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心の距離を再確認するために。3年ぶりにカンボジアへ行ってきた。

2023年が終わり、2024年が始まる年末年始。
私は、約3年ぶりにカンボジアの空気を吸っていました。

私はこの国とどう関わっていきたいのか。
学生の頃からその答えをずっと探しているような気がするけれど、
一度離れてしまうと、自然と心の距離も離れてしまったような気になってしまうもので。

カンボジアとの距離感ができてしまった気がしたのも、
お仕事で関わったバングラデシュという国の登場が大きい。

カンボジアと比べて宗教色が強いのと、ほぼ全てのご飯がカレーという食での違いはあるけれど、
貧困度合いや、一緒に働く仲間たちを含め、人懐っこく陽気なみんなのいるバングラデシュという国が私はとっても大好きになった。

ボーダレスジャパンで大切にしているソーシャルコンセプト。
その『誰(Who)』の問題か?を思い浮かべるときに、
最近の私の中では、カンボジアで出会った子どもたちと、バングラデシュで出会った子どもたちの顔がどちらも浮かんでしまうようになっていた。
もちろん悪いことではないけれど、
『今、私がカンボジアに行ったらどんな感情になるんだろう。』
という疑問に答えを出したくて、私は年末年始をカンボジアで過ごすことにした。

答えは1秒で解決!私はこの国が好き。

出発前は、楽しみよりも不安の方が大きかった。
日常会話レベルは全て話せていたはずのクメール語は、自然と全てベンガル語に置き換わっていた。
プノンペンの街もガラッと変わっているという話も聞いていたので、
そんな街に馴染めるかもとても不安だった。

でも、そんな不安は、空港に降りて、ゲートを出て、
カンボジアの空気を吸った一瞬でなくなった。
昔一緒に働いていた現地スタッフと1時間も話せば、前のように話せている自分がいたし、
ベンガル語で埋まっていた言語の部屋は、一気に全てクメール語で埋まった。

初日から朝4時まで話が止まらなかった現地スタッフのスレイリャ。
今はNGOの傍ら、ネイルビジネスを最近始めたらしい。

あの時の、あの生徒は今。

休学時代、立ち上げに関わったCBBスクールで日本語と英語を学んでいた生徒たちは、
小学生だったみんなは中学生や高校生になり、
高校生だったみんなは、プノンペンで大学生になっていたり、仕事をしていたりした。

9年の付き合いのMaoさん。日系企業に勤め、今回は職場訪問までさせてもらいました。
仕事場の皆さんにも評価されてて、嬉しかった!

長いメンバーだともう10年の付き合いになるらしく、
その年月を私よりもしみじみ感じているように思えた。

生徒に会うたびに、昔、教育支援に全てを捧げていた学生時代を思い出した。

元住み込みスタッフのダエン。
お父さんの病気で、今は家に戻って看病をしているらしい。

学校に行かないといけないのか?
この村で日本語を勉強する意味があるのか?
日本語を勉強してよかったと、どうやって測定すればいいのか?
NGOはどうやって資金調達をすればいいのか。
そんなことばかりを考えていた学生時代があり、
私はソーシャルビジネスの世界に来てもなお、バングラデシュで同じことを考えているなと思う。

でも、昔CBBスクールで教えていた生徒に会えば会うほど、
彼らはとても今幸せそうで、あの時の話を楽しそうにする。

元住み込みスタッフのボルちゃん。
プノンペンでDJとして働いています!

多分私が想像するよりもずっと鮮明にあの時のことを覚えていて、
CBBスクールでの時間は、確実に彼らの将来の選択肢を増やしたり、視野を広げていたんだなと思えた。
10年経って実感できたこの効果を、昔の私たちに教えてあげたい。

元住み込みスタッフのへん。
村で床屋さんを開くために、修行してました。
(お客さんを待たせて記念撮影できちゃうところがカンボジア笑)

さぁ。どうやってこの国と?

心の距離は、空いてなかった。
それはここに来ないとわからなかったことなので、来れてよかったなと思う。

約9年ぶりくらいのトン。
いたずらっ子だったのに、優しくスマートな大学生になってました。
会えて嬉しかったなー。

そして、もう一つ気付いたのが、私がいた支援地にある問題だった。
もうこの土地には支援する意味はないのでは、、?と勝手に思っていたけど、
貧困家庭に生まれた子どもたちは、今もなお出稼ぎや退学といった世界線と隣り合わせにいた。
この地域でも、勉強を続けたくても、続けられない経済状況の子どもたちがいる。
共働きや出稼ぎをしている親が多いので、家庭でしっかりと親からのしつけができず、学校に通わなくなったり、Drugに子どもが手を出してしまっても、親がどうしようもできないというケースが起きていることも知った。

そんな場所で、今も現地スタッフのスレイリャは、
どうにかCBBをNGOとして続けられないかと、奮闘し続けてくれたことを知った。

まだ迷っている途中だけれど、場所はどこであれ、
今年はこの国にもしっかりと貢献できるよう、動いていきたいなと思った年始のスタートでした。




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