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ハイスペ飲み会の視点⑥ー終ー

前回の続きである。

俺は、家の近所の中華料理屋で、冷水の入ったコップの表面につく水滴を眺めていた。
店の窓からは、土曜日の昼間の光が店内に差し込んでいた。
昨夜、長いあいだ雑居ビルや地下の薄暗い店で飲んでいたので、俺にはその太陽の光がいっそう眩しい。

週末しこたま飲んで、翌日の昼前になっても少し体にアルコールが残っている時は、この店の辛くて山椒のきいた本格麻婆豆腐定食を食べて、水をがぶ飲みし、もう一度熱いシャワーに入って、少し昼寝をするに限る。
俺の週末のルーティーンだ。

週末、港区の飲みで出会い仲良くなった女子と夜、いや、一緒に帰るのはたいていもう空が白み始めているころだから、”朝”を自分の家で過ごすような場合は、やるべき事の後に少しの仮眠のような眠りを取ったら、その女子とこの店に来る時もある。
勿論、その前に「ランチの予定があるから」といって女の子を帰すこともあるし、「朝から予定がある」と言って仮眠のような眠りすら一緒に取らないで帰すこともある。相手の雰囲気と自分の気分次第で適当に決まる話だ。

勿論、朝方まで飲み放題で飲める店に入り浸っているくらいだから、俺が週末に朝からの予定入れる事なんて実際にはない。ランチくらいの時間でも酒臭くてまともな予定を入れようがない。
こんなのはどれも、適当な時間に相手を帰すための「口実」だ。


昨夜、ハイスペと俺の同僚との即席飲み会で出会い、その夜、いや、”今朝”を一緒に過ごしたサトミの場合は、サトミが午後早めから出かける予定があるということで、仮眠を取った後にさっき最寄り駅まで送ったところだった。

朝の会話は「今度どこどこのお店にご飯食べに行こう」「夏の予定は花火とか見に行くの?」と恋人っぽい感じのそれであったが、付き合う付き合わないの話は勿論出ていない。
しかし、総合商社で働いているというサトミは交渉上手なのか、押しも強く、危うくいくつか予定を決められそうになった。
サトミが駅に着くまでの道すがらでも色々話し、どうにか上手いこと曖昧にしたが、正直俺はこの手のタイプはちょっと苦手だな、と感じた。先の予定なんて曖昧にしていた方が良いんだ。ここでは全て曖昧が良いんだよ。
俺はそう頭の中で呟きながら、改札に入っていくサトミを笑顔で見送った。


そしてその後、アルコールの残っている土曜日の昼12時、俺はこの店で1人でマーボー豆腐定食を待っている、そういうわけだ。

そして、手元には冷水の入った1つのコップがある。

さっき定食を注文するやいなや、いつもの若い女性の店員が、定食についてくるザーサイと一緒に持ってきてくれたものだ。

少しコップについた水滴を眺めた後、一息にコップの水を飲み干してテーブルに置くと、一度厨房に引っ込んだと思っていた店員は、水のポットをもって俺のテーブル脇に立っていた。

そりゃ、ほぼ毎週末来て同じことをしていたら、覚えるよな。
俺は照れ隠しに苦笑しながら、コップをテーブルの上の店員に近い方に置いた。4人掛けのテーブルは品のいい木製の天板に黒い重厚な金属製の脚がついているものだ。家のダイニングにおいてもサマになりそうなデザインである。

コップに冷たい水が注がれる。
縦長でほっそりとした、薄く、作りの良いこのグラスは、夜は杏露酒のソーダ割かなんかを入れる用のものなのだろう。見ているだけで、水の冷たさが伝わってくるようなフォルムをしている。
コップに入ったいくつかの氷でできた山が、カランと良い音を立てて崩れ、コップの外側に少し結露していた水滴が、その音を合図にしたかのように、薄く細い、滑らかな線を描いて流れた。

俺は、手元にあった布製の白い柔らかなおしぼりを取って、その水滴を拭いた。

何度拭いても、水滴は出てくる。コップの中の水がぬるくなって、空気の温度と近くなるまでは。
まるで、刹那に湧き出る感情と、心の中で燃えている火の温度みたいだ。心は放っておくと、刹那の感情を発散していく過程で、ぬるなり、ぼやけていって、周りのぬるま湯と混ざり合い、死んでいく。


もう何か月も、いや1年を超しているだろうか、俺の心は、すっかり、ぬるくなっていた。
はたから見ると社交的でエネルギーにあふれた人間に見えるのだろう。いや、そう見えるよう、俺自身がそうした外面を演じているところはかなりある。

少し気取った言い回し、けれどもツッコミどころのある可愛げ。盛り上げ上手だけど、おしゃべりではない。
「距離感が近くてカジュアルだけどミステリアスな、チャラくない遊び人」
そういう、矛盾した”役柄”を演じようとしている。

なんのためか。
それは明らかに、それがこの街で自分の欲求を簡単に満たすのに「最適な選択」だからだ。世の中では、最も強いものが生き残るのではなく、最も環境に適応したものが生き残る。
だから、俺は、自分の心に従って強く生きるのではなく、自分の心をこの周りの刹那的な環境に適応させることを目指してきた。

そしておそらく、その適応の結果が、このぬるくなった心なのだろう。コップの水は外気と適応してぬるくなる。俺の心も、この港区の刹那的な環境に適応して、毎日、毎週、ぬるく鈍くなっていくのだ。


再びコップの水に口を付けた。冷たい。コップを持つ右手の指を、結露していた水滴が少し濡らす。
このコップの水はまだ”純粋だ”。その周りの、この店の、空気に合わせていない。

ふと思った。
昨日会ったイケメンや、後から合流して盛大に飲み散らかし女性とイチャついていた同僚たちの「心」は、どうなっているのだろう。
俺は彼らとそういう話をすることは皆無だった。内面をさらけ出すような話題はしない。それは弱さにつながるから。
俺たちはこの街で、お互いに明確な線を引いて付き合っている。どんなに仲が良く見えても、飲み仲間という仲間の間では、その線を踏み越えて心の中に迫るような話題は、ちょっとウザいし暑苦しいし、場が冷めるから好まれない。

だから俺は彼らのそうした内面は知らない。

彼らの心の中は、やっぱり外から見てわからないけれど、私のようにぬるくなっているのだろうか。
それとも…


「昨日はありがとう!」
唐突に、テーブルに上を向けて置いておいた携帯の画面に、メッセージアプリのポップアップが浮かんだ。見てみると、昨日のハイスペからだ。
「2次会のお店のお会計を払っていなかったんだけど、振り込みで良いかな?」
かわいらしいスタンプと共に事務的な確認が続く。

俺は即座に「女子の分奢って男は一人8,000円だから、振り込みかネット送金でよろしく!」と返信する。ハイスペが一緒に消えたマナミとその後どうしたのかという話題には触れない。
多分ハイスペは、持ち帰ったのかどうかとか細かいシモのことを詮索されるのは好きじゃないだろう。けれど多分、自分がモテる事と、モテることを回りからうらやましい目で見られるのは、耐え難く好きだ。
だから、今のところはこのくらいで良い。次会った時に、この前は流石だったね、と一言言えばよい。


ハイスペのメッセージに返信すると、俺の心は現実に引き戻されていた。
俺の心がぬるくなっていても、それは正直「どうでもいいこと」じゃないだろうか。
それ以上に面白いことは見つかっていないし、今、この環境に適応するというゲームをやめれば、俺は「この街で上手くやろうとしたけど、上手くやれなくてドロップアウトした可哀そうな奴」という位置づけになってしまう。

それは嫌だ。俺はこのゲームに足を突っ込んだんだ。
明確な勝者の側に行くまでは、やめられない。


頼んでいた麻婆豆腐定食がテーブルの上に置かれた。強い山椒の匂いが鼻をくすぐる。ひき肉の香りが食欲をかき立てる。俺は、もうコップの水滴なんか見ず、一心不乱に麻婆豆腐定食を食べ始めた。
今日もこのゲームは続く。土曜日だからね。

(一旦)終

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