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#189 『お母さんの病気ってなんだっけ?』忘れる技術は前向きに生きる智慧でした。

私の母は→超ポジティブ、楽観主義、
言いたい事を言ってすぐ忘れる。
・思考グセ『私は悪くないもん!!』

私は→超ネガティブ、悲観的、勝手に悲劇のヒロインになる、言いたいことが言えず心が折れる。言われた事を根に持つ。
・思考グセ『全部、私が悪いんだ!!』

こんな真逆な2人ですがらぶつかることも
多かったし、私の真剣な悩みを

『そんなの考えても仕方がないじゃん』
『大丈夫、大丈夫』で片付ける母に対して

『私の気持ちなんか1ミリも分かってくれない!!大嫌い!!』と思った事もあります。

しかーし、大人になればなるほど

母のこの力は生きる上で大切な事なのでは??と考えが逆転した。

5年前の私の誕生日に救急車で病院に運ばれた母。

『後3日このままだったら命はなかったですよ』

事の始まりは『腰が痛い』

日常的に良くある話であり、
     外科で診てもらおうとなる。

それでも痛みが治らず淡々と病院を変えても

『脊柱管狭窄症ですね!!』と
      4軒目の病院でも言われた。

でも、私は絶対におかしい??何か違う病気なのでは??という疑問と不安が拭えず

もっと違う病院に行こう!!と提案した矢先

母は変な咳をし始めて救急車て病院に運ばれた。

地元の病院では対応できない状態で

『すぐに病院を紹介します!!』と
また救急車で向かった病院は《がん専門の病院》

母は血液のがんでした。

救急車で運ばれた時、
首から下が動かせない状態の母を目の前にして

悲しくて涙が止まらない自分を想像していたけど
泣き虫な私は泣きませんでした。
涙が出ませんでした。

なぜか??

ずっと病気の原因がわからず、何とか痛みを取ってあげたい!!と思っていた私にとって

原因が分かり
病気が分かった事は希望でしかなかったんです。

『お母さん!必ず良くなるから一緒に頑張ろう』

そんな言葉を母に伝えてました。

医師からは落ち着いたら
『病名はお母さんに伝えますか?』と聞かれた。

『がん』というワードでひどく落ち込んでしまう人もいるから病名を『伝えない』人もいる事を
リアルに知った。

私と父はいずれかは必ず知ることになるから
『伝えてほしちです』と医師にお願いした。

あれから5年が過ぎた。

父は私が心配すると思って言わなかったと思うけど…きっと余命宣告もされていたと思う。

私も《母はいつまで生きられるんだろうか?》と
    いつも心の中にあったけど

5年たった今、母は仲間と
大好きなゴルフができるまで回復した。

なぜ?ここまで回復できたのか?
私なりに考えた結果…

母は自分の病気をすっかり忘れていた
おかげかもしれません。というより

医師から言われた説明を聞いてなかったのか??
忘れちゃったのか??

私に『ねぇ!!お母さんってなんな病気??』と
病気が見つかってから4年後に私に聞いてきた。

えっ??知らなかったの??

天然な母ですが、ここまでとはビックリ!!

でも、忘れてたから
『私はいつまで生きられるか分からない、
心配だ不安だ!なぜ私だけ!なぜ?
どうして??』と
悶々と毎日、毎日考えて塞ぎ込まなかったから

早く自宅に帰りたい!!
早くゴルフがしたい!!
チワワのマロンちゃんが私の帰りを待っている!

頭も心も母は希望を描いていたおかげで
病気の回復の助けになったのかな?と
私は心の中で思ってます。

このお話はあくまでも私の母のお話です。
なんの根拠も確信もありません。でも、
 
生きていく上で『忘れる技術』って
実は楽に生きるコツなのかも?と
私の実体験を元にした発見でした!!

それでは今日も心穏やかに

ポジティブでありますように。

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