日記(2024/01/02)「労わる心が」+短歌

●日記

1月2日。あけましておめでとうございます。一年で一番大好きな大晦日があっけなく過ぎ去ってしまって、少し切ない。また会いましょう。

さて、年が明けて初めて日記を書く。28日に仕事を納めて一息ついたかと思いきや、翌日29日にはすぐさま大掃除という仕事が。翌30日から元日にかけて妹が我が家にやってくることになっていたからだ。

妹には知的障害があり、普段はグループホームで共同生活している。職員の皆様や別室に暮らす他の利用者の方のおかげで毎日穏やかに過ごしている(ように私には見える)のだけれど、年末くらいは実家で一家団欒もいいかなと思い、本人の意向を確認したうえで去年から我が家に招いている。

実家と言っても実際の生家ではないし、一緒に過ごす親族は私だけ、そして何より今年からは同居人にもご迷惑をおかけすることになってしまうのだけれど(実際本当に助けてもらって頭が上がらない)、いつでも妹にいくつかの選択肢を持たせてあげたいという思いがあり、決行することにした。

実際はグループホームで年越しをした方が気兼ねなく過ごせるかもしれないし、来年はもういいや、となるかもしれないけれど、とりあえず「うちに来てもいいよ」と言ってあげられる家族でありたいと思う。自分のライフステージが変わればその都度対応できることも変わってきて調整は必要だと思うけど。

まあ、蓋を開けてみれば自分が成し遂げたことなどほとんどなく、同居人が年越しそばやお雑煮をこさえ、初もうでに行けば妹の荷物を運んでくれ……と大活躍で、自分の口だけ感を猛省したのだけれど。本当にすみません。

障がい者の兄弟姉妹のことを、最近はきょうだい児と呼ぶようだけれど、当事者としては、自分のことを指してくれる言葉が生まれてよかったなあと思う。自分が生きてきたなかでこれまでに遭遇した様々な苦しみや葛藤、そしてこれから抱えうる種々の問題への不安について、誰かが見ていてくれたのだと思えるからだ。

きょうだい児やヤングケアラーという言葉が世に出てきたことで、放っておけない家族を抱えている子どもや若者がいるのだと、そして彼らの境遇は本人が人生を歩んでいくにあたって困難になり得るのだと認めてくれたのだと思った。そう思うとほっと涙が出る気持ちになった。

実際の自分の境遇は変わらなくても、言葉ができれば周囲の理解は少しずつ広がるかもしれない。当事者でなければわからない苦しみはあるとしても、少しでも思いを馳せて、共感して、労わってもらえたら、どんなに心が楽になるだろうか。妹がグループホームに帰ってから1日経ち、この数日を反芻して思う。

なんだか話が逸れてしまった……。
この数日間は、きょうだい児としての自分と同居人と暮らしている自分がひとつの空間に存在することになって、何だか不思議な気持ちになってしまってそんなことを思い出しました。なんかこう、バランスが難しいんだよね。結局、2人が協力的でいてくれて成り立っていた空間だったような気がする。無力ですみません。でも3人でスマブラすると楽しいね。レベル8のCPに全員負けたけどね。次は勝とう。

そんな感じで団結して新しい年を迎えましたとさ。妹も同居人も、そして自分もいい年になりますように。

そして、今回の災害で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。報道で痛ましい映像を見るたびに本当に胸が痛みます。無力ながら、自分の立場でできる手助けを粛々としていきたいと思います。

●短歌
サイレンが鳴れば飛んでく魂を手繰り寄せまた布団にもぐる


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