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ジョンズホプキンス大学 留学体験記③ 〜現地での体験〜

第3弾の体験記では現地での経験について書きます。

私は6週間、現地の医学生と同じカリキュラムで臨床実習をしてきました。移植外科を中心に外科をローテートしました。


建物

Johns Hopkins Hospital は建物自体は新しくないもののDaVinciは玩具のようにそこら中に置いてあり不思議な感覚であった。
それぞれのビルはZayed, Blalok, Weinbergなどとブロック毎に呼び名が決まっており、全て渡り廊下で繋がっていた。慣れるまでは迷路のようだった。
下の建物は、撮影スポットのドームである。この中には巨大なキリスト像があり荘厳な空気だった。

ID バッジ

初日は、事務室に行ってIDバッジをゲットすることから始まる。長蛇の列ができており、取得までに30分ほどかかった。
IDを使えばできることが格段と広がる。一つは、ICUやオペ室に入れるようになる。また、IDを使ってオペ室に入るためのスクラブを貰える。
スクラブは機械でIDを読み取り自分で回収するシステムになっていた。ちゃんと返さないと次に借りれなくなっているので注意が必要だ。
その他にIDがあれば図書館やジム、シャトルバスの利用ができるようになる。生活の自由度が広がった。

実習

Scrub class

実習に入る前にホプキンスの医学部3年生と、手洗い、ガウン手袋着脱、尿カテーテル挿入の授業を受けなければならなかった。初日の午後に受講した。
OSCEや日本での臨床実習で体験していたが、ホプキンス流のやり方は自分が知っていた方法と少し違っていて面白かった。
手洗いはスポンジを使う。予備洗浄後にスポンジで指先から肘まで徹底的に擦る。水洗いしたらそのままオペ室に入り、清潔な看護師から清潔な布をもらって濡れた手を拭く。布を捨てて、ガウンを装着、手袋は清潔な看護師が広げてくれるのでそこに手を突っ込んで装着する。ちなみに清潔は英語でSterileである。
日本では手洗い後ペーパーで拭いてアルコールを擦り付け、乾いた状態でオペ室に入るので、最初はずぶ濡れで入室することに抵抗感があった。どちらがいいかは分からない。個人的には日本流が好きだ。
その授業を受けるとシールをIDバッジに貼られてオペ室でスクラブイン(手洗いとガウン装着)できるようになる。

外科実習

移植外科、心臓外科、胸部外科を回った。1日のほとんどを病院で過ごした。
毎朝6時半、早くて5時半に病院に行き、回診前の準備などをした。レジデントに付いて回ったので一人で医療行為をすることはなかった。実践的で教育的なシステムだった。
移植外科は肝移植、腎移植、肺移植のオペを中心に参加した。肝移植チームは肝切除術や肝嚢胞摘出術など一般的に肝胆膵外科が行う手術も担当しており、それらのオペにも入った。
基本的に毎回スクラブインして、助手を務めた。
日本と大きく違ったのは、患者の入室から退室まで全てのプロセスに戦力として参加することだった。
日本では見学がほとんどであり、術野に入っても手を動かす範囲は限定的だった。入室や退室の時には学生は関わらないことが多かった。
一方、ホプキンスでは尿カテーテルの挿入、患者の術台への固定、ICUへの搬送は全て医学生が積極的に行うべきこととされていた。術野でも吸引、止血、糸切り、簡単な縫合は行うように指導を受けた。
オペは、肝移植も腎移植も肺移植も日本とは桁違いに症例数が多く、毎日何かしらの移植術に入った。学生の身分で生意気だが、もしかしたら一般的な日本の医師よりも移植術を見たかもしれない。
心臓外科も日本との違いが顕著だった。CABGは毎日2件以上あり、On-pomp が主流だった。日本ではOff-pomp がスタンダードであり、ホプキンスの外科医は日本人の先生たちをものすごく尊敬されていた。その点は驚きだった。
胸部外科は、呼吸器外科と食道外科のことである。アメリカでは消化管と呼吸器という括りではなく、胸腔臓器と腹腔臓器という区分をする点が面白い。ロボット支援下の肺葉切除術やThree Insicional Esophagectomy(右開胸開腹食道切除)のオペに入った。
まとめると日本よりも学生の裁量が大きく、症例数は圧倒的に多かった。

大変だったこと

まずは英語の速さに驚いた。噂で東海岸北部は英語が早いと聞いていたが、実際に話してみて「早口にも程があるだろ」と思った(笑)。日を追う毎に聞き取れるようになったが、最初は5割ほど何言ってるか分からなかったので、雰囲気でやり過ごしていた。自分で言うのもなんだが、純ジャパなりに頑張ったと思う。
また、外科器具の名前を覚えるのも苦労した。日本での名前と被るものもあるが、全く違う器具もあった。まずは聞き取るので精一杯だったので、自分で調べたり看護師に聞いたりして覚えていった。
オペ中の会話も骨が折れた。早口なだけでなく会話のテンポも早いので、早く返答しなくてはならなかった。英会話のいい練習になった(笑)。
ポイントは、日本での症例数、日本の先生、日本での器具の呼び名などについて語れるようになっていると強いと思う。ホプキンスの先生は日本のことをよく知らない(ことが多い)ので、興味を持って聞いてくれる。自分はこれらのことを下調べして行ったので、何とか会話に入ることができた。
肺移植は急に夜中に呼び出されることもあり、その時には体と脳が悲鳴を上げていた。体力以外にも気力が必要だと感じた。一番きつかったのは日曜日の朝6時に呼び出されたことだ(笑)。完璧に油断していた。寝れる時に寝る、食べれる時に食べる、これが鉄則だ。
医学英語、医療英語はUSMLE Step1に合格していたこともあって、予想以上に苦労はしなかった。ただし、YouTubeにある動画などで発音やイントネーションを確認しておけば、もっと聞き取れたとは思った。

印象に残ったこと

繰り返しになるが、実習がより主体的で実践的な内容であったこと、医学生もしっかりとチームの一員として機能するように求められていることは印象深かった。
また、看護師の中には数人だが日本語が多少分かる人もいて驚いた。看護師だけでなく、日本に興味があって是非言ってみたいという人は職種問わず大勢いた。ほぼ地球の真裏に一する日本は興味深い国なのかもしれない。
しっかりと分業の体制が整っているのも印象的だった。移植は術後管理が特殊なこともあって医師が見ることが多いが、移植外科や胸部外科は術後管理はそれ専用のチーム(PA)が存在しており、外科医は手術に専念できるシステムになっていた。非常に合理的だと感じた。
ただし、日本と比べてかなり大雑把な部分もあった。手洗いや麻酔管理、止血作業、特に閉創は日本で見てきた先生の方が丁寧だった気がする。麻酔管理や機械出しも日本の方が厳格な印象だ。これでも上手く回っているのが不思議と思えるくらいのいい加減さもあるが、要所はしっかりと押さえていた。大胆さと繊細さのバランスが重要なのかと考えさせられた。

まとめ

6週間ジョンズホプキンス病院で実習してみて、アメリカの良さも欠点も感じた。日本より優れていることもあれば、日本の方がはるかに良い側面も多々あることに気がついた。決して日本が劣っているわけではないと思った。
ボルチモアの生活も刺激的だった。病院周辺は治安が悪いが、北部のTowsonやInner Harborの方など、地域を選べば治安が比較的良い場所があり、イメージしていたよりかは悪い場所ではなかった。ただし、病院周辺の地域は現地の人からしても異様な雰囲気らしいため、夜暗くなってからは出歩かない方が身のためだと感じた。
やはり実際に足を運んでみないと事の実在は理解できないと考察する。日本で聞いていた話とまるで違うことが多かった。伝聞と体験の違いを如実に感じた6週間だった。
そして、アメリカの一部しか見ていないということも認識しなければならない。私が見た世界はアメリカ東部の一つの都市でしかなく、西部、北部、南部の他の州はまた違った文化だろう。私の体験はアメリカの代名詞となるものではないことは忘れてはいけないと考えている。

以上、徒然なるままに体験と感想を書きました。

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