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父に捧げた写真

こんばんは。トサノコージです。

今日は暖かかったですね。
自分はスタジオにこもりっぱなしだったので確認できていないのですが、もう桜は咲いていたでしょうか?

今日から新年度、新しい生活を始められる方も多いと存じます。

ここ10年ほど、桜とともに迎えるこの4/1 という日は、自分にとって忘れられない一日となっています。

父の命日です。


ある春の日


10年ほど前の今日、丸の内でとある企業さんの入社式の撮影を依頼されていました。

皇居周辺の川沿いはどこも桜が満開で、晴天も相まって非常に綺麗だったことを覚えています。

入社式の合間、ほんの少しの休憩時間に突然、母から着信がありました。

父が危険な状態だという知らせでした。

父はそれまで一年近く胃がんで闘病しており、入院していたのですが、ふとしたキッカケで容態が悪化したとのことでした。

母からは「おそらくもう駄目みたいだけど、一応知らせただけ、仕事を優先して」と言われました

おそらく、普通なら親の危篤の際には何を放っておいてでもそちらを優先すべきでしょう。

ただ自分はカメラマンです。
この日の100名を超える新入社員の皆さん、そして企業としてこの日を迎えたという記録を残さねばなりません。
そうでなければ、自分はここにいる意味も、この仕事を続けている意味もなくなるのです。

代わりのカメラマンを急遽探せるか? と一瞬頭をよぎりました。
が、もう式は始まっていて、時間的に不可能です。

それに、自分という人間の写真をこんなめでたい日に求めてくれた期待を裏切るわけにはいきませんでした。

母は、そんな自分の思いを汲んでくれたんだと思います。

妙な責任感の強さというか、「人に迷惑をかけてはいけない」という生真面目は正確はまんま母から受け継いでいるような気もします。

自分も母の申し出に「わかった」と伝え、式の終わる夕方まで撮影を全うししました。


覚えていない撮影、撮った写真


写真を撮った時の記憶って、その写真を納品時に見返すという動作もあり、ずっと覚えているものですが、この日の撮影に関しては細かいことは一切覚えていません。

どちらかというと母からの電話を受け外に出て、スマホを持ったまま眼にした満開の桜の景色ばかりが思い起こされます。

どんな式だったのかどんな写真を撮ったのか、全然覚えていないのですが、きちんと納品されていたので、問題なかったのでしょう。

その日撮ったという自覚、記憶があるのは、母から電話を受けたあと、休憩の残り時間にカメラを向けた桜の木です。
広い会場で撮影だったので、70-200とかぶら下げていて撮り放題だった記憶。

そんなもん撮ってるヒマがあったら、代わりのカメラマンを探せと少し思いましたが、けどもうここから動けないし、母には仕事をやりきると伝えました。

先日あった時、病室の父から「外の桜はもう咲いちゅうかえ」と東京に引っ越して来て数年経っても変わらないままの土佐弁で聞かれたことを、ふと思い出しました。

「このキレイな桜を、後で写真で見せてあげよう」

そう思ったのかもしれません。

結局、見せることは叶わなかったわけですが。


桜を見せたい


仕事を終え、病院へ向かいました。
そこからはもうバタバタでしたが、電車でジッとしているだけだったので、撮影をしていたときよりは記憶があります。

夕方だったので車内はとても混雑していて、大きなカメラ用のキャリーケースを持ったスーツの男が汗だくで電車に乗っていたのはだいぶ周囲にとっては迷惑だったでしょう。

新宿駅で電車に乗り換え、発車と同時に先に病院に向かってもらっていた妻からLINE で「今亡くなったよ」と連絡がありました。
混雑に酔ったのか、小走りで移動してたからなのか、健康な自分が人生で初めて「立ち眩み」を、その一行を読んだ際に経験しました。

そこからタクシーで病院へ向かい、父と対面です。

そこからはよくある諸々の手続きなので詳細は省きますが、家族で囲んでお医者さんの時間確認の声を聞きながら
「ああ、ドラマとかでよくある光景だな」
と妙に冷静な自分がいて。
そして同時に動かなくなった父の顔をみながら
「ああ、桜を見せてあげたいな」
とふと思ったのでした。


写真で送るということ


客観的にみれば、すべてを放棄すれば立ち会えた親の臨終に、敢えていかなかった親不孝者です。

が、自分は、自分の中ではそうは思わないようにしました。

「カメラマンでありつづけるために、選んだ」

そう、思うようにしています。

中途半端に後悔してしまうと、旅立った父の期待や思いを汲んでくれた母の気持ちを台無しにしそうだったし、あの時桜を眺めながら本当の意味で腹をくくったんだと思います。

後日、葬儀の際の棺に、桜の写真を入れました。

観られなかったその年の春の桜、悲しいぐらいに満開でしたが、そんな写真で送りました。

カメラマンとしての覚悟を、別れ際に父に見せたような気分にもなりました。

その時に撮って棺に入れるためにプリントした写真のデータは、後に削除しました。(TOPの桜はその日の別カットです)

仕事でも趣味でも、基本的に撮った写真のデータを抹消することはないのですが、このときは何故かそんな気分でした。

あの世に完全に持っていってもらいたかったのでしょうか。

いや〜、甚だ自己満ではありますが。

たまに人間の感情って不思議って思いますね。何年生きても。


以上、4/1という日に撮った写真、という思い出にまつわる内容でした。

春だというのにシンミリした内容の記事でしたが、もうずっと自分が生きている以上はこの時期に桜を見る度に思い出すことでしょう。

なんなら、ここ3年ほどで旅立った猫たちもこの時期に大病で辛い生活をおくっていたので、切ない記憶は倍増です。

生きていれば生きているほど、命日が増えていくのを実感しています。

なら、生きているうちに後悔のないように動かないと、と今年も桜を観ながら心に決めるのです。

まだ観てないけど。

それでは、また明日。


トサノコージ初個展「百日」まであと4日!
2024年4月5日(金)~7日(日)
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写真展前日までの「100日間」を撮影した写真展です。
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