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沖縄野球の父

皆さんおはようございます♪

今日の話題は
先日5/8に命日を迎えた

沖縄野球の父
栽監督

でございます。

2007年に亡くなり17年が経ちます。


栽監督は幼い頃
沖縄戦で背中に怪我負っております。


糸満高校を卒業すると
中京大学に進学


指導者の道を志すと
最初に小禄高校に赴任


当時の夏甲子園は
一県一校制ではなく

沖縄大会を勝つと
次に南九州大会を勝ち
晴れて甲子園となっていました。


小禄高校では沖縄大会を制すも
惜しくも南九州大会で敗れ
甲子園出場とはなりませんでした。

次に,赴任した豊見城高校で
一気に全国区に名前を広げます。


1975年の選抜大会では
赤嶺賢勇(元巨人)を擁し
ベスト8



準々決勝では,東海大相模に9回2アウトまで勝っている状態でした。

その東海大相模には
昨年まで巨人監督を務めた原監督がいました


翌1976年の夏から3年連続
夏ベスト8

後にパリーグ打点王となる
石嶺和彦さんらを育てました

豊見城高校では計7回甲子園出場


豊見城から次に沖縄水産に赴任

沖縄水産が1984年に甲子園初出場すると
夏は5年連続で沖縄大会を制し

1986年に上原晃(元中日)投手でベスト8

1988年には平良幸一(元西武)投手を擁し
栽監督初のベスト4


迎えた1990年
沖縄県勢として初の春夏通じて
甲子園決勝進出


決勝では南竜次(元日本ハム)投手の
天理に0-1で敗れるも


沖縄県勢初の甲子園決勝は
大きなインパクトに違いない!

翌年1991年も沖縄水産は
夏連続で甲子園決勝進出


決勝で萩原誠(元阪神)選手らの大阪桐蔭に8-13で敗れ

悲願の優勝とならなかったが
戦後初の夏甲子園2年連続準優勝



栽監督の功績により
かつて野球弱小県と呼ばれた
沖縄を全国レベル覆したことでしょう。

甲子園通算27勝は
九州・沖縄地区の高校野球監督では歴代最多勝

私は当時生まれてないので
栽監督の事をよく存じ上げてはいませんが
母から良き話を聞きます


栽監督が叶えられなかった
甲子園優勝は1999年選抜で


沖縄尚学が沖縄県勢初の甲子園優勝


当時の沖縄尚学・金城孝夫監督は
栽監督の豊見城高校時代の教え子になります。


2010年には
興南高校が

春夏連覇を達成


栽監督も天国から
喜んでいたのではないでしょうか


では,今日は
沖縄野球の父栽監督についてお話し致しました



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