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小説「天上の絵画」第二部

 誰もが希望を抱き、清々しい気持ちで新年を迎える中、岩谷英司の葬儀がしめやかに執り行われた。

 正月の忙しい時期にも関わらず、大勢の人が葬儀に参列してくれた。
 同級生や美術部の先輩や後輩、仕事関係者。こんなに大勢の人が、英司の突然の訃報を悼んでくれている。婚約者として嬉しく思う反面、彼の死を絶対に逃れることができない現実として、眼前に突きつけられているようで、より一層悲しみが深まった。
 画廊のスタッフから連絡をもらったのは、寒さでベッドから出られずまどろんでいた時だった。悲鳴にも似たスタッフの声は、すぐには耳に入ってこなかった。
 「英司さんが亡くなりました」
 頭の中が真っ白になり、まだ夢の中かと錯覚した。彼の身に起こった出来事を、すぐには理解できなかった。
 特別に彼の遺体との面会が許されたが、視界が涙で滲み彼の顔を直視することができなかった。最後に会ったのは亡くなる前日、事務所で年明けの渡米にむけた打ち合わせをした時だった。まさかあの時交わした会話が、最後になるとは夢にも思わなかった。
 「優愛ちゃん…元気出して」
 彼との関係を知っている同級生たちが、慰めの声をかけてくれた。その度に礼を言い「大丈夫だよ」と笑顔を作るのがしんどかった。本当は立っているのがやっとの状態で、少しでも気を抜けば、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
 婚約はしていたが、籍を入れる前だったので、遺族としてではなく一般の参列者として葬儀に出席した。せめて親族側でもよいのではないかと、仕事仲間が気遣ってくれたが、他にも理由があった。まだ、英司から両親を紹介されていなかったのだ。何度も会わせてほしいと頼んでいたが「仕事も忙しいし、離婚した二人とは、疎遠になっているからすぐには難しい」と、なかなか話が前に進まなかった。
 英司の母親の顔を初めて見たのは、遺体が安置されていた警察署の中だった。父親である岩谷良二氏は、雑誌やテレビのインタビューで何度も目にしていたが、まるで別人のようになっていた。車椅子に乗せられやせ細り憔悴しきった痛々しい姿を直視できなかった。母親は真っ青な顔で葬儀の間中ずっと声を上げて泣いていた。そうかと思うと、突然その場にへたりこみ、両手で顔を覆いヒステリックな奇声を上げた。その度に親戚の人が別室に連れて行ったが、悲痛な叫び声は会場中に響きわたっていた。とてもじゃないが婚約者であると名乗り出ることはできなかった。

 両親がそんな状態だったからか、喪主は英司の叔父が務めていた。目尻のあたりが英司とよく似ており、二十年後の英司の姿を見ているようだった。
 
 葬儀が終わった後、画廊のオーナーである中島隼人が優しく声をかけてくれた。
 「今後のことは、明日話し合うつもりだけど、優愛ちゃんは無理しなくていいからね」ほとんど寝ていないはずなのに、疲れを一切見せずスタッフ一人一人に気遣いや慰めの声をかけている姿に頭が下がった。
 英司が亡くなった以上、全ての予定は白紙に戻される。間近に迫っていた本格的な海外進出に向けて、スタッフ全員が意気込んでいた。皆が英司を慕い、彼の才能と感性を認めていた。
 「岩谷英司なら海外でも十分通用する」

 「彼を日本を代表する画家にしよう」

 それが全スタッフの夢であり目標だった。
 
 その夢があと一歩のところまで来ていたのに…。
 
 残された私はこれからどうすればいいのか。

 英司を失った現実を受け入れることができないまま、これから先のことを考えることはできない。

(つづく)

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