写真の本体はデータにあり、プリントはその派生物として考える。
以前にこんな記事を書いたのだけれど、読み直して気づいたことがあります。
それは僕の関心が「写真の本質」ではなく「写真という現象」に傾いているのだなということです。
経験の量や、質が原因であることは明白ですが、本質については優れた先達の方々が、傾聴に値する様々な見解を教えてくださいますから、それについて考えるほうが賢明でしょう。
できるだけ明晰に考えを進めるために、自分自身が直面する様々な現象に的を絞ってしまったほうが良いのではないかと思っています。ですからデジタルカメラを用いた写真、あるいはデータ化された写真のことだけに限定しています。
それが「写真の本体はデータにあり、プリントはその派生物として考える。」という仮説を立てた理由です。
果たして成果はあるのでしょうか?
なくてもいいんですけどね。面白いから。
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