インドパキスタンスリランカ311からコロナから


2020年10月22日頃に書いた物

画像1



311から

しばらくの間、外に出る事は無かった、うちのマンションの管理組合で防火扉の点検をしろという意見が出たばかりだったのに、案の定間に合わず防犯扉が歪んでしまらない箇所が出てきた。

ANAのスッチーだった妹とバレリーナ―の姉で何やら不労所得で暮らしている二人が廊下で顔を合わせると「わたしたち、蒸し焼きね!(笑)」と。

うちの12畳もあろうというベランダは家庭菜園でみんな元気に育っていた。

うちの老犬が身体を横たえるのが好きな彼専用のプランターにも土壌がいつものままそこにある。

しかしベランダで💩もできない。だってわたしが立てこもるためにサッシに目張りをしてしまったから。

ラジオは後で聴こうと録音していた、←考えて見たら当時まだラジコなかったのかな??

小嶋慶子が冷静な口調で火を消してとか放送しているテープが今もここにある。

大昔

ガイガーカウンターミューラーを市民で作る企画があって

それを日本から発信するために説明書の翻訳をそれも素人の市民がやるってんで、英語に興味のあるおんなたちが集まってわたしが講師で通っていた。これはしっかり仕事だからお金貰ったさ。しかも有機栽培の弁当付き。断るわけない。

そんなこんなで都内の情報を集めて立てこもっていた。

311の日の予定は日記を見るとそろそろ山田風太郎日記でも読み始めようかなって書いてある。

あの日以来あの本は読まないまま終わった。


当時まだ生きていた乳がんで死んだFから☎があった。

どうも、チャイナシンドロームみたいね?

えっ!

ほんとなの?

まさか!まさかの坂はどこにでもある。

わたしはすっかりジェーンフォンダ気分!


余震は続くが

どうせここで出られなくなる立てこもりしててもしょうがない。

買い出しにでも行こうかなと一人外へ出た。

家族にはもしもの時の集合場所も確認の上。娘は具合の悪いうちの老犬を抱きしめたまま。ベッドにこもって出てこない。へっちゃらよの振りはする。

わたしが揺れが来るかもしれないとお風呂に入れなくなっていても、大袈裟ね!って言う。だってわたしの美しい裸体のまま救援隊来たら悩殺でしょといっても、まだ何のことかわからない年齢。

通りを出ていつもの商店街を行く。

ひとっこひとりいない。オノヨーコなら黒猫一匹いないと書くのだろうか。


あの後ろ姿は!

インドパキスタンスリランカ、の、めんどくさそうに話す日本語が得意なインドレストランのオーナーではないか。

とりあえずここではAさんとしようか。

国籍は今はスリランカなんだけどメンドクサイ日本語ではインド人でいいよとボソッと話す。だからきょうのところは彼の事Aさんとする。

大きなキャリーバッグを引っ張りながら前を歩いてる。何故かあの日からいつもあの大きなキャリーバッグで移動。すぐ逃げられるようにかなって思ってた。

お店開いてる‽と声をかけた。

やってるよ!いつものようにメンドクサイ風の日本語をぼそっ!

店に行くといつもの従業員3人全員いた。実は大昔この店の従業員に有るコトバをを言ってたいへんな事になりそうになった過去もあり、長い付き合いになってしまった。

持ち帰りのチャパティとチャイ用の葉っぱといつもの奴ね!わたしはここで食べていくけど。

Aさんはいつもおつりを持って立つ。これは絶対インド人数学得意のわたしのデーター。なんでそんなに早いの??

娘を連れてった時彼女はなんであんなに早いの?スゲー!となったあっという間に答えが出る事を知った。ね!その時だったね!そうだよね!

彼女のお父さんが参戦するといつも話がややこしくなって困る。

ゼロの発見だのなんだかんだと始まる。

まあ、いつものことだから、慣れてるけど。

わたしも合いの手が発展していってはちゃめちゃになるし、

せっかくのカレーの辛さもどこへやら。負けるもんかと97X96=の話へ

欠陥だらけの両親を😊見守ってくれてありがとう。あなたも参戦すると議論はギロッと発展する。311なのに地震を忘れていた一瞬の風景でしたね。

きょうはカレーなんだけど!ただそれだけの事。

もしマンションの屋上にある給水層の水が止まったらどうしよう。

わたしはニュージーランド方式でカレーの皿を古布で拭く。

そんな人間を

黙って見ているもう一つの目が合った。

うちの老犬である。

=================================

あれからも

商店街でみかけるあのオーナーはいつも大きなキャリーバッグを持っている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

311と同じくらい、いや、それ以上の混迷が今この国にはある。

あなたはきみは今どこにいるのか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

しかもあの時とは違うのはあのネトウヨモドキ癌モドキに被弾して若くもない上身体の痛みと共に身体の自由を喪失してる。

================================================

あの時の気分と同じ事をしてみよう。生き返るかも知れない。

--------------------------------------------------------------------------------------

ツイッターなんかやってないで

なんとか元気の出る方法を考えなければと外出した。


いつも買わない店で

平然とマスクしたままの人達が無言で買い物をするスーパーにも行ってみた。

全粒パンが20%オフになっていた。

まだ美味しいパン屋さんに巡り合えてないから衝動買いした。

知らない店には知らないものがある。

相変わらず食欲なく、わが軍(笑)の食糧補給によって実は冷蔵庫一杯なんだけど、食べる気が全く起こらない。

嘔吐しそうになる。

おお!これが嘔吐というものかと我が存在の確認をして精神は満足だが

なんせ肉体がついて行かない。

太陽がいる日も、雨の日も、家にはいないでうろうろする方がこころのためではある。

急なスコールみたいな雨の後は路上が濡れている。きっとヒールで昔なら、すってんころりだわ、きっと、きっと。

うちの産んだ覚えのある子と産んだ覚えのない子がカレーが食べたいって言ったの。辛いのをナンで食べたいって。

最後はいつものあの店に行ってテイクアウトしようと思っていた。

最後にしたいのはあの店のテイクアウトの容器がちゃちくて持ちにくいから、すべての買い物を済ませてから寄ろうと思っていた。

本屋にふらりと入り、別に興味もない並び。

銀行のATMがわからなくてお年寄りが行員を呼んでいる。

予算が余ってるのか消化試合のような道路工事。

最近の工事のおじさんは誘導がへた。車が来てるのに指示も出さない。

妙に丁寧にご迷惑かけていますとかお辞儀するのは昨日まで何か別の仕事をしてたであろう高齢者。

よろよろとポールを運ぶのは70をとっくに通り越しているだろうおじいさん。

解体現場から出てきた3人組は若い、なんだかサイドを刈り上げるカットで揃いも揃ってみんな同じ。

ニッカポッカだけは色違い。

チェーン店のうどん屋に入っていったが、うどんでお腹いっぱいになるの?と心配。それに天ぷらまで頼んだら1000円超えるでしょ??

新しいビラまきの形を見た。

自転車に乗って男がすり抜けて行く。うねうねと蛇行し始めてスピードを落とした。手には小さいケータイを持って背中を丸めてなにやら話している。だから足のみでペタルだけでなくうまく方向を変える。まるで一輪車のように。ケータイを持たぬ方の手で前の籠からビラを掴み住宅の郵便受けに入れて回る。思い付き。時々止まる。ポストから顔を出しているビラを見たら山本太郎だった。悲壮感はない。勝手に通り過ぎて行った小太りの男の自転車が小さくなって消えた。

そうだ!#れいわ新選組東京7区高橋あとさんの原稿3000字まで書いてるのに発表できない、なぜかだって?どんどん先に行ってしまって追いつけない事態。

3日遅れの魚を新鮮ですといって売るようなものだ!♬ふねーがゆくゆく^

それから数日前わかったんだけどコンビニを巡る「闇の仕掛け」が進行していることを知った。だから#れいわ新選組千葉9区三井よしふみさんもなんとか。

#れいわ新選組東京10区渡辺てる子さん 、未確認情報でまだしらべてないんだけど。大昔乳がんで死んだFが新宿で子連れのホームレス女性を彼女のアパートにしばらく宿泊していただいたんだけどその方と同一人物か?謎を追跡中!

#れいわ新選組山口4区竹村かつしさ ~んは別枠よ。

わたしは絶対街で見かけても3メートル以内には近づかない事に決めてるんだ!もん!だって大好きなんだもん。

中曽根がおんなはネクタイの色しか見てないと言った。竹村さん大好きはその部類なのかもしれない。しかしそれでは男は一体選挙の時何を見て来たのかと言いたいな。

こんなこと書いたら変な人だと思われるかな?もういいか、気にしないで。

前を手押し車のおばあさんが歩いている、

ゆっくりだからみんな追い抜いていく。

わたしはその後ろを仕方なくついて行く。

角を曲がるところでおばあさんは更に直進、わたしは左折。「それ買っといてよ」という声が聞こえてびっくりした。チラッと横を見るとケータイを握りしめ片手で荷物いっぱいの手押し車を押している。どおりで遅いわけ!ちょっとおばああさん!あなたまでケータイ依存症なの?歩きスマホは危ないよまったく!

日本中!これかい!?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

昔新宿行きつけの焼肉屋があった。今はもうない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ランチタイムも夜出すのと同じ肉を出しているし、わかめスープとキムチが付いて安い。

昼間は酒呑まないし車で行った。しかし車止めるのが怖いとこ!以前こわいおにーさんに、あんたずいぶんうんてんうまいね!とか言われた。

この店はたくさん歴史上の人物が来ている。そこのオーナーの考えと行動なんだけど。

わたしが事務所を開く時公的機関から借り入れした。書類は得意なんだけど、連帯保証人が必要。わたしはけして保証人には自分でもならないし誰にも頼めない。

そういえば

タクシーに運転手さんで身の上話をする人にも会うが友達の連帯保証人になったという鮮やかな記憶を聞かされたのは一度や二度ではないな。

ある連帯保証人をお願いした方はああいいよ!と一言だった。

その方もその焼肉屋を知っている。なにかあるとその店を使う。わたしが既に知っているので大変喜ばれていた。


役所に書類を持っていった。連帯保証人の欄には友人と書いてある。

書類に目を通していた係が反応した。友人?年収3000万円の方が友人なんですかと。

そうです!

ちなみにその時の開業資金の上限は70万円だったと記憶している。女性だと枠が狭かったんだよね。当時。

その保証人のところで打ち合わせしてたら

嵐のように来て嵐のように帰っていった人が尾崎秀実の弟君の和装の小柄な男である。

わたしが保証人と話してるのにそんなことはまるで眼中にない様子。なにやら話して腕組みをして帰っていった。

その保証人がある日「あの落語家があんたのこと探してたよ、ダメだ、ああいう連中はだめだ、わかったな」と謎の言葉は今も謎のまま。という事にしておこう。

いろいろお世話になってるからと

ある日母親をその保証人がいつも呑んでいる別の店に連れて行った。

母親は和装の裾を整えて手を床についてありがとうございますと言った。

その時は私も酒は呑まずすぐその店を後にした。

母親もあの焼肉店は良く知ってる。

しばらくして母親が電話してきて、「あそこの店周辺はだめよ、碌なの集まってこないから」とこれまた謎の言葉を残していた。

茶室を作ってくれるだけが条件よと言っていた母親が残したお茶の茶碗はとうの昔にわたしのお茶漬け茶碗になって、とっくにどこかへいってしまった。好きなお濃茶だけは今でも一人で飲むけどね!ね!

=================================

特に買物もないしみんなのご要望に応えてカレーでも買って帰るかな。

いつも通り過ぎるカレーのテイクアウトの店が目に入った。

もう疲れてめんどくさくなったからここでもいいかしら。一度も買ったことないけど。

ランチは半額って張り紙がしてある。

若い男が一人並んでいた。

その人に

これはケバブついてこの値段?って訊いたらチャーハンみたいな丼ぶりだけです、確か!と言う。

ふ~mmん!

どうしようかなきっとこれでは足りないわ。店先に出てきたインドパキスタンスリランカのどこか知らないインド人が半額半額!って私に言う。

せっかくだからいろいろ買いたいなって思った。看板のメニューをじっと見て普段のメニューはどれかなって考えていた。

これはこの時間やってないの?と言っても????

めんどくさいから英語で説明し始めたわたし。そしたらそのインド人らしい人がおおお!とか言って何語かわからないことを厨房に向って言った。

中から人が出てきた。

お互いにマスクしていてごちゃごちゃこもった話し方。でもひとつもお互いに聞き返すことなく無事終了。なんだ簡単じゃ!ブリティッシュイングリッシュだったのね!

しばらくするとスゴーイ濃い目のヨーグルト感満載のラッシーが出てきた。これサービス?接待!

リタさんのうちで飲んだのと大違い。

ここはいつも通り過ぎるだけなんだけどお、だっていつも行列じゃん、きょうは空いていそうだから。いつもは違う店でデリバリーするんだけどね。

ここはテイクアウトだけなんだよ、どこに住んでるの?

あっち!

デリバリーの店は良く知ってるよ。

儲かってる?きょうは行列ないみたいだけど。

それからは内緒話!

最後はみんな厨房から!またねえ!

なんだろ、この快適感。

もうバカなツイッターの世界になんか戻りたくないよ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リタさんの家で作ってくれたラッシーは

----------------------------------

とあるところでのこと。

ラッシーを飲みたいわ。

うちでつくってあげるよ。リタさんはそう言った。

教室の外に出ると息子と称する男が自動車のエンジンをかけるところだった。わたしにはわからない言葉でなにやら話すとわたしとリタさんはこっちよという余り上手くない英語で指さした方へ二人で歩いて行った。

わたしがいい天気だねって言ったかどうかは覚えていない、

道端に咲く花を綺麗だねっていったかどうかは覚えていない。

歩いた。

男はゆっくり自動車を走らせると信号の角々で停車し運転席から二人を見ている。

公営住宅が立ち並ぶ一帯に到着すると、あっちだよとリタさんは3軒目の家を指さす。

わたしが住んでいるところより豪華!

奥まったガラスの向こうに入り口が見える。花々が咲き乱れる庭というには大きすぎる通路を曲がる。両サイドに木々が見える。これ、檸檬だよねとわたし。にっこり!

息子と称する人は先に自宅についていて、ガレージにはさっきの車だけではなくもう2台乗用車が見える。TOYOTAか日産か、わたしにはわからない。日本車だ。車の屋根をはたきの親分みたいなものでなぜている。

その男はフチなしのメガネの奥からわたしの視線を追う。

こんにちわ!とわたし。にこっとして一緒にリタさんの家に入る。

広いお家ですねえ!とわたし。

当時

わたしが住んでいたのは築100年は超えるものすごく寒い家。

大家が直した部屋のドアは曲がっていて閉まらない。

明らかに左右の長さが違うしペンキもむらでサイズを測ったであろうペンの印が見えている。

長い事使ってない暖炉の上には大きな鏡が付いているのだが、背が届かなくてわたしは映らない。

今家を捜してるんですけどと言うと

その男はパソコンを開いて物件をどんどん見せてくれた。知り合いに紹介するという。どれも高額。

その男はこの家は台所はどこですかという私の質問に家中案内してくれた。

料理も掃除も男がする。神経質そうなメガネの奥でも歩きながら拭き掃除をする。

ここがリタの部屋だと見せてくれたところは2畳ほどの角の部屋、もしかしたら本来はクローゼットではないかしら、窓はない。

これはリタの祭壇。映画で見るようななんだかハレクリスティナなんて感じ。その前の床に布が敷いてあった。

他人の宗教ってわからないからただおどろおどろしく見えるだけ。サグラダファミリアの傍に産まれて育ったらサグラダファミリアでしょうに。


そのうちリタさんがお目当てのラッシーを持ってきた。おしゃれなテーブルの上に置いて隣に座って作り方を見せる。あの、何だっけ、銀色のお菓子も出てきた。

そのうち、男は2階に上がっていった。

その男は病院に勤めているという。

が。

毎日は仕事はない。病院の医療ゴミを回収する仕事だ。あの英語力ではそうだろうなと思った。

これは有名な話だが、アップルの新人養成メニューにインド人用の発音矯正がある。あのなまりは米国に着く前に直させるらしい。

スコットランドなまりか南ロンドンなまりかその他いろいろな教材があってわたしは興味津々で面白かった。ね!

日本人が家と車を捜してるとリタさんはその男に言ったらしい。

リタさんは老けて見えるけどきっと私より若い。

あの男が息子だとしたら15,6歳で産んだに違いない。

車を買うかも知れない日本人がいる、だから家に招待されたんだ。

移民のアジア人女性の英語のクラスにリタさんが来るときは

必ず

お迎えにやって来る男。

あの日私と一緒だったからリタさんは車に乗らないでその息子を追い返すことが出来た。

ある日パキスタンのいつも明るいおばさんが泣きながら教室の階段を上がっていくのを見た。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そう、泣きながら!ね!

----------------------------------

ビリヤニ大どんぶりとケバブと辛い辛いカレー、マトンとキーマ。おっきなナン、なななな!ん!みんな平らげた。食欲って!若いって!なに?

それでも残ったので

次の日来た子はケバブとすき焼き残りのケバブすき焼き丼、混ぜないよ!

ハーフ&ハーフのピザみたいに乗せた夕飯でした。

----------------------------------

昔からカレーと言えば中村屋のカレーだった。

毎回食べるたびに母親がバカの一つ覚えのように相馬黒光さんがねと前振りがある。

サイドに置かれたピクルスと玉ねぎやチーズの方がわたしは今でもふくじんつけより好き!こんなこと書くとますますツイッター民からは弾き飛ばされる事覚悟の上。

だってネトウヨモドキ癌モドキがあまりにもくだらなさすぎて怒りなんか通り越して、

何をどうしたらいいのかわからないんだもん!

枠組み外しをやってたらどんどん原稿は、ちゃめちゃになるし、はちゃとりあん!

しょすたこーびっちも入れとく?

びっちびっちジャブ🦾ジャブ⚡らんらん乱!←だいぶおちゅかれ~~!

所詮日本人っていうひとたちって外国には興味ないよ、都合のいい興味だけ。

それがこの国の特殊性かどうかは今の所断言できない。まだ観察中!

-------------------------------

ああ戻りたくないな、ツイッター。

ここでは何のことなく通じる(通じるとわたしが思ってるだけか?)世界があって心地よく生きられるのに。

それでも戻ろうか!

気になるのは横浜のリコールのことで何の影響力もないかも知れないが

あの彼らに向けてツイートすることができない自分がふがいない。

しかしあのままだったらどうしよう、他人の事を批判はしたくないから言えないし、一人でイライラして潰れていく。

犯人はネトウヨモドキ癌モドキなのは明らかなのに

心の傷を深めることにしかならないのなら、

プライドのための自殺か、静かに近づかないことしかないだろう。

辛くて辛くて、

それでも世の中変えたい病は本来ツイッターの外でやるべきだろうから

大丈夫なはずなのに、このままで撤退するのは悔しい。悔しい。

ある有名な(マスコミに有名にされた?)世の中変えたい病の人が今ここにわたしの心にいる。

ある女は日本には革命は無理だと言い、ある男はそれでもやるという。

その後の結末は二人とも御存命とみられるから決着はついていない。

最近わたしはその女のいう事の方が正しいような気がしている。

その根拠は

単純でふたりとも同じような目には合っているが「彼女」の視点が言語化されない何かを含有している気がする。当然ふたりともまったく言語化の世界のひとであるのだが。

言語における意味するもののはき違え。一体誰が考えたのか知らんがひたすら腹が立つ〇〇〇リニスティックな言語を無意味に意味するインド耕太郎もいるし。ああ戻りたくないな、ツイッター。

=======================

結局

外出の帰り道は泣きながら泣きながら。

何のためにきょう外へ出てみたのだろう。

振り出しに戻ってしまった。

まったく食欲はなく、このままいけばどんどん、わたし、ちいさくなって

消えていくんだろうな。やっとタンポポの綿毛になれる!

ミイラになって世界中の博物館を巡業させられるより

よっぽど

ましね!

それでも2,3日中に、

日本で一番あさーどが旨いというアルゼンティン好きのあのおっさんの店にも行こう。

再会である、

前の奥さんはフィリピン人だった今度の奥さんはブラジル人だそうだ、( ´艸`)といっても実は彼女は元の奥さんなんだ。同一人物。

なーんだ!と楽しく笑えそうだ!

そうそう、

今思い出した、ロンドンで衝動的に買ったインドの服。

色合いが気に入ってサイズも気にせず買った。いつか痩せたら着ようと引っ越しの度にも持ち歩いていた。

一度も着たことないまま、リタさんに預けたまま。時々彼女は洋服売りをしていた。

今なら着れたかな?あの種の洋服は日本でしか着れないのだから。なぜか海外ではエスニック風のアジアの服は着ない。それでよく大間違いな目に合うから。

でもこれからは日本でも着れないかな。まあいいや、あの色合い、ちょっと未練があるけど、ね!





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?