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夢を追ったり、放浪の旅をしたりしたけれど現在ニート、無職の30歳越えた者。テコンドーか…

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夢を追ったり、放浪の旅をしたりしたけれど現在ニート、無職の30歳越えた者。テコンドーかじってた。

最近の記事

二日目

 令和六年六月二日(日)日記二日目。  今日も朝八時頃に起きて、朝ご飯を食べたりして、一日が始まる。  昨日はちょっと緊張した。日記を久しぶりに書いた上にインスタのストーリーにリンク貼り付けたりと普段やらないことをした。ちょっとだけ人に見てもらう努力をした。人目が気になった。そしてやるって言っちゃったけど続かなかったらどうしようとかも考えた。あまり好きじゃない緊張感に正直見舞われていた。  話を切り返し、今日は天気があまり良くなかった。なので体を休めることにした。足の裏

    • 一日目

       令和六年。六月一日(土)日記一日目。  今日から六月。令和六年も六ヶ月目に突入。折り返し。とか言っといてそんなこと大して意識もしてない日々を過ごしてる。なんかキリも良いので日記を勢いで始めました。それと僕が今後、生きていく上で自身が何をしてるのかを外側に出してみるのが良い手段の一つなのかもしれないと思って始めたところもある。  簡単に今の僕の現状を言うと…なにもしてません。なにもしてないことをなんか隠してる自分が居る気がしたので最初に言っておきます。まぁ無職ってヤツです

      • 明日から六月

        明日から六月だ。キリも良いので明日から日記を書いていこうかなと思ってる。五百字前後の物をコツコツやっていこうかなと思う。まずは明日。 今日は大樹さんと出す本について電話をした。大樹さんに提出した文章の感想と訂正点と今後について。 やっぱりなと思ったのは大樹さんに自分の迷いと心の状態を文から見破られてしまった。大樹さんに、きっとバレるだろうなと思って自分も書いてたから想定内だったし、やっぱりそうなんだって改めて確信した気がする。 文が萎縮してる。直すところがあまり

        • メンタルが落ちると

          自分はメンタルが落ちるとどうやら求人を調べ始めて眺める傾向にあるようだ。一抹の不安を、自分の不安定さをどうにか安定させようとするのだろう。 求人を見て、時給いくらとか、月給いくらとか書かれている項目を見て頭の中で算数が始まる。自分がそこに一日何時間居ればいくらになる。それ×○回の給料と言う数字の答えが弾き出される。 頭の中で算数をする分には楽観的だ。しかし実際にそれを行う体からすれば苦痛この上ない。 時間の切り売りをしてる感覚に耐えられる自分はいつまでもやってこな

        マガジン

        • ゼロ円ハウス
          188本

        記事

          手に握られたほんの少しの理解。

          先日の土曜日。テコンドーの先輩に連絡をいただいて、何年も会っていないお世話になっていた先生に挨拶をしに、その先生がやってる道場に行った。 その先生に会うのも、先生の道場に行くのも凄く久しぶりだった。 先生の道場で少しの期間、テコンドーを教えたりしてたこともあった。そのお陰で顔見知りの人もそれなりに居て、その人達に挨拶したり、遥か年下だと思ってた子達は軒並み学生を終えて大人になっていた。体も大きくなり、顔つきも変わり、凄く不思議な気分になった。そして自分がちゃんと歳を取って

          手に握られたほんの少しの理解。

          折角なら。

          今日は練習だった。 やはり楽しい。けどその楽しいは楽しいなのか?楽しいとしてるだけなのか?それは分からない。けど面白いと楽しいと思う自分を尊重したい。 体を動かすと言うのは色々な事に気が付く。そして今日、ハッとさせられた。 悩むと体も悩んじゃう事に気が付いた。体はただそうなるだけ。迷いがなければ体も迷わないし、楽しくなれば身体も楽しくなる。○○になれば○○になる。体に価値観は無いのでそうなったらそうなるらしい。そう言う体の仕組みを練習しながら強く感じた。 最近、考えて

          折角なら。

          最近のお話

          最近はほぼ毎日、ランニングしてダッシュして公園でも少しトレーニングしてテコンドーのステップして軽く動いたり帰りは歩きで帰ってクールダウンみたいな事をやってる。 体が痛くてもキツくても毎日やる。そんなに強度の高い事ではないから毎日やっても良いと判断してる。休むことが大切だと、オーバーワークだとか言う言葉も良く聞くけどまぁオーバーワークまで大抵出来ない。自分の場合は強度も足りないし。それにそこまでに到達する間に自分の体は必ず信号を出すから。それに全て抗い続けた人間にしか到達出来

          最近のお話

          自分と言う偽魔法

          昨日、東京の墨田区京島でおこなわれている大樹さんの個展に行ってきた。夜には大樹さんと小畑さん(バイオリニスト)と石倉さん(物書き)の3人による即興パフォーマンスがイベントとして開催された。 個展に顔を出した際にはゼロ円ハウスで一緒に住んでいたユキさんと久しぶりに会った。東京の地で大樹さんとユキさんの2人と同じ空間を共有する不思議さを感じて何かムズムズした。 やはり再会と言うのは懐かしさを生む。こんなことあったね、揉めたよね、バチバチしたよねなんて今では笑って話せる。これが

          自分と言う偽魔法

          逆算。

          小さい頃から夢が無かった。語れなかった。 それはある程度将来を考える時期に差し掛かっても変わることの無いスタンスだった。 高校生も終盤。友人達に置いてかれた。みんな将来を見ていた。焦った。 結局焦りのままに進学を決めた。 学生生活も終えてそれは突然訪れた。 就職した会社に初出勤。 心は真っ二つに折られた。その日1日だけで心を折るのは充分すぎる物だった。 なんてことは無い。就業中、心が折れた音が胸からして空を見上げたら世界が灰色に見えただけの1日。 どうやって帰

          逆算。

          3月も終わり。

          もう3月も終わり。4月1日が月曜日なんてキリが良いのか悪いのか分からない暦ですね。 神奈川に帰ってきてからそろそろ1ヶ月が経つ。相も変わらずに働いていない笑 それどころか本を作ることになった。ある程度想定はしてたつもりだったけどちょっとキツいなと思うこともある。 でも書き進められるのは自分しかいないので不安定な気分には負けていられない。何とか工夫して1時間~2時間程は書いたり、見直したりしている。 その息抜きにこうやって書いている。書く息抜きに書くことしてるとは中々おか

          3月も終わり。

          得意。

          最近、頭の中はもっぱら「読み手を意識する文章」の事で頭がいっぱいだ。 今までに使ったことの無い身体の回路を使ってる感覚が強くて自分本意に書いていた時に比べて何倍も疲れるし文量が増えていかずで中々削られている。 それでも本当に文は変化してるのか?読み手の意識は出来てるのかは分からないものだ。 しかし最近、読みやすくなったと言われることがあった。読み手の意識が正しく効力を発揮してそうなってるのかは分からないけど何か文にも変化があるようでその意見はとても嬉しかった。 読み手

          得意。

          春と言う季節。

          ヘタレの無い綺麗なスーツとその上から羽織られたコート。 そんな人とすれ違う。 「そうか。卒業式の季節でもあるのか」と心で唱える。 夜も深くなる頃、お店の前やら時には公園やらに沢山の人が集まっている光景を目にする。 周りの目フィルターを今だけは少し解除して取り外して愉快さを振り撒いている。人によってはそれをアルコールで加速させている者もいる。 忘れていた。春と言う季節が別れと新しい門出の季節でもあると言うことを。 愉快さを振り撒くその裏に不安や寂しさを抱えているのか

          春と言う季節。

          今日1日を違う形で。

          外は雲が無く青空が広がり、太陽も強く照りつけている。だがまだ春の陽気と言い切るには体を通っていく空気は少しばかり冷たさを帯びていて、春の訪れは感じるが…と言うニュアンスに留まるぐらいの気候。 上を少し着込む。下は短パン。何ともアンバランス格好でお昼前に家を出る。 少しランニング。家から少し離れれば畑ばかりが広がる田舎道。 疲れて歩く。田舎道を歩き、火照った体には少し冷たさを帯びた空気は心地よい。鼻唄を歌いながら歩くその時間は焦りや不安から距離を置ける。たまにはこういう時

          今日1日を違う形で。

          ポエム2

          望んでもいない物を自分が望んでいると思っていることがある。 それは望まなきゃいけないと思い込んでる物。 要らないと拒否したいのにそれが許されないと思ってる。 だから望んでる自分を演じ続ける。 その自分であるから認められてる。そう思い込んでいる。 その思い込みの中で過ごす限りはどんなに悩もうが行動しようが全ては紛い物。 それらを対処しても見た目だけ変えて紛い物はいつまでも現れ続ける。 それを終わらせるには捨てたいと思ってるものをちゃんと捨てること。 それ以外に無

          ポエム2

          ポエム

          自分と向き合う事は都合の良い現実を作ってくれる魔法じゃない。 現実が変わらないことを、都合良くいかないと思う事を自分と向き合うことで全て解決しようとするその思い上がった考えが自分は自分と向き合えてると言う勘違いを生み出し、それが何もかも見えなくさせる。 そもそも自分が自分とちゃんと向き合えてると言う保証はどこにもない。 それは自分と向き合えてる気がするものなだけで実際に向き合えてるかと言う事実とイコールじゃない。 そうなりたくないと思うしそうなりたくはなかったなと思う

          ポエム

          初めての試合。

          小学校3年生頃からテコンドーを習い始めて1年も経たない頃、初めての試合に出ることになった。当時は2週間に1度しか練習が無かった。 現在の自分から思い返すと、この試合は初めてと言う事もあったのか印象深く、そして1番試合その物に集中出来てたと今でも思う。この集中の度合いはテコンドーを続けてきた今までの十数年を振り返っても、初めて出たこの試合に勝るものは無いと思ってる。 試合当日… 時間ではなく、トーナメント方式で試合が進んでいくこの過程で自分は試合の番までのカウントダウンを

          初めての試合。