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「本の福袋」その11 『フェルマーの最終定理』 2012年5月

大学に入って1年目の春に解析Ⅰのテキストだった高木貞治の『解析概論』に出会うまで、数学は好きな科目の一つだった。こう書くと『解析概論』が難解だったので数学が嫌いになったと言っているように聞こえるかもしれないが、問題はこの教科書にあるのではなく、自分自身にあったのだと思う。つまり、大学に入ってから真面目に勉強しなかったから数学が嫌いになってしまったのだ。因果関係は、「嫌いになったから勉強しなくなった」ではなく、「勉強しなくなったから嫌いになった」のだと思う。ちなみに、『解析概論』は今でもこの分野の名著として読まれ続けている。
 
数学はパズルに似ている。たとえば、初等幾何の問題だと、補助線を一本引くだけで問題が簡単に解けることがある。その補助線を見つけた時の快感は、パズルが解けた時の快感に似ている。もしかするとそれ以上かもしれない。ただ、数学の問題には解がないものもある。
小学生の時、コンパスで任意の角を二等分する方法を教わった時、任意の角の三等分もできるのではないかと思い、定規とコンパスを半日近くいじくり回していた記憶がある。後日、定規とコンパスによる任意の角の三等分は不可能であることが証明されていることを知ってがっかりした覚えがある。もちろん、不可能であることを証明するのも一つの解だと考えれば、この問題にも解があったと言ってよいだろう。
 
今回紹介する本の主題である「フェルマーの最終定理」は、約360年という長い期間、本当に解がない問題であった。1994年にアンドリュー・ワイルズがこの定理の証明を発表するまで、証明も反証もされないまま、つまり正しいのか間違っているのか分からないままになっていた定理である。本来、定理とは公理に基づいて論証によって証明された命題のことなので、「フェルマー予想」と呼ぶべきものなのだが、フェルマーが、古代ギリシャの数学者ディオファントスの著作『算術』の余白に「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」と書き残したために「フェルマーの最終定理」と呼ばれてきた。
 
さて、その「フェルマーの最終定理」は、次のように書かれる。
 
$${x^n+y^n=z^n}$$
この方程式は、nが2より大きい場合には整数解を持たない
 
極めてシンプルで、中学生レベルの数学の知識があれば、誰でも理解できだろう。言うまでもなくnが2の場合には、この方程式はピュタゴラスの定理「直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい」を表すものである。しかし、nが3以上になると整数解を持たないという。
あまりにも分かりやすい問題であるため、過去にはプロの数学者だけでなく、多くのアマチュアの数学ファンが、この問題に挑んできた。フェルマーの「驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」という言葉は、数学者や数学ファンに対する挑発であり、この言葉を信用すると、数行では無理にしても、数ページで記述できるエレガントな証明があるのではないかという期待を抱かせる。
この本の主人公であるアンドリュー・ワイルズも10歳の時にこの「フェルマーの最終定理」に出会い、この問題を解くことを夢見てきた一人である。
 
さて、本書だが、ワイルズの証明の解説本ではない。著者のサイモン・シンは、数学の歴史とフェルマーの最終定理に直接間接に関わってきた多くの数学者の人間ドラマを描いている。登場人物は非常にバラエティに富んでいる。紀元前6世紀に生きたピュタゴラスから、一人の女性をめぐるトラブルから決闘によって20歳で亡くなった天才数学者で革命家でもあったガロア、不完全性定理で有名なゲーデル、アルゴリズムとコンピューティング(計算)の概念を定式化したチューリング、実に様々である。そうそう、谷山豊、志村五郎という2人の日本人数学者も登場することを忘れてはいけない。
この本は、サイエンス分野における最高のドキュメンタリーと言って過言ではない。ノンフィクションなのに、まるで良質なミステリー小説を読んでいる気分になる。数学嫌いでも十分に楽しめる一冊である。
 
ちなみに、ワイルズの証明はウェブ上で公開されているので、誰でもダウンロードできる。ただし、専門家でないとまったく歯が立たないので、これはお薦めできない。
http://math.stanford.edu/~lekheng/flt/wiles.pdf
http://math.stanford.edu/~lekheng/flt/taylor-wiles.pdf
 
 【今回取り上げた本】
サイモン・シン『フェルマーの最終定理』新潮文庫、2006年6月、830円
 

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