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適応障害から回復までの1年3ヶ月

こんにちは。とりです。
2022年夏に適応障害と診断されて以来、最近になってようやく「今の生活良いな〜」と感じられるようになりました。

「あ、これが適応障害から回復したってことか」と実感できるようになったので、適応障害の診断から今までの流れを整理してみたいなと思いました。

適応障害って?どういう経過を辿るの?など、私個人の一例として見て頂けたらと思います。


適応障害と診断される前

仕事の業務量や拘束時間の多さ、任される仕事の責任感、(職場の)子どもとじゅうぶんに関われない後ろめたさ、諸々が原因で心身ともに異変が起きていました。

  • 出勤前と退勤後に自然と涙が出て、呼吸が苦しくなる

  • 大きな仕事が終わった後の夜中に激しい腹痛にあい、人生初の救急車を呼ぶ。その後も1週間に1度のペースで腹痛

  • 常に胸焼け、ゲップが出る

  • 泣きながら心理カウンセリングを予約


私の場合、適応障害の原因は明らかに仕事だったので、他にも色々細かい理由も含め、診断後の2ヶ月後に退職することを決めました。

退職をして3ヶ月くらいは気力も出ず体力も減る一方。カレンダーに空欄が多いことに罪悪感を抱きつつ、出かけたり人に会ったりすることは1回1回気合をいれないとできませんでした。


退職から4ヶ月後、何かやろうと動き出せた

本当は切りよく4月から新しい仕事に就きたかったのですが、まだまだ回復途中で、就活はできませんでした。
その代わり、家でできることをしたいな〜とブログを作ったり、クラウドワークスでライターに挑戦したりしました。


退職から6ヶ月後、何かやろうと外に出られた

ずっと引きこもっていた訳では無いのですが、外で働こう、何か始めよう、と行動にし始めたのがこの頃でした。
それが、登録の審査だけで始めることができるベビーシッターです。有り難いことに、今も続けられています。

久しぶりの通勤電車、1日がかりの研修、初めましての人とコミュニケーションをとったりと、数カ月ぶりに社会と繋がった!と実感できた時期でした。

だけど、急に遠方×長時間の依頼を受けて疲れ果ててしまうなどの後悔もありました。"無理なく出来る範囲"を模索する期間でしたね。


夫の扶養内で働くことが後ろめたい数ヶ月

社会と繋がれたは良いものの、学生時代の同級生はバリバリ正社員で働いたり、更に上を目指して転職したり、子育てに奮闘したり、、、

そんな皆を見ていると「子どももいないのに、扶養内でゆるゆる働いている私って情けない」と思っていました。

でも正社員で働く勇気もなく(不妊治療も理由の1つ)、「今の自分にはこの生活が合っている」と頑張って自分に言い聞かせるしかありませんでした。


退職から1年3ヶ月後、自分らしい働き方を見つける

扶養内で働く後ろめたさを少しずつ感じなくなり、つい最近になってやっと今の自分にはこの生活が合っていると受け入れられるようになりました。

そう思うと、今やれること・この先やりたいこと・興味があることなど色々浮かぶようになりました。

慎重派で心配性なので、実行に移すのは少しずつですが、以前に比べたらかなり前向き(未来のことを考えられるよう)になったと思います!


そんな感じで、適応障害になったあとは段階を踏んで、自分のペースで回復することができました。

今の心身の健康さを考えると、やっぱり1年前の自分は健康じゃなかったんだな、諸々の心身の状態は症状だったんだな、と実感します。

適応障害の前後は本当に辛くてたまらない気持ちですが、よく聞く「時間が解決してくれる」というのも間違いではないんだなと思いました。

今、心身の不調が続いている方は、決して無理をせず。1人で抱え込まず。周囲の人や専門家に頼りながら、心身を休ませてほしいです。自分の心と体を大切にすることは、簡単なようで勇気が必要なこともあります。

どうか、大人も子どもも一人ひとりが、自分のことをぎゅーっと抱きしめて大切にできますように。

長くなりましたが、読んでくれてありがとうございました。

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