2024年 5月1日 水曜日 徒然日記 つれづれなるままに…京アニ放火殺人事件…

皆さん、おはようございます。徒然日記のお時間です。今日もじっくり、ゆっくり、つれづれなるままに、丁寧に綴っていきたいと思います。どうぞ最後までお付き合い下さい…

今日もまた雨降りみたいですね。雨に濡れた緑が光ります。
そしてついに5月になってしまいました。あっという間に今年も3分の1が終わってしまいました…時の流れるのが早いです…

さて、何書こうかなぁ…

昨日はですね、世界仰天ニュースを見たんですね。
で、史上最悪の放火事件、京アニ放火事件について特集していました。早いもので、あれから5年も経つんですね。

注目していたのは、放火の犯人もものすごい重度の火傷を負い、果たして助かるのか、そして助ける意味はあるのか、といったところでした。なにしろ36人もの死者を出した事件でしたから…
医師も葛藤があったみたいです。でも、そのまま死なせてしまったら、事件の真相は完全に闇に葬られてしまいます。それだけは避けたいと決心したみたいです、偉いものです。
スタジオに来ていた弁護士も、最初のうちは犯人が憎くて仕方ないだろうけれど、時が経つにつれて、なんであんなことをしたのか、せめて理由だけでも知りたくなるだろうとのことでした。

自分が遺族側の立場だったらどうだっただろうと考えたりもしました。犯人が憎くて、早く死刑にしてくれとしか思わなくて、あとになって後悔するかもしれないなぁとか思ったりしました。

担当した医師は、火傷の治療に関して日本でも有数な、プロフェッショナルでした。難しいことはよく分かりませんが、自家培養表皮という、健康だった、火傷を負っていない皮膚を培養して、火傷したところに移植していくという方法をとりました。
防犯カメラに写ってた、ウエストポーチをしていた部分が、火傷を負っておらず、500円玉くらいの皮膚から自家培養表皮を作るというのだから、科学の進歩に驚かされるばかりです。

そして、犯人への治療が始まりましたが、当然、バッシングもありました。犯人なのに助ける意味があるのか、治療費は税金だろう、と言ったものでした。
担当した医師は逆恨みによる身の危険も案じながら、治療しなくてはいけませんでした。それでも信念を持って治療を続けたのだから、大したものです。繰り返しになりますが、ここで死なせてしまったら、36人もの死者を出した理由が一生分からなくなる…この人はこの人で、すごい正義感を持っていたのだと思いました。そして犯人は助かり、今でも裁判が続いているとのことです。

自分はこの話を聞いたとき、宮沢賢治の「雨二モマケズ」の詩が思い浮かびました。皆さんもよかったら読んでみて下さい。この医師がどんな人か、少しでもわかるかも知れません、何て事を思う今日この頃でした…

追伸
今日の一曲…斉藤和義 ジレンマ

追伸2
雨ニモマケズ(ひらがな表記)

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく
決していからず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい

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