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「2022年 春アニメOP,EDアニメーション5選」を掘り下げる。

どもども。蕩です。皆さんお元気ですか。
半年ぶりくらいに放送クールのアニメを観ているので新鮮な気持ちですね。早めに冬アニメから復活しようとしていたら逆効果だった予感がするので、自分が面白そうと期待を持てる春アニメから戻ってきたの大正解。

私の初投稿は「2021年 冬アニメOP,EDアニメーション」という記事だったのですが、最初は好きなアニメと一緒に自己紹介をしたり、自分の好きなアニメについて軽く語ってみる的な内容にするところを完全に無視した、ニッチな記事を読んで頂けて嬉しかったです。

最近はブログ活動も復帰して「文章書くの楽しい」という気持ちを改めて感じたので、今回は原点回帰的な感覚で「2022年 春アニメOP,EDアニメーション」を掘り下げる記事を…ブログ史上…これ以上ないくらい全力を込めて作りました。作ったつもり。実は6選。

なので。最後まで読んで頂けたら幸いです。
読んでください。読もう。読みなさい。読んで😭
ということで、よろしくお願いします!!!

①SPY×FAMILY (OP)

絵コンテ, 演出:石浜真史
作画監督:浅野恭司
©遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会
『R.O.D』(OP)

めちゃくちゃテンポ良く爽快なアクションの皮切り。

車が爆発とともに突っ込んでくるダイナミックな開幕になっていたと思うんですけど、
今作の絵コンテ・演出を担当した石浜さんは『R.O.D』という作品でキャラデザ総作監で携わっており、OPでも絵コンテ・演出自体は別の方ではあるものの、総作監として参加していたことから、オマージュの可能性も考えてみたり。

厳密に言うと似てないものの、『SPY×FAMILY』と作品の雰囲気は似てなくもないと言いますか、舞台設計と世界観は共通しているところもあるので、そうゆう部分からも落とし込みやすかったのかもしれません。 

あ、『R.O.D』はクソ面白いのでおすすめです。
配信サイトから姿を消しちゃったの残念な気持ち。

①『PSYCHO-PASS 2』
②『BLEACH 』
③『ホリミヤ』
④『べるぜバブ』
①『東京24区』
②『PERSONA 5 the Animation』
③『冴えない彼女の育てかた』
④『進撃の巨人』
①『僕だけがいない街』
②『Occultic;Nine』
③,④『SPY×FAMILY』

全て石浜真史作品です。"瞳のアップ"が定番。
ことわざに「目は口ほどに物を言う」なんてあるくらいなので、瞳がアップされた瞬間に"キャラクターは何を見据えているのだろうか、この瞳は何を語っているのだろうか"ってことを考えてしまいますよね。

個人的にお気に入りは『PSYCHO-PASS』(常守)だったり、『BLEACH』(藍染)「何を考えて何が見えているんだ」と考えさせられるような、得体の知れない偶像に飲み込まれて消滅しそうな"瞳"は最高です。

一方で、『SPY×FAMILY』はとてもシンプル。
瞳がアップする際の状況を説明する描写が挟まれているせいもありますが、ロイドはスパイとして交戦中の"真剣な眼差し"で、ヨルさんは殺し屋として任務を果たすための"鋭い眼差し"と、互いに暗闇の本業を遂行する気概を感じ取れる"瞳"に受け取れる気がします。

この記事で比較している画像たちは全て石浜真史作品なのですが、『PERSONA 5 the Animation』では主人公が"電車で移動(=時間経過)"する中で、様々な重要人物と関わりを持つ様子を"電車の窓から映る背景が切り替わる"ことで表現していますね。

今作の『SPY×FAMILY』も、特に"背景をスライド"させるのが目立っていたと思います。真ん中で小さいアーニャが歩みを進めつつ"スパイファミリーの3人"が四季折々の行事を楽しんでいる姿を、テンポ良くポップな絵柄で描写することにより、アーニャを中心とした"時間経過"や"家族団欒な様子(=幸せなテンプレートの上)"を掴み取れたのではないでしょうか。

最も近いのは『ヤマノススメ セカンドシーズン』かもしれません。他に列挙した作品とはやや異なり、何となく共通点として"明るい雰囲気"を持っていますし、彼女たちは作品の中で"季節を感じる楽しみ方"を提供してくれるので、そういう面でも似ていますね。

さてさて、アーニャの頭の中(=ポップ調)を描いた四季折々の家族風景のスイッチを"オフ(=父親であるロイドとしての姿をオフ)"にして、ロイドとヨルの本業である"スパイ , 殺し屋"のスイッチが"オン"になるという構成も、作品らしくて良かったですよね。

スイッチをオフにした場合は"おしまい"と考えてしまうところを、この作品は"暗闇(=世間的にはスイッチオフ)"の状態の時こそ"スイッチオン"で動き出す仕組みは、とてもわくわくしちゃいました。

「(噛)み く(だ)いても (無)くならない」

ここ…めっちゃ好きなんですよね。
"()"で括っている部分の母音って全て口が大きく開いて前に飛ぶ「あ」なので、何となく叫びやすくて気持ちの良い感覚を覚えるのと一緒に、ロイドとヨルのかっこいい動きが"ピタッ"と止まるの最高に快感です。

『PERSONA 5 the Animation』でも似たような動きが組み込まれていて、これも主題歌の該当するリズムとの親和性抜群で視覚的にも気持ち良いですし、アクション的な側面を持つキャラクターの"かっこいい動き"って単純にテンション上がるから個人的に大好きです。

①『SPY×FAMILY』
②『Aチャンネル』
③,④『N・H・Kにようこそ!』

石浜作品で見かける"シルエットの女性"たちも今回はヨルさんと特定のキャラ認識できる状態で登場。

①『SPY×FAMILY』
②『ホリミヤ』
③『PERSONA 5 the Animation』
④『Occultic;Nine』

ほぼ"影"がない。ペタっとしたビビットな塗り。
これもヨルさんモチーフで登場でした。めさ可愛い。

①『SPY×FAMILY』
②『ホリミヤ』
③『東京レイヴンズ』
④『PERSONA 5 the Animation』

"画面分割"も登場しましたね。
ちょっとホリミヤより色彩が薄めな気がします。

①『SPY×FAMILY』
②『Aチャンネル』
③『かみちゅ!』
④『進撃の巨人』

"クレジット演出"も冴え渡ってました。
円盤特典や配信において「ノンクレジット」が良いものとして受け取られる場合も多いですが、クレジットまでも"一つの作品"として溶け込ませたり、タイポグラフィを用いて楽しませてくれるのが最高です。

ヨルさんがチラシ紙っぽい物を切り刻んで画面に向かって飛んでくるクレジットも面白かったですね。

"仮初めまみれの日常" だけど
"ここに僕が居て あなたが居る"
①,②『SPY×FAMILY』
②『BLEACH』
③『進撃の巨人』
「オーバーラップ」
1つの画像が消える間に、重ねて次の画像を映す技法。

石浜さんは"オーバーラップ"をよく使います。
実はのように冒頭でも使われていましたが、この場合は映像のテンポ感やスタイリッシュ重視といった"感覚的なかっこよさ"を演出するために使われているような気がします。

一方で、①では「仮初めまみれの日常」という歌詞と合い、過去の環境から"黄昏(=仮初めの姿)"として生き続けてきた出来事がオーバーラップを用いることで、フラッシュバックのように"消えては重なって"を繰り返す不穏な印象を刷り込むように与えていますよね。

その直後に「僕が居て あなたが居る」の部分で「モノトーン→カラー」に切り替わり、粗雑な人生が"ヨルさん , アーニャ"と出会うことで、知る由もなかった"家族"の存在によって、彼の世界に"彩りを持たせてくれたドラマ"すら感じてしまいます。

自分が大好きな『BLEACH』(OP)でも、今回の黄昏と同じよう真ん中に主人公の"黒崎一護"を薄く配置しつつ、彼が関わった"散々たる出来事"が逆再生とともにオーバーラップすることで、詳細な情報はほとんどわからないものの、それらが物語における"鍵"になることは、何となく想像できてしまいますよね。

オーバーラップの良いところは、単純な繋ぎのスタイリッシュ感やリズムもありますが、今回のように"黄昏の過去"の存在と衝撃は教えてくれる一方で、その"詳細な情報"はわからないまま、今後の想像を膨らませることができるところだと思うので、それが効果的に伝わってくる素晴らしいフィルムでした。

①『SPY×FAMILY』
②『ホリミヤ』(石浜監督作品)
③『Aチャンネル』
④『東京レイヴンズ』

今回は少しだけ監督クレジットが控えめでした(笑)
普段は画像の通りで監督の被害者が続出している場合が多いのですが、『ホリミヤ』のように自分が監督をした作品では"謙虚"なのも面白いですよね。

最初は黄昏を軸に"リアル調(=裏の顔)"で始まりましたが、唐突な極秘任務によってアーニャと出会うことによって"ポップ調(=テンプレートな家族)"の姿を手に入れ、最終的にはリアル調の絵柄でも"家族という彩りを持つ(=食卓を囲む)"構成にお腹が膨れる。

まさに「胃がもたれる」素敵な作品でした。
石浜さんの作品は素敵なものばかりなので、この記事を読み終わって気になった方は検索して、他に携わった作品たちを観てみるのも楽しいと思います。

『SPY×FAMILY』本編も面白いのでぜひぜひ。

②SPY×FAMILY (ED)

絵コンテ, 演出:錦織敦史
作画監督:嶋田和晃
©遠藤達哉/集英社・SPY×FAMILY製作委員会

3話でアーニャが諸々を連想させてしまう"落書き"をしている描写(=超能力によって事実を全て知ってしまっている)があったので、シルエットのみで素顔が明らかになっていない2人に対して"裏の顔(=スパイ,殺し屋)"の落書きをすることで、"化けの皮が剥がれてしまう"ような幕開けが面白かったです。

そして素顔がバレてしまった2人は何となく視線を合わせた後に、これ以上は個人情報を漏洩するわけにはいかないよう颯爽と額縁の中から立ち去るまでも作品らしいと思いました。お洒落な雰囲気もとっても良い。

やっぱりアーニャが思っていることを直接的に落書きとして描いているので、「盗聴器」「爆弾」「拳銃」なんていう物騒なものばっかり想像しててやばい(笑)

大好きなスパイ番組を観て年相応に盛り上がっている姿はとってもかわいいし、夢の中という設定なので想像が膨らみすぎて画面の中から"具現化したもの"が飛び出てきて焦ってるのもめちゃくちゃかわいい。

ピート・モンドリアン
『赤・青・黄のコンポジション』

特に詳しいわけではないのですが、「モンドリアン」という画家が描いた抽象絵画をモチーフにしているようで発想力の権化というか、錦織さんすごい。

「SPY×FAMILY」は単行本などの媒体で"名作椅子"と呼ばれるものを取り入れたビジュアルを作り出しているのも含め、実際の文化との考証は知りませんが、"ヨーロッパが舞台であるお洒落な雰囲気"を織り交ぜている面において、原作への寄り添い方も素敵です。

1話で黄昏が任務用の子どもを探している時。
アーニャは拾ってもらうために"クロスワード"を超能力というかカンニングで解いたように、彼女は夢の中でも自分をアピールするために"クロスワードの海"を走り回っている姿が健気かつ少しだけ寂しい。

段々と迷宮のようにクロスワードが重なり合っていく流れは"彼女が心の底から楽しんでいられる環境に辿り着くまでの苦労"にも受け取れますし、「私の居場所は作るものだった」という歌詞からも、アーニャが自分自身で居場所を作ろうとしていた努力が伺えます。

そしてスクールバスから降りた後、周りの子どもたちは親が迎えに来て手を繋いだり、おんぶしてもらって目の前を通り過ぎて行く中で"ひとりぼっち"で取り残されているのは"アーニャのみ"という過去の現実。

周りにいた"仲睦まじい家族"は消えてしまった。
アーニャは結局このままと思わせるよう"小さくて頼りない背中"を強調するよう"やや引きの長回し"で映した後に、背景が真っ白に変わり、ロイドが横に現れて迎えに来てくれた事実に対して"寄りで満面の笑みの嬉しそうなアーニャ"を映すのが感動的な画面です。

ヨルさんも合流して仲睦まじい雰囲気。
超能力自体は隠してますが、街中においてアーニャという存在を隠す必要はあまりないので冒頭からカラーで描いてる一方、"黄昏(=スパイ)""いばら姫(=殺し屋)"という素性は街中で明らかにするわけにはいかないので"モノトーン"で描かれています。

ただ、自宅に早く帰ろうと団欒な様子で駆け抜けていく姿は微笑ましいですし、家の中に入った瞬間に"カラフルな光"が照らしてくれる効果から、モノトーンだった2人が"ロイド(=父親)""ヨル(=母親)"として"カラー"になる演出もとても良かったです。

きっとこの形が「SPY×FAMILY」ということ。
終わりがあるかもしれない。偽っているかもしれない。
でも。この瞬間はきっと本物の"ファミリー"。

家族の在り方はそれぞれですし、そもそも家族として以前に"個人として一般的ではない3人"ですが、彼らがイメージの中に描いてるであろう"普通の家族"を象徴するように「サザエさん」ED映像をオマージュとしているのも面白かったですね。こうゆうの好き。

"普通"や"一般的"という言葉はあまり好きじゃないので使わないようにしてるのですが、今回は相応しい言葉が見つからなかったので、勘弁してください。

最後は2人が夢の中で冒険しているアーニャを深い眠りの中に戻してあげる。アーニャはこのまま良い気分で眠りについてそうですし、逆に段々と"カラーからモノトーン"になりつつある2人は"夜(=裏の顔)"に戻っていくとも受け取れるような気がします。

そして、夢の中から現実の風景に帰宅。
アーニャの満足そうな寝顔を見て癒されるうえに、布団に映る"影"がロイドのシルエットなので、彼が父親としてアーニャが眠るまで見守り、眠りについたのを確認してから電気を消すといった締めも温まりますね。

OPに引き続き、素晴らしいフィルムでした。
原作人気のある作品に対して本編が圧倒的なクオリティで描かれていますが、他にも主題歌担当の人気アーティストが寄り添った楽曲を提供して、映像含めて豪華なスタッフ陣で作品を完成させると、さらに沢山の注目と支持を得られるんだなって改めて思いました。 

「アニメ化っていいな…」と感じています。
面白くない話数が来ることを想像できないレベルに達していると個人的には思っているので、このまま毎週の楽しみとして、作品を見届けていきたいです🎩

③カッコウの許嫁 (OP)

絵コンテ, 演出:竹下良平
総作画監督:蔡孟書,渡辺まゆみ,萩原しょう子,槙田一章
©吉河美希・講談社/カッコウの許嫁製作委員会
"だって 目の前にあるものが全てだし"

"疑うこともしなかった"

母親の手に子供が渡る瞬間。
暖色強めの光処理によって"生命の神秘"が強調される一方で、画面の真ん中に線が浮き出て"分割(=取り違えられてしまった)"といった物語を象徴する幕開け。

歌詞にある通り、赤ちゃんの頃から親として認識した目の前の事実は"全て"なので疑うことがないのは当たり前ですし、エリカと凪が許嫁として出会うことは決まっていたかもしれませんが、きっとあの時に衝突することがなかったら、『カッコウの許嫁』という物語自体が始まることはなかったのかもしれません。

原作を読んでいないので、彼らが取り違えられる設定しか知らない状態なんですけど、画面を分割してる中で"同じ部屋""共通イメージの中にある男女別の異なった家具"が配置されてるのは、「2人が取り違えられる事のなかった世界線」を演出しているなら、面白いなって思います。

エリカは"ピンクが基調の可愛い部屋"で、凪は"青が基調の淡白な部屋"になっていて、ご時世的にも個人的にもイメージで性別を語るのはあまり良くないと思っていますが、実際にこの2人は男女として互いを知っていく作品だと思うので、むしろバッチリな仕掛け。

どうでもいい話ですが、基本的に"負けヒロイン"を好きになるのが定番なのに、今回は"エリカ(=メインヒロイン)"を好きになりそうな予感がいっぱい。

ここは単純にリズムとの相性が抜群で爽快です。
2人の日常から移動を描く際、テンポが上がる音楽と合わせるよう交互に素早く切り返していくカットによってサビまでの期待を跳ね上げてくれますし、勝手にリズムを刻んでしまった方もいるのではないでしょうか。

ドラムの音や吉岡聖恵さんの声が強くなる瞬間(=アクション)に素早く切り替わるので、視聴者が欲しい時に欲しいアクションが発生するのは気持ち良いですよね。

前述に対しての"緩急"が素晴らしすぎる。
例として挙げるなら、あと数センチの差で決まるレースのゴールシーンを通常速度で流すより、その瞬間だけはスロー再生で流した方が"ドラマ"を感じますよね。

なので、冒頭からテンポを上げるよう"素早いカット"で進行する中で「サビはどうなるの?」という期待を集めた後、分割された画面が"繋がっていく(=『カッコウの許嫁』という作品が始まった)"場面を"長回しのゆっくりなカット"を用いることで印象的かつ緩急を生むことにより、"ドラマチック"に映しています。

ここまで『カッコウの許嫁』ってタイトルを安易に出すことはせず、2人が取り違えられた事実を知り、さらに運命的な衝突を果たしたからこそ、"ついに『カッコウの許嫁』が成立する"までの描き方が素敵です。

絵コンテ演出の竹下良平さんは、ここ最近では『呪術廻戦』ED『先輩がうざい後輩の話』OPも同様に担当されているんですけど、共通したモチーフとして"縦画面スマホ演出"を用いているのが印象的です。

私達にとって当たり前の存在である"スマホ"というフィルターを通すだけでリアル感が増しますし、他作品のようなカメラ撮影では"キャラクターの素な行動"を捉えることで親近感、今作ではアプリ撮影を通して"キャラクターが持つエンタメ性"を汲み取れますよね。

さらに、まず最初は被写体側(=ドッキリを突かれている側)のみを映し、被写体側が気づいた後または撮影者側がタネ明かし(=ここで視聴者も誰が撮影していたのか気づく)した後で「被写体→撮影者」にアクションが生まれる矢印の成立は、まるでドッキリ番組のような面白さであったり、犯人の正体を知れたワクワク感とスッキリ感を同時に味わえて楽しいと思います。

凪が画面内に飛び出してメインヒロインたちと同様に変なポーズを決めるところで横転、空を見上げるような視界の中に"ヒロインたち"が個性豊かな可愛い表情で映り込んでくるのが…良い。めちゃくちゃ好きです。

ここで凪が横転して彼の視界が青空であることを印象づけているため、「次の"夕方の空模様"も"凪視点"で見上げている景色なんだろうなあ」ってことが共通認識として成立する繋ぎ方が天才です🌇

前述の『呪術廻戦』『先輩がうざい後輩の話』の画像に少し戻って欲しいのですが、スマホ撮影において"キャラクターが生き生きしている"ような特徴を掴んだ芝居づけはもちろんなんですけど、彼らの芝居が更に強調されるよう"背景のぼかし"で際立たせるのも良い。

さてさて、今作のお話に戻ります。
エリカだけでなく、ひろと幸がヤキモチを焼いてるような表情を浮かべてフェードインすることで画面の情報が贅沢になりますし、彼女たちの表情も"めちゃくちゃ可愛い"かつ背景効果も相まって素敵なカットです。

そして"POV(=主観)"で魅せ続けていたカメラの位置が引くことで全貌が明らかになり、「やっぱり主観の正体は凪だったんだね」ってなるオチまで完璧。

最後はメインの2人の共同作業を盗み撮り。
エリカが被写体側としてフレームに収まると盛り上がりがちな性格なのも、凪が被写体側に回るのはノリ気ではない様子もここまで描いているので、とても自然に受け取れたカットになっているのではないでしょうか。

ただ、これの撮影者は誰なんだろうって🤔
他のメインヒロインなのか、物語を展開していくうえでの重要人物なのか、最後にそうゆう疑問を投げつけて終わってしまう構成も策略なのかもしれません(笑)

本当に素晴らしい作品でした。大好きです。
実はこれ『カッコウの許嫁』が放送される前で、エリカと凪が取り違えられてる設定しか知らない状態で書いているから考察も何もないどころか原作勢に怒られそうですが、とても楽しい気持ちになれました🥸

④ラブライブ! 虹ヶ咲学園
スクールアイドル同好会 2期 (OP)

絵コンテ, 演出:河村智之
作画監督:横田拓巳

©2022 プロジェクトラブライブ! 
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

1期OPでは侑ちゃんが海の中に"足が浸かってる状態で空を見上げている"状態でしたが、2期OPでは海の中に"完全に潜っている状態でピアノを弾いている"といった違いが特徴的な始まり方でした。

本編が段々と進んできたところ、1期ではある種の応援する立場(=ファンと同じ存在)ということから"空を見上げている(=屋上でパフォーマンスしている同好会を眺めている)"ように受け取れる気がします。

一方で、2期は高咲侑として音楽科とスクールアイドル同好会の両方で活躍する夢を持った彼女が"水中でピアノを弾いている(=水上に浮く同好会のステージを音楽科の立場も含めて水中から支える)"といった、役割の変化を伺えるのが良いですね。とても好きです。

①→『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』
②→『三ツ星カラーズ』
③→『対魔道学園35試験小隊』
④→『波よ聞いてくれ』

全ての作品が"河村智之"さん絵コンテのOPです。
虹ヶ咲2期OPもそうですけど、共通してるのは地面に対して作品名やクレジットを"地面や背景に投影している"かのように映し出しているところだと思います。

こういう特徴から今回も河村監督らしい作品であることが伝わってくる面白さはもちろん、単純に文字列を載せるだけに比べて"躍動感""オシャレ"な雰囲気が効果的に表現されていて、楽しいですよね。

個人的に『対魔道学園35試験小隊』の踏み絵好き。
あとは『三ツ星カラーズ』とスタッフも似てて、カラフルな配色の使い方で画面の彩りが豊かであることも作品通りの"虹ヶ咲"って感じがピッタリです。

①,②→『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』
③→『波よ聞いてくれ』
④→『ステラのまほう』(演出)

これも河村智之作品です。
キャラクターと重ねるように"影(=シルエット)"をつけるのは、夏アニメの記事の『死神坊ちゃんと黒メイド』の絵コンテ演出をしていた大畑清隆さんがパイオニア的存在と書いた気がするのですけど、今となっては割と普通に見かけてしまう手法ですよね。

ですが、河村監督はただ単にキャラクターのシルエットを重ねるのではなく、虹ヶ咲では"光線(=個々が持つスポットライト)"『波よ聞いてくれ』では"波よ聞いてくれ"の表記がシルエットに混ざり込んでいます。

また、シルエットとは若干異なるうえに演出としての参加なのでどこまで関与しているのか謎ですが、『ステラのまほう』では"背景に映るキャラクターの方がクソでかい"ように何かしらの工夫を取り入れていますね。

加えて、派手ではないもののキャラクターが軽快に動く様子を、中須の場合は"紙飛行機"を用いて「後→前」であったり、愛さんの場合はバク転をして「前→後」のように画面を大きく使って撮っています。

『三ツ星カラーズ』でも特に4枚目で、結衣ちゃんと琴葉(赤 , 青)「左→右」に向かって画面の最大限手前を通過していった後に、さっちゃん(黄)が満面の笑みで「前→後」に吹っ飛んでいくなど、キャラ芝居と画面を大きく使っているのも特徴かもしれません。

何て言うか、キャラクターが魅力的に見えますよね。
多分これだけで「あ、かわいい」ってなった人も結構いるんじゃないかなって思います。カラーズもぜひ。

サビに入りました。大歓喜。最高です。たまらん。
ここに関しては…ただ単に好きなだけです。

特に「〇〇」っていうのはないです。
もう"みんなにただただ観てほしい"だけです。

最後は1期に引き続き"脱帽のカメラワーク"。
9人でも全員にスポットを当てて魅せるっていうのは相当難しいと思うのですが、今回は12人と以前より大所帯になっているにも関わらず"目線でバトンタッチするカメラワーク"が冴え渡っていました。

現実的には不可能なカメラワークですが、フィクションだから可能であることはもちろん、楽曲のテンポの速さと合わせるような繋ぎ方は心地よいですし、まさに"全員が主役"って雰囲気が輝いてて最高です。 

全員で12人のキャラ紹介が必須な中、サビが始まるまでの間はテンポ良く各キャラクターをカットインと芝居で魅せつつ、始まった後は"カメラワーク"で大胆かつ魅力的に映していく…無敵級のOPでした。

⑤古見さんは、コミュ症です。2期 (ED)

演出, 文字コンテ, 背景:藤本航己
©オダトモヒト・小学館/私立伊旦高校
「ロトスコープ」
"実際のモデル(=モーションアクター)"を撮影して、
その撮影通りに"トレス(=絵に写しとる)"する技法。

今回は多分"ロトスコープ"が使われていましたね。
画像は同じ手法をアニメ全編に落とし込んだ『惡の華』なんですけど、芝居自体が実写のような生々しさを含むかつ表情まで捉えているため"気味悪さ"が表現されていると思います。この作品的には大正解です。

ただ、ある意味では"くどい"とも言えます。
アニメらしい芝居とは比較的遠く、動きが生々しいわりには主線が安定しない不確定さもあって、かなり人間を選ぶと言いますか、好みは分かれると思います。

一方で、同じロトスコープを用いた今回のEDアニメーションに対して"気味悪さ"を感じた方というのはほとんどいないんじゃないかなって気がしています。

『惡の華』であったり、他作品の中に紛れ込んでいるロトスコープは基本的に"表情"があるため、生々しさに生々しさを加えている状態ですが、だからと言って実写に近いだけで"実写ではない"といった違和感によってそういう印象を持ってしまう場合もある気がして。

でも『古見さん』の場合は"表情を取り除いてる(=特徴を捉えたドット調のシルエットのみ)"なので、どこか広告的であったり、柔らかい印象を持つため、単純にキャラクター達の日常を"定点カメラ"で収めた高校生活の一部を覗き見してる気分になれるのが素敵です。

覗き見はアレですね。懐かしさの振り返りです(笑)

加えて面白いのが、『古見さん』の舞台設定となっている私立伊丹高校では試験合格基準が"個性のみ"という点を考慮してみると、人間として象徴的である表情を無視しても、造形と"キャラクターらしい芝居(=特徴的な動き)"を完璧に掴むことにより、個性的な部分を映し出すだけで"どのキャラクターか判別できる"というのが設定の"合格基準"と繋がっているのも良い。

修学旅行(前)
修学旅行(後)

修学旅行に行く前の前半パートではクラス全体で"ひとりぼっち"のキャラがいた事に対して、おそらく修学旅行に行った後の後半パートでは"全員が誰かしらと絡んでいる"といった教室内の変化が尊いものですね。

また、実写的なロトスコープの中に、キャラクター達の関係が深まったからこそ撮影処理によって教室内の"光加減"が変わるといった"人為的アプローチ"が画面内に混ざり込んでるのが絶妙なバランスで気持ちいい。

皆さん。中々さんに注目です。
(上側)では周りを気にして黄昏れるような放課後を送っていたはずなのに、(下側)では自分から山井さんに向かって動き出している(=山井さんには絡みに行っても大丈夫)といった心情の変化だったり、山井さんも乗り気で戯れている様子が伺えて和みませんか??

最初に"気味悪さ"の話をしたんですけど、モデルを撮影した通りにトレスした場合は微妙に不完全な人間を見ている違和感に包まれますが、こうやって山井さんが古見さんにバレないよう"残像"があるくらい高速で駆け抜けている"フィクション"の混ぜ方も好き。 

こんな動きをモデルさんはできません(笑)
だから撮影したものを"アニメ調"に崩して描いていると思うんですよね。確かに"高校生活"に加えて人間関係に潜む"コミュ症"といった写実的な面にはリアルな描写を求めますが、全てをリアルに描いてしまうのは現実か実写のどちらかで済む話なので、これくらいのフィクションが組み込まれた画面はとても丁度いい。

片居くんの芝居めっちゃ良くないですか??
「只野くんに帰りの挨拶したい…でも周りが結構ガヤガヤしてるから踏み出せない…」的な躊躇いが芝居から滲み出ちゃってて、遠くで見る分には吹き出しそう。

最終的には頑張って挨拶に行ったけど、なじみのコミュ強な勢いに只野くんも目線を持っていかれて一旦そっちに反応した後に、「すみません片居くん。また明日。」とか言ってそうなクッションの挟み方が良い…良いです。

修学旅行(前)の古見さんと只野くん
修学旅行(後)の古見さんと只野くん

最後になります。(上側)の時点でも只野くんらしく挨拶をしてから帰るというのも悪くない関係性ではありますが、(下側)のように"古見さんが待っている。只野くんも彼女が待ってくれている事と一緒に教室を出る事が当たり前のようになっている。"といった主要キャラの対比をラストに強調するのも抜け目ないです。

どこか細かい仕掛けや伏線的な演出だけが至高というわけではなく、"崩し気味なロトスコープ"を用いることで実写的な描写の中にポップで柔らかい印象を抱くことが出来るかつ、"キャラクターの解像度"が尋常じゃないくらい高いことにより"個性"が選考基準になっている設定とも重なるのが作品とマッチしていて素敵というお話でした。普通のロトスコープも好きだけど。

ちなみに、自分は矢田野さんと尾根峰さんが好き。
あと修学旅行から加藤さんと佐々木さんコンビ熱い🔥
『惡の華』も大好きです。押見修造作品は大好き。

⑥かぐや様は告らせたい
-ウルトラロマンティック- (ED)

絵コンテ, 演出:大野仁愛
作画監督:久貝典史
©赤坂アカ/集英社・かぐや様は告らせたい製作委員会
1期ED 終盤
3期ED 序盤

1期EDはかぐや様が家柄によって心身ともに閉じ込められている中で、白銀を主体とした生徒会の面々たちが各々の身分を象徴する"飛行船"に乗って彼女を奪還しに行こうとする一方、早坂の助けと共に"かぐや自身も殻を破る"ことで物語が報われる展開でしたよね。

しかし、3期EDの始まり的に"救出作戦は失敗"。
全てが雲の上の存在として位置するかぐや様と触れ合うことなんて許されない、庶民である白銀は飛行船と一緒に地上へ突き落とされてしまったように見えます。

完全に『竹取物語』をSF解釈した簡易図ですね。
SF作品と捉える方も多いですし、作品にも寄り添っていますし、取り入れて成立させるのがすごいです。

映像っていうか様々な設定自体は『スターシップ・トゥルーパーズ』って映画のパロディらしいのですが、これに関しては観たことない時点で知識が壊滅的なので、下手に触れることはせず、詳しい方に砲丸投げします。

さて、今回の題材はきっと『竹取物語』。
かぐや様(かぐや姫)は天に戻ることになり、まるで別人のように心が変わってしまう"天の羽衣"を着せられてしまったために凍てつくような冷たい姫に変貌。

きっと白銀に助けられた記憶も、生徒会の面々や早坂たちが支えてくれた事も全て忘れて、まるで本編において皆と出会う前の誰とも深い関わりも持とうとしない彼女に見えるのが辛いですよね。胸が苦しくなります。

歴史は好きでも詳しいわけではないので間違っている場合は指摘してほしいのですが、誌上のかぐや姫は帝に対して地上を離れる際に様々な人間を通して"不老不死の薬"を渡そうとしていて、それが映像におけるエメラルドのような壺の事を指していると思うんですよね。

そして、白銀は躊躇いなく"不老不死の薬"を飲む。
帝は薬を飲まずに富士の山に燃やしてしまうので姫と再会する結末は待ってませんが、白銀はどうしても彼女に会って救い出したいって気持ちが強調されます。

1期ED後の物語が軽く補完された過去回想。
おそらく左側はかぐや関連の出来事、そして右側では自分たちと同じ地球で関わりの深い人物が頭の中に浮かんで仕方ないといった表情を浮かべてるのが切ない。

特にかぐやの表情…あまりにも切ない…。
自分の好きな相手のこんな切ない表情を目の前にして胸が苦しくなるのは当たり前で、だからこそ"不老不死の薬"を飲み、何年も時を経ることで彼女を奪還する決意を固めていたんだろうなって経緯が最高ですよね。

ついに…"白銀が動き始める"。
かぐやの表情が決め手となって、不老不死の薬の瓶を強く握る芝居からサビに切り替わる構成は王道ですが、こんな王道展開に尖った演出なんて必要ないですよね。

細かい仕掛けや短編の素敵なストーリーを展開している一方で、登場人物の感情自体は非常にわかりやすい表情や芝居で表現しているバランス加減が絶妙で好きです。

最初に載せた1期EDもそうですが、竹取物語においても漫画本編においても"かぐや姫(かぐや様)"は身分の高さが比較対象にならないほど高いので、どんな状況であっても白銀が助けるのは「下→上」に向かっている関係性を貫いているのが個人的には結構好きです。

加えて、1期EDも本編でも昔からずっとかぐや様を助けるのは早坂の役目だったと思うのですが、そんな立場にいる彼女が「かぐや様は会長に助けてほしいと思っている」「会長しか助けられない」といった意思表示をするように、象徴的なアイテムの"赤リボン"を渡して向かわせるってシークエンスが素敵すぎて辛い。

かぐや様は"天の羽衣"を身に纏うことで別人に変えられてしまったからこそ、また新しく地上の人間として接していたあの頃に戻ってほしい、取り戻した彼女と新しい記憶を築きあげていきたいといった願望から"赤いリボン"という別の服飾を身に纏わせることで上書きしたのかもしれないって妄想まで膨らんでしまいますね。

1期EDでは、かぐや様が白銀の机で眠っているところを白銀と生徒会の面々が起こすことで目が覚め、物語は彼女の夢オチのような終わり方をしていました。

後はそうですね。夢オチではあるものの、関係性としては本編においても財閥令嬢として籠の中に閉じ込められていた彼女を、花火大会に行くという夢すら破壊されてしまった彼女を全員が助けてくれるなんて、物語の本質自体は"正夢"って締め方が素敵でしたよね。

一方で3期EDにおいては、白銀が机で眠っているところをかぐや様が起こすことで目が覚め、物語は白銀の夢オチのような終わり方をする対比表現が最高です。

夢の中では「白銀→かぐや様」で助けるほどに彼女を想っていることを表現してるのに対して、実際は「かぐや様→白銀」で起こすことで夢から助けてあげるなんて両方の矢印を成立させてしまう構成は圧巻でした。

何と言っても、クールを超えて尚お互いに"繋がりを持った夢"を見ている時点で尊い関係が爆発ですし、予想ではありますが、1期ED〜3期EDの間には数百年の時間が経過していて、そこから本編に辿り着くまでも数百年から千年単位の歴史を超えているとするなら。

"繋がりのある夢"を見た運命。
"夢の中でも現実でも救い出すことが出来た"因果。

いや…"ウルトラロマンティック"すぎる。
更に想像を掻き立てるなら、夢の中の物語が史実として残っていると仮定すると、数百年から千年単位の歴史を共に歩むほどに追いかけ続けたからこそ、まだ身分の違いで悩むことはあるものの、今を生きる現代においても"再び巡り会うことができた(=転生)"のも素敵。

はあ…これはメ゙イ゙ン゙ビロ゙イ゙ン゙。

何ですか…この包み込むような表情…。
白銀や生徒会たちから広がる輪と出会う前は表情すらなかった彼女が、白銀にとって凍えるほど冷たくて触れられなかったはずの彼女が、今では"こんなにも優しい表情"を向けることができるようになったんですよね。

"POV(白銀視点)"のカメラも抜群。
こんなにバチッと飾るべきところで使うの天才です。

今は、白銀の眼に"かぐやはこう映ってる"。
って変化も感じられるのが、EDだけでも繋がりのある物語を描いている点に加えて、本編とも繋がりと重なりを持つような印象を与える画面で輝いてます。

かぐや様の穏やかな笑顔。本当に素敵ですよね。
ずっと笑いの止まらないコメディを繰り広げているイメージが強いですが、『かぐや様は告らせたい』という作品がシリアス要素を備えて"ラブコメ"をしているから愛されているんだろうなって、改めて感じさせてくれる素晴らしいEDアニメーションでした🗣🗣🗣

総括

皆さんのお気に入りはどの作品ですか??
個人的な好みとしては『カッコウの許嫁』のアニメーションが楽曲との親和性も半端なくて、毎回飛ばせずに観てしまうんですよね。後は大トリを飾った『かぐや様は告らせたい』の物語に涙腺うるうるピンチ姫です。

他には『可愛いだけじゃない式守さん』『ダンス・ダンス・ダンスール』等の映像も好きなんですけど、全部を書くと終わらないまま没になりそうなので、自分の限界と相談して、このラインナップの記事になりました。

面白い記事だと思ったら、ぜひ拡散してほしい!!!
楽しみ方を本当にそれぞれなんですけど、「あまり焦点の当たらない部分でも楽しいこと盛り沢山」を伝えられる内容にしたいと思って書いたので、そうゆう方が1人でも増える記事になっていたら幸いです👬

最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
皆さんのお気に入り作品と一緒にリプ欄やコメント欄でお話できたら嬉しいです。単純にブログの感想を辛口でも何でも伝えてくれると、テンション上がります🔥

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今期のアニメを更に楽しめる方が増えることを願って。
また次回にお会いしましょう。いつもさんきゅう。

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