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春 社会人20年目のふりかえり 事業再生士の場合

社会人20年目の春を迎えました。まだまだフレッシュな気持ちでおりますが、20年を経て私には事業再生という専門分野ができました。

新入社員のみなさん、どんな20年後になっていたいですか?まだ1週間も慣れていないのに、1ヶ月後や1年後の想像がつかないのは当然で20年後の話をされるのに不思議な感じがするかもしれません。

社会人歴20年目は大人になるのに必要な時間と、同じだけを社会で過ごした事を意味します。20年を経て社会人としてどんな人物になったかを考えるに相応しい節目だと思います。

さて、あなたはどんな社会人になりたいですか?私は社会人になるに際して、“想いを束ねる人になる”=重大な意思決定をする人をサポートするという夢を描きました。12年間で4度の転職、さらに起業して8年という変化の幅が多い人生になりましたが、夢を見失うこと無く一貫して事業再生に携わることができました。

ぜひあなたもプロとして、人様に頼って頂ける社会人になる為に、最初に20年後の未来を想像してみてください。青雲の志は大事で、願ったことしか叶わないものです。

私の事業再生というキャリアは、人の人生で一生に一度あるかないかの経験を積むことができるありがたい仕事です。金融で2年の経験の後、18年で80社を超える事業再生に携わり、人の80倍の経験が積めたと思っています。結果として、事業再生を通じて転職やクライアント先にて経営、財務、経理、総務、人事、営業、企画と一通り経験しました。

そんな私の20年をさらっとご紹介致します。新卒入社後の最初の2年はリース会社に勤めました。そこでは営業と簿記と与信の取り方を学びました。営業マンとして、大阪中央区を中心に中堅企業のルートセールスと新規営業しました。大阪の人にもまれて、ボケやツッコミ、話のオチを意識できるようになったのは話術の基礎となりました。

仕事の面でも簿記や稟議書の書き方、与信の固め方に触れられたのは幸せです。大企業という組織でも目標達成の難しさや、組織が一丸となって目標にしがみついて努力すること、内部統制(ワークフローや委任権限、監査など)を体感できました。事業再生の人生に今も息づいています。

その後、縁あって民事再生申請の酒蔵に転職し、学んだのは与信悪化の中で取引をする難しさでした。さらには、商品政策を立て直さなくては、根性営業だけでは売れない厳しい現実を突きつけられました。

売れるための基礎を作る意味で、現場に立脚するブランディングの大切さを学び、作り上げました。成果を出すのに2年が過ぎ、成果を出せばいつかは評価されると信じて努力しましたが、成果だけでは評価されない組織の難しさも味わう事ができました。

年間予算がない中で成功失敗がつきもののビジネスで、都度批評論評される小田原評定の辛さを学びました。地方企業が営業展開する中で、卸の現実と拡販の難しさを感じたことも現在のアドバイスに生きる経験となりました。

酒蔵の仕事に区切りをつけ、私のキャリアを面白いとM&Aコンサル会社が拾ってくださいました。PMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)で現場の立て直しを担当させていただき、おかげさまで事業再生のキャリアが継続きました。

店舗別損益の管理させていただき、管理の中で必要になる新規出店や閉店作業をさせていただきました。「M&Aは8割失敗する」と言われますが、M&A後のアフターマネジメントの大事さ、難しさを体感しました。単にM&A仲介で終わるだけでなく、M&Aコンサルとしてクライアントの利益にコミットした面白さ、難しさを経験することができました。

ひょんな人のご縁から急に再生投資ファンドへ入社することとなりました。投資ファンドは資本の論理がルールの世界です。株主権の強烈さを体感する事ができました。また、バブルの後遺症からの事業再生がメインの時代でした。そのため、事業再生の中でも外科手術といわれるバランスシート上の過剰債務を債権カットし、再生するのが全盛の時代でした。

そこで学んだことは、事業自体の問題が解消されること無く、単に債権カットにより支払利息の負担が軽くなっただけでは事業再生しないことを学びました。株主が現実を踏まえず、豪華な設備、借金が軽くなったことで問題が解消したと、見当違いのマネジメントを行う事があります。

事業を取得したファンドがテコ入れの投資を惜しむと、どんなに立派な会社や施設であったとしても、足元の赤字を原因に泥試合になっていきます。結果として、現場は疲弊し、ファンドがオーナーという長期的展望が見えない中、その組織にコミットする人が徐々に減り崩壊していきます。

投資家は短期で売り抜けるのか、長期投資かのスタンスを明確にした上で、それに合わせた施策が大事だと体感しました。

リーマンショックの最中に、中小企業コンサルへ転進しました。当事者で無くアドバイザーとして、私が事業再生に取り組む初めての機会となりました。リーマンショックでいとも簡単に苦境に陥る中小企業のつらさを目の前で学びました。

客観的視点からアドバイスすることで、事業再生の問題が解決できる手応えを感じたのも収穫でした。国や地方公共団体は、危機に対応し融資に保証を出しますがそれ以外には何もできません。本当の苦境に陥った会社はその恩恵の対象にもならず、それらを救う方法は用意されていません。

そのため自助努力しか基本的にはありません。事業再生の最中にある経営者は孤独です。経営者には危機を乗り越える知恵も、手法もなく、八方ふさがりです。私はそんな経営者に寄り添い道を示すことが仕事になりました。どんな案件でも顧客の求めがあるなら、逃げない精神が身につきました。

その後は2014年に独立して今に至ります。事業再生を通じて今でも毎年多くの学びがあります。私が新卒入社の2002年の春に感じた社会人20年目の方の印象は“化け物”でした。20年を経て事業再生という仕事が、私も化け物のような存在にしてくれました。

会社を様々に転職しても、お客様に真摯に向き合った結果として、事業再生という一本筋の通った、キャリアを形成することができました。どんな人生でも与えられた場所には深い学びがあります、ご自身と社会と向き合ってチャレンジに満ちあふれた20年をお過ごしください。

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