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傘の先で床を突く音が嫌いだ。

傘の先で床を突く音が嫌いだ。

といっても、お行儀が悪いとか、耳障りな音に我慢がならないから嫌いというわけではない。
勿論、そういう人も多いだろうが、私はそういう上品だったり繊細だったりする人間ではない。人様のお行儀を注意できるような良い生まれでもないし、厳しくしつけられたわけでもない。

だいたい、耳障りな音に我慢がならないなら、もっと違う趣味を持っていたはずだ。中学生のころから兄貴の世代が更にその先輩から教わったX JAPANを借りては聞きまくり、兄貴がハマっていたGLAYやL'Arc〜en 〜Cielを経由してビジュアル系なんかにたどり着き、最終的に夜な夜な下手くそなバンド活動に明け暮れたりなんかしなかったはずだ。
そして、大学生になっても、耳から何かを聞くのではなくとにかく身体を揺らすのが目的なんじゃないかと思うほどの重低音が鳴り響くクラブなんかに通ったりなどしなかっただろう。

話が逸れた。傘の先で床を突く音が嫌いなのは、音そのものが不快だからではない。

悲しくなるからだ。


嫌いになった日があるのだ。
あれは、雨の日だった。

まぁ傘の話をしているのだからそりゃそうか。

そして、典型的な梅雨の日だった。

分厚い雲に覆われた空は午前11時だというのにまだ暗く、街は不穏な夕暮れ時のように見えた。雨は強くもなく弱くもなく朝から降り続いていた。

私はナノユニバースで買った黒のVネックTシャツに、白い綿のシャツを羽織って目黒駅前を歩いていた。
梅雨に入ったので、なるべくシンプルで涼しく、渋谷系っぽいけれどギャル男っぽくないファッションを目指して買った白シャツだったが、湿気と暑さで袖が二の腕に張り付く感じがしてすこぶる不快だった。
駅前で傘をたたみ、空に広がるそのうっとおしい雲を一瞥して、それからひと際明るく白い無機質な照明に照らされた駅ビルに一歩入る。

足元の床は汚らしく濡れていた。
都内の駅ビルによくある、プラスチックかゴムのような素材でコーティングされた少し光沢のある床だ。昼でもなく夜でもなくただ曖昧に暗い空と張り合うかのように、昼でも夜でも全てを均等に照らそうというような無機質な明かりが、その床を照らしていた。
白い床は、ところどころ誰かの靴から落ちた土や、掃除されずに残っていた埃や、落ちた髪の毛や、ごみのかけらで汚れている。

白い床の上の私の靴も濡れていた。紐とつま先の辺りが既に少し黒ずんでいる。はき古した白いコンバースのスニーカーだ。

春に社会人になった新卒社会人にとって、通り一遍であっても革靴やスーツをそろえるのはそれなりに痛い出費だ。
それは、貯金が全くないのに色々なところからお金を借りて卒業旅行に行った私にとっても例外ではなかった。

お金を使うのは会社関連ばかり、給料はまだ2回くらいしか振り込まれていないが、借りたお金のとりあえずの金利の返済と、同期や友人との飲み会や彼女とのデートで消えていく。
なんだか、流れるプールで勝手に流されていて、時折顔を出してやっと息継ぎをしているような、そんな日々だった。

駅ビルを行き交う人の服装は様々だった。
じっとりと蒸し暑いが、夏というほどでもない。薄着の男性は麻のようなズボンや半ズボンをはいている人もいたし、私みたいにシャツや軽く羽織るパーカーを合わせている人も多かった。
女性の服装は、いったん春で華やかになった後、今は落ち着いた実用的な格好をしている人が多い。ヒールは少なく、少し暗めの色のパンプスやハイカットのブーツに、ジーンズを合わせた人が多い。

四季というより年に6-7回くらい季節に合わせて装いを変える必要があるのが東京だな。そう思った。流されて、やっと息継ぎが出来る街だ。


靴、靴、靴。
多くの靴が行き交い、白く、コーティングされた光沢のある床は更に汚れていった。


この日、私が靴や足やズボンばかり見てしまうほど俯きながら歩いているのも無理はなかった。
私は、別れ話をしに来たのだから。

しかも、酷いことに彼女には全く非はなかった。
非があるのは私の方だ。

私が浮気をしたとかそういう話ではない。言葉は悪いが、それならむしろ楽だった。その場合は完全に私が悪いし、悪い理由も明確だ。私は嫌われて、場合によってはぶん殴られるかビンタされるかして終わりだ。


けど、これは、そういう(ある意味)明確なケースではなかった。

彼女とは1年ほど付き合っていた。彼女は音大生で大学3年生。この後も音楽の勉強を続けるかもしれない。私はこの春から新卒で社会人になった。私はまだ若くて身を固めるつもりはないし、見ている感じ、彼女もそう。

仕事の忙しさにかまけて、私の中で真っ当な恋愛の優先順位はどんどん下がっていった。
当然、それを感じて不満に思う彼女と喧嘩が起こり、それが更に私の中での彼女との関係に対する面倒くささに繋がり、最後には全部投げ出したくなった。

ただそれだけだ。キャパを超えたので投げ出したくなってリセットしたくなっただけ。

後から振り返ると単純な話だ。そして酷すぎる。
けど、私はそれを自分で認めたくなくて、なんで別れるのかを言語化するのも拒否して、ただただ落ち込んでいた。

自分勝手で酷い話だ。そして良くある話だ。
私は、凡庸だった。


「あ、いた。おはよう」

私は、改札前で待っていた彼女を見つけ、声をかけた。

小柄だが髪の長い彼女は、いつものように綺麗だった。
私は今でも過去付き合った彼女の顔は全員ありありと思い出せる。思い出せないなら付き合っていたなんて嘘だろうと思う。
丁寧にふんわりと少しカールしつつおでこに掛かるよう作った前髪、長いまつげと大きいたれ目、そうしたガーリーな部分と対照的なすっとした鼻筋と頬のラインが、再びふっくらとして少し派手なグロスを塗られた唇でまとめられている。
服装も女性らしさとスタイリッシュさを合わせたような服装をよくしていた。裾が少し広がった長めのワンピースは、紺地に細かな白のドット柄で、細身の白のブラウスとよく合っていた。

私の声を聴いて、心なしか潤んでいた大きな目は、しっかりカールしてセットされたまつげと合わさって、湿気の中にいる私をまっすぐ捉えた。

彼女の返答は無言だった。


無理もない。電話で事前に別れようと言っていたのだから。

ちょうど3日前の夜、さっき言ったような悪循環の状況の中で電話して、いつものように喧嘩になり、彼女が何度目かになる「もう別れよう」という言葉を投げつけてきた。

一応弁明しておくと、私はその電話をする前から別れようと思っていたわけではない。
ただ、その言葉を聞いたときに、それが良いな、と確信したのだ。
だからその場で「そうだね、別れよう」と言って、今日の時間を指定した。

彼女は戸惑っただろうと、今になって思う。
二十歳そこらの女性の彼氏に対する「別れよう」は挨拶みたいなもんだ。始球式のボールをフルスイングしてホームランを打ちに来るとは、誰も思っていない。
けど私はそのボールを打った。
すでにスイングしたボールは観客席まで打ち込まれている。あとはベースをゆっくり走って回って、しっかりとホームベースを踏むだけになっている。私のコンバースでこのまま一塁、二塁、三塁、と回って、ここのホームベースに帰れば終わり。


そう、今日はデートではない。


話ができるならどこでも良いんだ。私が1塁から順に回ってホームベースに帰って来られるなら。

ただ、私から見ても、こんな梅雨の休日の午前中に、駅ビルの改札前で別れ話をするなんて、余りにひどいように思えた。
それか、汚れた床のことが頭に引っかかっていたのかもしれない。
じめじめして、床が汚いところで、1年間の楽しかった関係の最後を迎えるなんて、彼女にとって最悪だろうし、勿論私にとってもそうだ。


私は何の当てもなかったが、とにかく駅ビルの上のカフェにでも行って話そうと言い、彼女は頷いて了承した。

カフェは幸い空いていた。
すぐに、紅茶とコーヒーを注文して受け取り、少し奥まった席に向かい合って座る。

正直言うと、何を話したかは覚えていない。

とにかく、別れ話をした。

そんなに経験はないが、別れ話はいつも困る。何を話したらよいかがわからないからだ。

決まったことの背景を説明する必要があるように思えるが、決まったことの詳細を説明することは、同時に相手を傷つける事でもある。
自分が楽になるためにそれを説明しているのか、それとも相手の悲しみを少しでも和らげたいと思ってそうするのか、多くの場合、途中でわからなくなる。
結局は、関係性を片方から終わらせるのはエゴでしかないのだから、話せば話すだけ、自分のエゴを強調することに他ならないのだろう。

別れ話をしている時、私は彼女の顔をまともに見れなかった。
しかし、泣いてはいなかったと思う。
彼女のカールした長いまつげと、大きな黒目、ほっそりとした顎とグロスを塗った唇は、いつもと変わらず美しかった。
彼女が何の靴を履いていたのかは思い出せないけれど、それは鮮明に覚えている。


10分ほどの話の後、兎に角、別れることは決まった。

誰が決めたのか。それはたぶん私だが、私でないようにも思いたかった。
私は、自分が決めたくせに、ただ単に、いたたまれなかった。

店を出た。彼女は横に並んで歩いていなかった。
いつも、右側を選んで歩いていた彼女は、私のすぐ後ろを歩いていた。


その時に聞こえてきたのが、傘の音だった。乱暴な音ではない。コツンコツンと、煩いほどではないけれど、それでも意識しないと出ない音。


彼女は、怒っていた。
そうか、怒っているのか。
私が、別れ話を本当にしたから。

少しの望みとして、別れ話にならないと思っていたのかもしれない。
そう思い当たると、無性に悲しくなった。


この傘の音が響くのは、彼女の傷の声だからだ。そう思った。
私は、今はもう、彼女を愛していないかもしれないが、過去たしかに愛していた人を傷つけ、その声が私に響くのだ。

いっそ、その傘の先で私を突いてくれればよいのに。
そうして怒られた方が、攻撃された方が、私にとってはきっとまだ笑って話せる思い出になるのに。
傘の先で床を突く音を後ろに聞くのは、じわじわとした湿気で前髪が額に張り付くような、そんな感触だ。感触として残るが、決して思い出ではない。


改札の前について、やっと私は振り返った。

振り返ってみた彼女は泣いていなかった。本当に怒っていたのか、それとも悲しんでいたのか、私にはどうしてもその表情を思い出せない。
一方で、私は泣きそうだった。私のふがいなさと甲斐性のなさ。誰かを悲しませることより、自分が至らないことを実感すること。全体的に自分起点の涙で泣きそうだった。

逃げるように、じゃあ、元気で、と言って別れた。
振り返らず、改札をくぐり、電車に乗り、持ってきたヘッドホンを付けて、最近お気に入りのヒップホップを流す。ゲットーで育って、地元をレップして、マイク一本で道を切り開いて、かっこいいな、ほんと。なんだ自分は。

電車の窓には、斜めに雨が流れていた。


彼女との楽しい思い出は、あの日の梅雨の雨がたまった水の底に沈んでいる。あの駅ビルの白い汚れた床の下には、地下の食品売り場があるけれど、さらにその下の地面には、きっと水がたまっている。
その水底に私の思い出は沈んでいる。

彼女は、その水底の上の上の方にある、あの汚れた床を傘で突いている。
私の思い出の沈む水底に響くように。


今でもたまに、その夢を見る。


だから、私は傘の先で床を突く音が、嫌いだ。

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