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ブラジルで生まれた僕の息子とアイルトン・セナとの関係

5月1日。
今日は、ブラジルの英雄アイルトンセナの命日。(Ayrton Senna da Silva)

1994年5月1日。イタリア、サンマリノF1グランプリの決勝。彼はウォールに激突し逝ってしまった。悲しい。Muito saudade.サウダージ。

彼のお墓は、サンパウロの郊外モルンビーという静かな地区にある。派手な装飾は何もなく、ただネームプレートと手向けられた献花とブラジル国旗だけだった。彼の人柄が想い出される。

Cemitério do Morumbi
Rua Deputado Laércio Corte, 468, Morumbi

ブラジル国民だけでなく、世界中から愛されたセナ。にわかF1ファンになった僕も、毎夜、夜更かしして応援していた。

あれから、もう30年。
セナの記憶は、僕には、まだ昨日の事の様によみがえる。

僕は思いがけず、ブラジルで生活する事になった。そして、ここブラジルへ来て分かった事実は、セナはブラジル人全てに愛されている。今も尚、国民全てから愛されつづけている。永遠に。
アイルトン。ブラジル人は、セナとは呼ばない。アイルトンと愛着を込めて呼ぶ。誰も忘れない。

ブラジル生活3年後。
僕の2番目の息子がサンパウロで生まれた。それも、アイルトンセナが産まれたサンパウロ市内の同じ産科クリニックだ。
アイルトンと同じ所で息子が産まれた、というだけでうれしかった。

Pro Matreという産科
長男も喜んでいる

しかも、息子にはブラジル国籍が与えられている。たとえ両親が日本人であっても、ブラジルの地で"生''を受けると、ブラジル国籍が与えられる''生地主義''の国だ。日本の血統主義とは違う。
懐の深さを感じる。

パスポートは二つ
Pro Matre Paulista
Rua São Carlos do Pinhal, 174 – Bela Vista São Paulo- SP


息子がアイルトン・セナと同じ国籍を持った…。

アイルトン・セナ・ダ・シルバの命日に、こんな想いにふけて彼を偲ぼうと思う。

#アイルトンセナ #ブラジル#サンパウロ
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#promatre #駐在日記

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