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産後頑張りすぎたこと

産後の恨みは一生物というのはよく聞く話ですが、こちらのVoicyのkgshun先生の対談にホルモンの乱高下だよねーとしみじみ思った私です。

コロナ禍でこういった両親学級が開催されていなかったので我が家は経験できず残念でした。
夫氏は参加意欲はあったものの、機会なくYouTubeの沐浴などの動画を観て勉強していたのを思い出します。

Voicyパーソナリティーのバブリーたまみさんの発信でも産後クライシス等何度も取り上げられていますし、ぜひいろんなゲストさんとの対談など過去放送もおすすめです。

バブリーたまみさんの書籍は産前からご夫婦でお読みいただきたい...

今回は我が家の体験談と今思うと頑張りすぎたし、頑張ったツケがきてるなという事案を話したいと思います。

想定外だらけの出産

当初は立ち会いも育休取得も希望していましたがコロナの波で立ち会いは禁止に。そして職場のねじ込まれる出張と繁忙期により出産と同時に予定していた育休は取れず...。

恐ろしいことに出産予定日ごろに県外出張(結構長期)が入るかもしれない疑惑が浮上。

もし陣痛や破水がきても送る人がいないため、陣痛タクシーを予約するも、まさかの夜間対応はできないとの返答。
どないするんだと頭を抱えて保健師さんに相談すると『救急車を呼んでください』とのこと。え...ほんとに???
ところが病院に報告すると『救急車は呼ばないでください』と断言。え????
じゃあどないしろと????
結局誰もどうすれば良いとか教えてくれず、最悪タクシーにごめんやけどタオルとか敷き詰めていくしかない説となりました。
地方、田舎の恐怖よ(それでもまだ盛えている地域)

そして突然、それはやってきました。
下着におしるしがついたのを発見。
ちょうど平日の朝だったため『いよいよどこかで陣痛がくるんだね』と話していた数日後...

いつものお散歩一万歩を目指しえっちらおっちら。安定の頻尿にトイレに行くと『?おしるしかな?』という、念のために当てていたナプキンが濡れている。
そのまま散歩してマクドで一息休憩。念のためトイレに行くとやはりまぁまぁ濡れている。交換したばかりなのに。

...これ、破水じゃね?

病院に電話するとすぐ来いとの指示。
慌てて夫氏に電話して仕事を早退してもらいました。出張行く前でよかった...!

で、破水だねということで入院も陣痛来ず。
結局陣痛促進剤を2日いって出産となりました。
なお、当時さまざまな要因の人手不足から陣痛時も誰もいない(点滴操作ですぐ消えてしまう)、分娩室に移動もすぐ転がされて、楽な体位などの指導もポジショニングもなく放置された(誰もいなくなる)ため相当辛かったです。
いや、まだ生まれそうにないし人手不足なのはわかるけどね。

退院後に恐怖の未来しかない

出産後のタイムテーブルに従い、退院の日は確定。レンタルベビーベッドも届きいよいよ自宅...と思いきや。
夫氏の職場でコロナ陽性者が発生。
遠方の母たちに依頼しているヘルプもコロナの検査をしてから、移動してきてもらう予定だったのですが、夫氏がもしコロナなら家に帰れません。
そもそも検査もものすごい予約待ち状態で検査キットも手に入らない状況。

産前から相談していた保健師さんに早速相談、産後ケアで助産院にそのまま移動して過ごすことを提案されました。

結局夫氏はコロナ陰性で無事だったものの、激務でボロボロ。退院日から有給を3日とってくれていますが何せ不安。
それでも一緒に産後暮らしたいとの夫氏の要望もあり、産後ケアの助産院は数日過ごしてから判断するということで保健師さんとも段取りもつけました。

あり得ないぐらいにボロボロ

無痛分娩などやってませんの地方ゆえ通常分娩だった私。円座なしでは生活できない状態に。

さらに退院前日から母乳が体で急に精製されはじめ、胸が恐ろしいぐらい腫れたうえに痛みがすごくなりました。
でもまだスムーズに分泌まで追いつくわけもなく。
MAXズタボロのうえに『痛いよぉ...痛くて寝れないよぉ...』という悲惨な状態で退院。
鬼ほどロキソニンを貰いましたが痛い。

そして退院して始まる初めての新生児との共同生活(沐浴指導も私しか受けれず夫氏はレベル1)

どうなったか、もうお分かりかと思う。

社畜で過労で死にかけの夫氏と産後ズタボロの私は泣きながら『助産院行こう』となったのでした。
夫氏は3日休んだらもう激務再開なのです...無理無理!

もっと頼ればよかったよ

休む予定の助産院はまさかのおっぱいブートキャンプで1週間が終わり、寝れない3週目に突入しながら自宅へ。

週末夫氏と2人体制ののち、母たちのヘルプを受けることにしました。とはいえ母たちもそれぞれのお家があるわけで平日のみ。

母のヘルプは朝から夕まで、夜は夫氏と2人体制で...と頑張りました。

1ヶ月健診を終えて、週の中数日のみ母のヘルプをお願いして産後2ヶ月からはヘルプなしで昼間は私がワンオペ。

みなさん察したと思う。そう、社畜の夫氏が定時に帰れるはずはなく21時帰宅(下手したら23時帰宅)は継続されたのだ。

うん、頑張りすぎ。
そもそも産後1ヶ月すぎても、落ち切った筋肉と体力でそんなに急にフルで家事育児できるはずがない。

ちなみに夜の授乳もオムツ交換もなまじ母乳育児できてしまったため、夫氏はできることが乏しく、さらに過労から起きることもできなくなり...
戦力となるのは夜の寝かしつけで寝てくれなくて永遠にバランスボールで揺れているタイミングに帰宅/起きていたら率先してやってくれるという点のみ。

バブリーたまみさんの最近のブログにある夫のねんね問題がまさしく!!!な状況でして。
社畜の疲労でヘルプしてもらったあとの夫氏のダメージ具合が酷すぎて頼めなくなったのです...

頑張りすぎた事案はこれだけじゃない

資源ごみや普段のゴミ出し。あろうことか私が任せることを諦めて産後すぐから対応していた。したらあかん...!!!

産後1ヶ月すぎてから日光浴も兼ねて気分転換にもなると散歩に買い物もして料理までしていた。頑張りすぎ!
なおヨシケイとか試したものの量の少なさに断念。

夫氏に休日託して寝ておけばよかろうに一緒にお散歩とかしていた。どんどん託せ!!!

内祝いを全部私が手配した。もうさ、これ...慣習どうにかならん?これ産後1年ぐらい猶予をください。

産後ケアも回数が気になってヘルプがきた産後2ヶ月は利用していなかった。逆に3ヶ月〜6ヶ月までは限界が来て活用しまくった。
今思うとさっさと外部に頼る方が良かった。回数制限さえなかったらもっと頼りたかったなぁ。

親知らずを産後5ヶ月のころ抜歯したのだが、これも産後1年はしてはいけなかった。
完全母乳だけど私も痩せてきていたし、抜歯にかなり苦労したおかげで痛みから余計に食事も取れず、抜歯後の肉の盛りも悪く母乳まで減ってしまうという悪循環に。

落ち切った筋力体力なのに、相手はベビーカー拒否で基本床でなんて絶対寝ないマンの怪獣さん。
おかげで抱っこして寝かしたり、抱っこで散歩することになったのだが、骨盤矯正に行った整体のお兄さんに『今のもふもふさんの筋力ではオーバーワークで骨格で無理やり動かしていますね』と断言される事態に。悲惨。
それでもこっちに忖度なんかせず寝ないんですよ、赤ちゃんってさぁ。

結果どうなったか

我が家は幸い産後クライシスにならなかったものの、夫氏の育休いつとれるのか、とるの短すぎる問題で内心ブチギレ爆発したり、母のちょっとした言葉に内心メンチ切ったり(内心どころか出ていた)...まぁまぁ、きてました。

幸い夫氏はフルで育児参加したいマン(体力が追いついてないだけ)で夫氏自身が産後クライシスを恐れていたことから地雷は踏むことなく過ごすことができました。これは夫氏の努力が大きいです。

体調面で言うと、産後からどんどん痩せて体重は戻ることなくなんなら今も痩せ続けている(とほほ)
筋力は1年でようやく少しは戻りましたが...
体力は根性でカバーしていますが、落ちている状態です。

良かったこととして、産後すぐボロボロながらも夫氏と相談して一緒に頑張ったので『あの時は大変だったよね』と言い合えること。同志として気持ちも協力の反射神経も上がった気がします。

産後1年は無理はダメだと思う

肉体的に産後1ヶ月は骨盤底筋などズタボロなので横になれと言いますが、個人的に1年は無理をしてはいけないと思いました。

今回お話していませんが、私はこの後も0歳児連れの引越しと就職活動、保活、就職などなど詰め込んでしまい、体力等取り戻すのにきつかったので...
ただ、あくまで我が家の一例なので『子どもがめっちゃ寝るねん』『自分体重びくともせんし』などなど、個人差はあります。
ほんと、子による。

ただ産後は相当記憶に強烈に残るので、みなさん心して挑んでくださいとだけお伝えしておきます。

どなたかの参考になれば幸いです。

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