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Lesson77 自分の課題、相手の課題

課題の分離。
心理学をかじったことがある人なら、聞いたことがある言葉だと思う。

人の行動や言動にモヤモヤしたときのことを思い浮かべてほしい。
「なんでそんなことするの?信じられない」という気持ちになり、ひどく落ち込んだり何度も思い返す時、それは課題の分離ができていない。
「嫌なことするな〜。ま、私とは考えが違うんだな」と思えるなら、課題の分離ができている。
私の解釈で単純化して説明するなら、こんなかんじだ。

専門的な説明は、調べれば山程出てくるので、調べてほしい。

私は、うつになってから、ずっと課題の分離に取り組んできた。
課題の分離が下手だから、メンタルを病む、
そして、親子関係がこじれるのも、ここに理由があると思っていた。

最近になって、やっと「自分、課題の分離できてきたやん!」と実感した。
格段に生きやすい。格段に楽になった。

なぜできるようになったのか。
いくつか大きなきっかけがあると思う。

まず、母との確執に悩み、様々な取り組みをしたこと。 
いつか毒親孝行フントー記にも詳しく書こうと思っているが、この記事でも少しだけ触れておく。

取り組みの中でもインパクトのあったものが2つある。

1つ目は、吉本伊信関連の本を読んで知った「内観法」だ。
4年前のことで、本のタイトルも、やった取り組みもほぼ覚えていないのだが、「体験」は覚えている。

私は押し入れの中に入って(たぶん、暗く静かなところで実施するように書いてあった)幼少期のことを思い出していた。
ジャーナリングのような早書きで、自分の子どもの時のこと、親のやってくれたことを思い出して書いた。
その時はまだ、母へのネガティブな気持ちはたくさん持っていたにも関わらず、「仕方ないな、母なりに一生懸命やってたんだろう」という、諦めのような気持ちが湧いてきた。

自分と母を、少し切り離して捉えることができた瞬間だった。

もう一つは、インナーチャイルドの本に書いてあったワークだ。
上の内観と同じ時期に集中的に実施した。

瞑想の中で、まず私と母の体をくっつける。
くっついた状態の私と母。
そして、次に、レーザービームを出して、私と母を物理的に切り離す。

大きな違和感なくくっついた私と母。痛みを伴って切り離された私と母。
この瞑想以降、母と私の距離感は変わった気がする。
同じ本のワークで、幼少期から思春期までの私に対して、「私があなたたちの親になる」と伝える瞑想もあった。
いつか、フントー記に詳しく書く。

まだ書きたいのだけれど、
長すぎるから続きは後編に。
次回はアートセラピーで課題の分離に取り組んだことについて。


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