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成長する人と、成長しない人の違い1選

『人生に失敗が無いと、人生を失敗する』

精神科医の斎藤茂太さんという方の言葉らしい。

人生で成功・成長するには失敗の経験が不可欠である。という意味だそう。

『失敗は成功のもと』とよく言われます。

失敗を見直し、方法や欠点を改めると、かえってその後の成功につながることになる。

つまり、失敗がない人生というのは、大きな成長がなかった人生とも言える。

成長するには負け(=失敗)が必要

対戦ゲームも同じで、上手くなる(成長する)には、負けも必要である。

たとえば、一生ウデマエC-のまま、勝率99.9%で勝ち続けるより、勝率50%のXマッチの方が上手くなる。

対戦ゲームで最も有名なプロゲーマー・ウメハラさんも『上手くなる為には負けも必要』という旨の発言を、インタビューや著書において必ずと言って良いほどしている。

人間って、負けることで変化を強要されるんですよね。負けることで変わることを強いられる。
そのプロセスを通してこそ、「自分は成長しているな」っていう実感が得られるんだと思います

“286連勝”したプロゲーマー「ウメハラ」が明かす勝負哲学

1流のプレイヤーは「上手くなる」ことに貪欲

僕は3流のプレイヤーなので「勝つ」ことに執着してしまう。
一方、1流のゲーマーは「上手くなる」ことに貪欲だ。

1流プレイヤーは、負けた先の勝利が見えて、客観的に「負けて喜んでいる」ように見える時がある。
(※格闘ゲームはオフラインでの対戦や大会がたくさんあって、相手の表情が見える)

負けて課題が見つかる
=成長した自分のビジョンが明確に見える
=『オラ、ワクワクすっぞ!』みたいな。

一見、試合に本気で取り組んでいないように思えるが、そうではない。

本気で勝ちに行っているから、負けた時に課題が見えるのだ。

むしろ、「勝ち」に執着し、負けて改善点が見えない(=負けを認めない)プレイヤーの方が、本気で勝ちに行っていないのだろう。

スプラのトッププレイヤー・メロンさんも、おそらくウメハラさんと同じような習慣や思考で「負け」を「成長」に繋げているのだと思う。

1流プレイヤーは、勝ったら純粋に嬉しいのだろうけど、どちらかと言えば負ける(改善・課題を見つける)ためにプレイしているように感じる。

ゲームが好きすぎて、確実に変態の領域に入っていると思うw
(良い意味でね。良い意味で!)

多くのプレイヤーは、結果にこだわり過ぎ

スプラトゥーンを頑張っているプレイヤーは、「結果」にこだわり過ぎているように感じる。

その理由は、若いプレイヤーが多いからだと思っている。
(※精神的に未熟なプレイヤーなので、実年齢とは必ずしも比例するとは限らないが。)

僕自身、今でこそあまり結果にこだわらずに対戦ゲームをしているが、
20年前の若かった頃は格闘ゲームで「日本一のプレイヤーになる!」という謎のエネルギーに満ち溢れていた。
若い頃は、そういう謎のエネルギーが湧きやすいのだと思う。

日本一になる為には、実績で証明するしかない。

とにかく練習量・やり込みが大事と思っていて、ゲームしていない時間もわりと脳内で「自分対自分」のシミュレーションで戦っていた。

そんな時に『24時間戦えますか?』という当時のテレビCMが流れて、

「そうか、夢の中でやり込みすれば24時間戦えるな・・。」と思って余計な情報をシャットアウトするため、テレビの電源を抜いてゲームの事ばかり考えるようにした。

ちなみに、夢の中でもゲーム出来るようになったが、負けてニヤニヤしている(=課題を見つけて、成長している)現在のプロゲーマー達には勝てなかった。

そんなこんなしている間に、格闘ゲームは業界全体が過疎って、ほぼ「滅びた」

その時に、僕はゲームをやめると同時に何も残っていない事に気付いて、頑張りすぎた事を後悔した。

「せめて、もっと楽しんでプレイすれば良かったな・・」って心から思ったんだよね。

それから、13年間ゲームは一切やらなくなった。

ゲームの醍醐味は何度でも挑戦出来ること

失敗とは、挑戦をした結果である。
何事も、挑戦する事自体に意義がある。

人生と違い、ゲームは何回でもやり直せる。

「失敗」してもノーダメージで「挑戦」を楽しめる。それがゲームの醍醐味ではないだろうか。

多くのスプラプレイヤーは、他人の目を気にしすぎな気がする

挑戦の先には「成功」か「成長(=失敗)」しか無い。

しかし、そこに「他人の目」が入ると、失敗の定義が変わってしまう。

恥ずかしい・カッコ悪い・情けない・ダサいなど。

スプラで負けた時に、こういうネガティブな感情を抱くプレイヤーが多いように思う。

これらのネガティブな感情、「哀れ」という状態は、他人の評価を気にしないと、成立しない。

僕も、若い頃は他人の目をすごく気にしていた。
(誰も「哀れ」だなんて思わないのに!!)

年齢を重ねて、他人の目をあまり気にせず生きやすくなった。
他人の目を気にしないと、失敗を素直に「認める」事が出来る。

失敗が成長に繋がるのではなく、失敗を「認める」事が成長へと繋がるのだ。

ゲームにおける成功とは

「みんなが良いって思うモノが、良いモノ」

「みんなが目指しているから、とりあえず自分も目指してみる」

こんな理由で、「XPを高くする=成功」と思い込んでいる人も多いと思う。

しかし、『スプラトゥーン3を購入した動機は、XPを高くするため?』と聞かれたら「いいえ」と答えるのではないだろうか。

他人の目を気にすると、「成功」も「失敗」も、どんどん本質からズレていってしまう。

「成功(=楽しい)」の基準は人それぞれ

わかばで塗り重視が楽しいと感じる人もいるし、パブロで翻弄するのが楽しいと感じる人もいる。

キル重視が楽しいと感じる人だって、短射程ブキでの爽快感や長射程の制圧力など、それぞれ違う楽しみがある。

その「楽しい」と思う基準を他人にゆだねてはいけない。

100人いたら100通り、1000人いたら1000通りのスプラトゥーンをプレイする「動機」があり、
一人一人、楽しいと心から思う「自分だけの基準」がある。

その自分が基準を定めた楽しさを追求し、プレイする目的を果たすのが「成功」だ。

結果でなく「挑戦」すること自体が成長する

やや話がそれたが、別に精神的に未熟なプレイヤーに『結果にこだわらずにプレイしよう!』と言いたいワケではない。

たぶん、一度ゲームを離れないと「結果にこだわらずにプレイする」目的や意味が分からないと思う。

僕も20年前、「板橋ザンギエフ」という現在も第一線で活躍するプロゲーマーに『楽しむことの大事さ』を教わったが、当時はさっぱり理解が出来なかった。

なお、「板橋ザンギエフ」は全国大会の決勝で、2本先取で先に王手をかけて1-1の逆王手になったピンチの場面で、『オラ、ワクワクすっぞ!』みたいな喜ぶような笑みを浮かべたのが印象的。

当時はなんで全国の決勝で1セット落としたのに笑っているのか理解不能すぎて、不気味でしょうがなかったw

ゲームの本質である“楽しむ”というのが、常にあるべきだと思います。
(中略)
一度でも“楽しむ”ことが結果に繋がった経験をすると、次からもそのやり方を目指すと思うんですけどね。
僕らも「楽しむことで良い結果になった!」という成功体験があるから楽しくやっているだけなので。

板橋ザンギエフのインタビュー記事より

最強のプレイヤーは、楽しむことが良い結果に繋がる成功体験をしている。

『努力する者は、楽しむ者に勝てない』という格言があるが、彼ら一流のプレイヤーは実体験からそれを学んでいるのだ。

逆に、僕も自分なりに努力して、その格言を実体験で学んだが・・。

まとめ。

「やってて楽しい」状態と、「やってて苦しい」状態、どちらが成長しやすいか?

タイトルに書いた、成長する人と成長しない人の違いとは、プレイする目的の違いだ。

勝つ為にプレイすると、負けた時に認める事ができず「苦しい」状態に陥りがち。
新たな課題や発見があったにも関わらず、それに気付きにくい。

スプラの成長の度合いの基準はXPで考えがちだが、XPを基準にすると苦しくなりやすい。

成長の判断基準を他人にゆだねるのではなく、自分で判断するのが大事だ。

なぜなら、「やってて楽しい」状態が最も成長速度が速い。

そして、あなたが「楽しい」と感じる基準は、あなただけの感性。

あなたがスプラトゥーン3を買った動機や、プレイする動機である「スプラ3でやりたいこと」に挑戦し続けるのが最も大事だ。

だから、XPの高い人の考え方や思考を真似すれば、必ずしも上手くなるワケではないと思っている。

対戦ゲームの醍醐味「挑戦」を、あなたが最も楽しいと思える方法でやるのが成長しやすい。

人それぞれ持っている「楽しい」基準の、オンリーワンのNo.1を目指すのが大事。
昨日より、今日の方が「やってて楽しい!」と思えるかどうか。それだけを考えてプレイすれば良い。

XPなど二の次、三の次。
スプラトゥーンをプレイして楽しいと思えたら、あなたは最強・無敵のプレイヤーだ。

ゲームの失敗なんて無傷なのだから。

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