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南北戦争とヨドバシカメラの歌

 ヨドバシカメラの店内に流れる歌は、「権兵衛さんの赤ちゃん」のメロディーを使っています。このメロディーには色々な歌詞が付されており、興味深い歴史的経緯があります。


もとは賛美歌だった

 この曲は、19世紀後半に登場した讃美歌「おお、兄弟たちよ、我らに会わないか」("Say, Brothers, Will You Meet Us?")がもとになっています。

 開拓時代のアメリカでは、教会建築などの設備が十分ではなく、よく野外で礼拝が行われていました。そこで歌われる素朴な歌詞・メロディーの賛美歌が、多くつくられたのです。

南北戦争を引き起こした対立

 この曲が歴史に刻まれるきっかけとなったのは、アメリカの内乱である南北戦争です。

 南北戦争は、奴隷制度の廃止を求める北部と、存続を求める南部の対立が原因で起きました。南北の対立が激化した要因として、西部開拓の進展が挙げられます。新たな州が合衆国に加わる際、奴隷州にするか自由州(奴隷制がない)にするかが論争となったのです。

活動家ジョン・ブラウン

 こうした中、急進的な奴隷解放論者として活動したのがジョン・ブラウン(1800~1859)です。

 1854年のカンザス・ネブラスカ法では、準州が州に昇格する時、自由州・奴隷州の選択を住民にゆだねるものでした。

 このため、奴隷制賛成派と反対派が新しい州に競って移住し、住民同士の暴力沙汰が頻発するようになります。一見民主的な法律ですが、南北の感情的な対立を煽る結果となったのです。

 とりわけ、カンザスでは「流血のカンザス」と呼ばれる深刻な事態となりました。1856年5月には、ジョン・ブラウンの一派が奴隷制を支持する5名を殺害する「ポタワトミーの虐殺」が起きます。

 1859年10月、ブラウンはさらに過激な行動に出ました。奴隷解放を達成するため、大規模な奴隷反乱を引き起こそうとしたブラウンは、21人の同志とともにヴァージニア州にある連邦武器庫を襲撃、占拠しました。

 しかし、期待していた奴隷の蜂起は起きず、逮捕されたブラウンは反逆罪で絞首刑に処せられました。

 北部の人々は、ブラウンを正しい信念に殉じた英雄として賞賛します。

 南北戦争が勃発すると、北軍の兵士の間で賛美歌「おお、兄弟たちよ、我らに会わないか」の替え歌「ジョン・ブラウンの亡骸("John Brown's body")」がつくられ、愛唱されることになります。

「リパブリック讃歌」

 その後、女性詩人のジュリア・ウォード・ハウ(1819~1910)が、より軍歌に相応しい歌詞の制作を依頼され、「リパブリック讃歌("The Battle Hymn of the Republic")を書きました。このメロディーは、「リパブリック讃歌」とされることが多いです。

 また、「ジョン・ブラウンの亡骸」は「ジョン・ブラウンの赤ちゃん」という替え歌にもされ、日本の童謡「権兵衛さんの赤ちゃん」として輸入されました。

 このメロディーは替え歌をつくりやすいようで、戦前の陸軍幼年学校で歌われた「学科嫌い」というものまであります。

 シンプルなメロディーですが、非常に奥深い歴史を持っていたのですね。

【参考】
櫻井雅人「リパブリック讃歌」の原曲(https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/15345/ronso1330300300.pdf


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