします。人々の豊かさのために上手に使います。と具体的に、利他的に願うのですね。

木は私たち人間の魂が成長する様子を静かに見守っている

遠方へ旅し、有名神社に行く場合は、まずは産土神社に詣でて「〇月〇日にお伊勢様を詣でます。どうか天照大神様へのお取次ぎをお願いします」と事前に産土様にアポイントを入れてもらうのもお勧めです。
また有名神社に詣でて願い掛けをしたい場合は、産土神社への事前の【二十一度参り】というのが必要となります。

こういった根回しがないと、大きい神社は大勢の参拝者が参るので、その中に埋もれてしまい観光参拝になってしまうのです。もちろん観光参拝が悪い訳ではありません。神社にいかないよりはうんとマシです。

でもせっかく行くなら功徳をいただきたいですよね。
神話を学び知識をつけ、日々のお祈りと感謝する習慣をつける。

いつも心安らかに イライラしない
明るくふるまい 人に親切に 誰にでも愛情をもって
サービス精神は過剰なくらい旺盛で

親兄弟、ご先祖、友人も知人も 知らない人も
みんなを思う気持ち

徳を積んで 魂を成長させ
利己的ではなく利他的に

時に思考をとめて 精神の静寂を
心の声に耳をかたむけ 朝日を浴びて
自然のエネルギーを感じましょう。

いま、この瞬間を大切に

生命の有難みが実感できたとき
もう一度、あらためて産土神社と鎮守神社にお参りしてみてください。

すべては光というエネルギー

ここまで読んでいただいた方は少数だとは思いますが、本当に感謝でございます。

~君が代は 千代に八千代に

さざれ石の 巌となりて

苔のむすまで~


あなたの その尊い命が 千年、八千年と長く

小さな石が凝固して 大きなさざれ石になるように

その表面に苔が生えるほど 末永くありますように

・・・なんて美しい国歌なのでしょうね。


日出ずる国 日本の繁栄を心から願っております。
ありがとうございました!

#創作大賞2024
#オールカテゴリ部門
#神社
#日本
#パワースポット

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?