向き合うんじゃないよ
「向き合う」って言葉が嫌いです。
金欠とか渋滞とか尿漏れとか、そういうものには盛大に向き合ってくれていいんだけど、内面的な諸問題に対して使われる「向き合う」がイヤ。毛嫌いと言ってもいい。
そうはいっても「向き合う」の流行ってるみたいだし、なんでかな?と少し考えてみた。何かを実現したり、成し遂げたことを振り返って語られる「向き合った」には、些かの嫌悪感も感じないので正確には「(これから)向き合う」ことを宣言されちゃうのがイヤなんだ。人様の内面の葛藤なんか知らんがな。
何述べてんだよ、っていう。
たいていの場合、生きてるだけで様々な問題に直面するわけで、そんなもんわざわざ向き合わなくたってほっといても目の前に現れてくる。
両目瞑って生きてるのだろうか。
僕はこれから「向き合う」に向き合わなきゃならないのかな... 流行り言葉で終わらないで定着しそうで怖いわ。「癒し」とか。癒されたかねーっつーの。
なんだか言葉使いが荒れてますね。
申し訳ございませんです。
心穏やかな夜にちょっと刺激を加えたかったので、文体に小細工しました。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
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