見出し画像

XPに「自己満」以上の価値はあるのだろうか

スプラ3の新シーズンで、Xマッチの最低保証が大きく変わった。

それに伴い、『XPの価値が変わる・無くなる・下がる』という意見を目にした。

個人的には、スプラ2も3の初期~現在も、XPの価値はそんなに変わっていない気がする。

自分が満足出来れば価値があるし、自分が満足出来ないのなら(XPの数値が高い・低いに関わらず)価値はない。

XPは実力の指標にはなるが、あくまで自己満の世界

ゲームで「他人から認められたい」欲求を満たすことは、向いていないと思う。

なぜなら、多くのプレイヤーにとって、ゲームは現実逃避やストレス発散の手段だから。

むしろ、「他人から認められるコト」の真逆な行動と言って良い。

昔はゲームが上手い=恥ずかしいが当たり前だった

僕と同じくアラフォー・同世代のプロゲーマーであるウメハラさん(42才)なども言っているが、「ゲーマー=恥ずかしい」という常識(感覚)が昔はあった。

昭和生まれの常識として、ゲームが上手いことは何の自慢にもならなかった。
なぜなら、ゲームで得られる他人の評価は、マイナスでしかなかったから。

誰一人として「ゲームが趣味」と公言する人はいなかったくらい、当時ゲームをプレイする人は変わり者扱いで、社会的な地位が低かったんです。

不健康で、社会的に何も生み出さず、お金を使って時間を無駄にして、娯楽から抜け出せない怠惰なヤツら、みたいな存在。

ウメハラ

みんなが頑張っている勉強やスポーツを、自分だけ頑張らない事による背徳感。
それと引き換えに、自己満足する。ゲームをプレイする目的なんて、それ以外になかった。

我々昭和世代にとって、植え付けられたその常識は根強く、今でも「自己満足以上の価値(=他人の評価)」をゲームに求めるのはおこがましい気持ちがある。

現在はゲームが上手い=凄いが当たり前

最近ではYouTuberや若いプロゲーマーの出現により
「ゲームが上手い=視聴者数が多い=凄い」という価値観を持っている若者・プレイヤーが多いように感じる。

通勤の電車内でも、スマホでゲームをしている若者がとても多い。

「ゲームを数千時間やり込んでいる自分が、恥ずかしい」気持ちや感覚は、今の若者には理解が出来ないと思う。

しかし、常識が変わった現在でもやっぱり「他人から認められる為」にゲームをするのは、目的を果たすことが困難のように思う。

もっと時間対効果が高く、「他人から認められたい」欲求を満たす方法はたくさんある。

1000時間で他人からの高評価を得る方法

スプラトゥーンにおいて、1000時間で承認欲求を満たすのは不可能に近いのではないだろうか。

しかし、1000時間もあれば、相当高く評価される資格が取得できる。
(TOEICや簿記、パソコンの資格など。)

「他人から誉められたい・認められたい」為にスプラを頑張っている人は、目的と手段が噛み合っていないように思う。

悪いことは言わない。今すぐ資格の勉強した方が良い。学生の場合は、とりあえず勉強をすれば良い。

それが苦痛で、現実逃避する為にスプラトゥーンをプレイするのなら、僕は良いと思う。

その現実逃避した世界で、XPや実力が高い・低いを気にする必要などあるのだろうか?
いや、ない。

他人のXPと自分のXPを比較しても意味がない

僕にとってゲームに自己満足以上の価値があるとするのならば、「共通の趣味を持つ知人が増える」ことくらいだろう。

自分のXPが上位○%に入る事により、自己満足出来るのは否めないが、同時に「ゲームが上手くなる・プレイ時間が長くなる=恥ずかしい」という気持ちが僕の中に存在する。

冒頭に書いたとおり、XPは数値が高い・低いで価値が変わるのではない。
自分が満足出来れば価値があるし、自分が満足出来ないなら価値はない。

「XPは実力の指標にはなるが、あくまでも自己満足の世界。」
この事を忘れないことが、Xマッチを楽しむコツだ。

Xマッチをプレイする目的は、他人の評価を上げる事でなく、「自己満足」である。

だから、負けた自分を責める必要はないし、誰かと上達度合を競う必要もない。

自分のペースで、自分だけのXPを増やしたり減らしたりして、スプラトゥーンの世界を楽しもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?