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『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』2期13話を語る。

お久しぶりです。蕩です。書く時間が絶妙にない。
なので最終話も書かないつもりでしたが、ここまで楽しませてくれた作品に、そして基本的には毎話記事を書いてきた締めとして、何も書かずに終わってしまうのは如何なものかと思ったので、書くことにしました。

この最終話、比較的"展開の起伏"がなく、Aパートは丸ごとライブでお届けしているので、自分がいつも書いているような"物語を追いつつ映像表現に触れる"構成を作るのが難しいですし、どうしても感情いっぱいの内容になることを危惧していますが、読者の方には、生暖かい目で見守って頂けることを祈っています。

さて、満を持して…満を持すぎた最終話でした。
基本的には最終話って"カタルシス爆発""目的を終えた後の日常"を描くと思うのですが、虹ヶ咲は前回までで課せられたモノを全て終わらせ、だからと言って日常を描くわけでもなく、「純粋に自分たちのファーストライブを行う」って不思議な締め方でしたよね。

あまりにも全員が"清々しく"映っていた。
視聴する前は「最終話は全力投球で語る」と意気込んでいたんですけど、清々しい彼女たちの晴れ舞台と合わせるように、ここまでの話数で最もラフな書き方になるかもしれません。居酒屋でニジガク談義に花を咲かせるようなテンションで読んで頂けたら嬉しいです。

「響け!ときめき——。」

絵コンテ, 演出:河村智之, ほりうちゆうや
ダンスパート絵コンテ, 演出:河村智之, 中山直哉

脚本:田中仁

総作画監督:
横田拓己, 小野田将人, 冨岡寛, 山本亮友, 渡邊敬介

ダンスパート作画監督:後藤望, 久松沙紀
©2022 プロジェクトラブライブ! 
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会
トキメキを感じたあの日から。
私たちは夢中で走り始めて…そして今。(2期13話)

生まれたトキメキ。
あの日から世界は…変わり始めたんだ。(1期1話)

最終話の開幕。侑ちゃんの台詞でした。
1期1話で「トキメキ」が生まれて自分の世界が変わったであろう侑ちゃんから、2期13話で「トキメキを感じたあの日から」という言葉によって今までの感情を駆け上がるように振り返り、「私たち」と規模が大きくなったことを伝えてくる対比は素晴らしかったです。

個人的には「1話の台詞が効いてる」と思える構成自体が大好物なんですけど、虹ヶ咲に関しては「これ以上に相応しい言葉がない」と思わせるほど、ここまで積み重ねてきたものを丁寧に表現してくれていていました。

ここからが「新しいスタート」です。

私たちを支えてくれた、
みなさんへの「ありがとう」を込めて。
今できることを出し切りましょう!!(👑)

いこう!!私たちの虹を咲かせに!!(🎀,🌈)

侑ちゃん目線で「あの日から」物語が動き始めたことを今回の開幕でも提示した後に、部長である中須が「ここから」を強調してスタートを切るのも良かったです。

嵐珠、ミア、栞子の3人を加えた「13人」の同好会として初のパフォーマンスを行う「ここから」が新しいスタートなんですよね。全員が加入するまでに長い時間が掛かりましたし、全員が集ってライブを行うまでには更に時間が掛かったからこそ、感慨深いものがあります。

さて、Aパートはダイジェスト演出でしたね。
普段なら「個人的に好きなところ」として最後に載せる部分なんですけど、今回はこのまま自分も「ダイジェスト記事」的なノリで書いていきます!いくぞ!

「夜明珠」

トップバッターは嵐珠でした🍖
アプリの前評判であったり、築いてきた輪に入る新キャラクターは受け入れ難いイメージを持ちますが、こんなにも同好会の仲間として素敵なキャラクターに描いてくれたスタッフ陣には感謝しかないですし、自分はアニガサキを通して、彼女のことが大好きになりました!!

最初に"嵐珠"を起用するのはあまりにも物語を理解しすぎていると言いますか。基本的には「独り」でパフォーマンスをする意志を強調し続け、ファンから何も求めないとった「孤高」に縛られていた彼女が、まだ誰も出演じていない「最初」を務めた後に「独り」を完遂させようとせずに、"後ろにバトンタッチする"って仲間がいることを理解している采配が素晴らしいですよね。

また、相手が「中須」っていうのも最高でした。
嵐珠は「同好会と方針が合わない」と宣言していた事に対して、同好会の部長であり、2話でも彼女を受け入れようとする周りに「納得がいかない」と実は最も対立していたのかもしれない中須が、互いを認め合ってハイタッチするだけでも素敵なドラマだと思うのですが…。

構図が似ているのも良いですね。
虹ヶ咲の十八番になりつつある演出だと思います。

ファーストライブが始まる前は緊張を"武者震い"と強がりつつ先輩たちに弄られていましたが、円陣を組む際の部長らしい面を見せつつも、最後に中須の震えを止めるどころか「ステージに出たい」と思わせたのは、圧倒的なパフォーマンスを魅せた「嵐珠」っていう、互いに認めるだけでなく、"互いを高め合う"存在として描かれているのがたまらなく好きでした。

ここまで「仲間」をしつこいくらい強調する描写は正直気になるところではあったものの、最後には言葉を交わさずとも「仲間」を認識しているって締め方に出来たことや、それを提示するのが「中須と嵐珠」であるドラマチック性には、言葉にできない感動を覚えましたね。

「☆ワンダーランド☆」

ということで、次は中須の出番でした👑
序盤はせつ菜や同好会との摩擦とか、自分が目指すものと相手が目指すものを心の中では受け入れることが出来ていなかった悩みを抱えていましたが、紆余曲折を経た視線の先に広がる"パステルイエロー"の景色こそ、彼女とファンが望む「ワンダーランド」に間違いない。

「My Own Fairy-Tale」

次は…推し…彼方ちゃんでした🐑
前話での遥ちゃんとの関係性であったり、お泊まり回では母親にも止められるほどに、普段から家事やバイトを頑張っている彼女だからこそ、家族の前で「スクールアイドルの近江彼方」として、家の中では表現することのない"自分らしさ"を魅せてくれた姿は最高でした。

「声繋ごうよ」

マイナスイオンの擬人化。我らがエマちゃん🍞
2期からは嵐珠やミア、そして歩夢の留学関係のお話がある中で「海外とスクールアイドル」を意識する面が結構あったと思うんですけど、それはエマちゃんが「大好きを届けたい」気持ちで、最初に「海外とスクールアイドル」を繋いでくれた功績がとても大きい気がします。

スクールアイドルをしたいと海を渡った嵐珠、歩夢に対してメッセージを送ってくれた子、メッセージを送りたいと思わせるほどに魅せた歩夢、もちろんそれは映像として「視覚的なパフォーマンス」によるものだと思いますが、全てはきっと「声」が繋いだんだと思います。

僕が先に行こうか…?(🍔)

大丈夫。見てて。(📶)

璃奈ちゃんとミアは「手」が象徴なんですよね。
9話を思い出してほしいのですが、あの時も2人が関係性を築いていく様子を「手」に託して描いていたのが明確だったと思いますし、ミアの繋がれた「手」がランジュにまで及ぶっていう物語だったと思います。

今回もミアの「震える手」を抑えるために、あの時も掴んでリードしたい気持ちや成長を見せたからこそ、自分の中では"ウィークポイント"として捉えている「無表情」が出てしまうことを覚悟してでも、背中を見せる決断をしたんじゃないのかなって。個人的にはですが。

「テレテレパシー」

正直「璃奈ちゃんボード」を現段階で外すことが正しかったのかどうかはわかりませんし、皆さんが「璃奈ちゃんボード」"彼女固有の魅力"と解釈していることも共感の嵐ではあるんですけど、あくまでそれは"視聴者としての願望"であって、璃奈ちゃん自身は「素顔」を出せるようになる進歩に嬉しさを覚えたと思います。

好きだったアーティストが描いた理想から外れていく悲しさと似てるのかもしれませんが、「天王寺璃奈」という人間が「ミアのために」そして「自分のために」ボードを外す決断をしたのなら、私たちは作中のファンのように温かく迎えるのも一つの形な気がしますね。

中須は「武者震い(?)」だった一方で、ミアは確実に緊張して震えていた「手」を、前述の通り、璃奈ちゃんの決断から勇気を貰うことで「ステージに立ちたいと固く握る手」に変わっていたのが良かったです。

些細な部分ではあるものの、物語において一定以上の関係性を得た際の「モチーフ(=手)」が一貫して描かれるというのも大好物なので、グッときました。

「Toy Doll」
璃奈もすごい。ファンもすごい。
「スクールアイドル」って最高だ!!(🍔)

はい。ついにミアの出番でした🍔
想いに感化されるようにアップテンポな曲調を披露していることや、自分が「すごい(=ランジュ)」と思える人間に頼ろうとしていた反面、自身よりも「すごい」と思える作曲家はいないと振る舞っていたのに、侑ちゃんが作った楽曲とともに周りを認め、最高と思える「スクールアイドル」に自分がなっているの素敵ですね。

アニガサキのスタッフ陣。芸が細すぎる。
まさかの1期6話で「ボードの裏で口元が笑っている璃奈ちゃん」と重ねるよう「口元が笑っているミア」を描いてしまうのが何とも…作品らしい演出でした。

この時点で璃奈ちゃんはボードの裏では表情が生まれていたわけですから、ミアより先に活動を始めているという意味での先輩や、単純に背中を見せるためにはこの時より成長しているのも自然な話なので、更に璃奈ちゃんがボードを外したことに納得できる描写でした。

「Wish」

次の登場。セクシー姉さんの果林さん👠
楽曲自体は切ないラブソングにも聴こえますが、先輩らしく強い姿を見せる一方で、11話のように離れることに寂しさを人一倍感じている無垢な部分にも、とても重なる歌詞になっていたんじゃないかなって思います。

パフォーマンスとしては切ない表情管理をするのが正しいのかもしれませんが、こうやって最後に「笑顔」が浮き出てしまうのも、同じ境遇である3年生と踏み出すことができたから。そんな想いの楽曲にも聴こえました。

「友 & 愛」

笑顔の塊。誰にでも優しいギャルの愛さん☀️
歌詞に「ニコイチ」という言葉があって、今までは璃奈ちゃんや個々のファンに聴こえましたが、今回はユニットを組んだ果林さんであったり、何よりもお姉ちゃんかつ最高の友達でもある美里さんと絆を深められたこともあって、今まで以上にメッセージ性を感じました。

「翠いカナリア」

好感度しかない。栞子の出番でしたね🔖
7話で「自分は今の自分だけ本当に変われない」と歌い始めるものの、時計の針が動き出したように、「昨日までの私はいないから」と歌うことができ、それを薫子さんに届けることができるのは何よりも成長でした。

また、7話の時点で「ソロ」を披露することは達成できていたと思うので、「ソロ(=昨日までの自分)」だけではなく、見かけ上でも「ユニット」として自身を更新するパフォーマンスをしていたのも良かったです。

「オードリー」

待ってました。負けず嫌いのしずく💧
担当の方が前田佳織里好きなのかってくらい、角度や芝居が完全に「前田佳織里」で一瞬笑っちゃいそうになったんですけど、キャストの姿を重ねて起こしても「桜坂しずく」としてキマっているのは、キャラとキャストの親和性が高すぎる証明に違いないのかもしれません。

個人的に「オードリー」大好きなんですよね。
シンプルにめっちゃ嬉しかったです。大女優でした。

「MELODY」

すみません。大号泣でした。せつ菜です🎙
せつ菜推しであり、虹ヶ咲のソロ楽曲で「MELODY」が一番好きな人間なので、感情が溢れ出しすぎて最終話の中でも特に涙が止まらなかった場面でした。

たくさん語りたいことはありますが、この楽曲が全てのメディアミックスやアニガサキの世界線を通した「優木せつ菜」「存在証明」で、この楽曲を聴けば聴くほどに彼女のことが大好きになると勝手に思っています。

完全一致とも呼べる芝居が素晴らしかったです。
この表情。吠えました。ありがとうございました。

「開花宣言」

ソロのトリは。やっぱり歩夢ですね🎀
2期の中では掘り下げが少なかったですが、それは1期の中で育んだものがあったからで、前回では侑ちゃんに背中を押してほしい一面が見受けられたものの、「自分自身で選択肢を見つけて決める」ことが良かった。

ある意味では、海外のファンから求められている"新しい蕾"を自分で付け、自らの足で「開花させる」と海を渡る決意は「宣言」とも受け取れるので、今の状況にぴったり合う楽曲を最後に披露してくれて最高でした。

私たち"13人"でスクールアイドル同好会だしね。(☀️)

うん。侑ちゃんもスクールアイドルだもん。(🎀)

侑先輩はもうたくさんの人に、
トキメキを与えられる存在なんですから。(‪💧‬)

ここ。度肝抜かれました。その発想はなかった。

確かに「13人」でスクールアイドル同好会なのは共通認識だったと思うのですが、まさか「侑ちゃん=スクールアイドル」なんて発想はありませんでしたし、最初は少しだけ疑問の方が勝つ台詞になっていました。

ただ、この世界において「トキメキを与える人間=スクールアイドル」と称していることを考えると納得できる気がします。これは勝手な解釈ですが、彼女たちはラブライブに出ないものの、結局はラブライブを冠している作品であることに変わりはないんですよね。

キャッチフレーズとして「みんなで叶える物語」は受け継がれているものであり、それは表の舞台に立つ紛れもない「スクールアイドル」だけでなく、その舞台が成立するように支える裏方、その舞台が輝くように声を届けるファン、その楽曲や振り付けを制作する人間。

それらが全て噛み合うことで「みんなで叶える物語(=ラブライブ)」になるというのなら、その環境において存在する人間を、作曲と表現を司る高咲侑を「スクールアイドル」と呼ぶ形こそ「虹ヶ咲」かもしれません。

それを踏まえて、ここの回収も良かったです。

海外からスクールアイドルをするために虹ヶ咲へ留学してきた嵐珠が、1話では「スクールアイドル」として認識している歩夢に「会いたかったわ」と抱き締めるのが印象的だったと思います。この時点では、嵐珠は侑ちゃんのことを同好会の人間として認識していません。

ただ、最終話では「スクールアイドル」と認識した相手に向けられていたはずの"抱き締める"行動が「侑ちゃん」にも向けられている対比は完璧でしたね。

実際は「スクールアイドル」ではありませんが、嵐珠の中でも侑ちゃんのことを「スクールアイドル」と呼んでもいいほどに「表現者」として確立されたことが証明された瞬間だったと思います。アニガサキすごいっす。

私は歩夢たちみたいに
ステージでキラキラ輝けるわけじゃないし。

同好会の一員としてスクールアイドルが
いろんな人たちに好きになってもらえる
手伝いができたら最高だなって。 

そう思ってた。

だけど…こんなの…。
めちゃくちゃ嬉しいに決まってるじゃん!!

ただ、階段は降りるんですよね。解釈一致でした。

紛れもなく「表現者」として個人を確立した彼女ではあるものの、この階段を降りないままでは「表現者(=表の舞台に立つスクールアイドル)」になってしまうところを、確実に"階段を降りる(=皆と同じような表現者ではない)"ことで伝えてくるのが良かったです。

俯瞰的な引きの構図から、"柱(=支えるだけで満足できると考えていた自分)"を超えずに「手伝いができたら最高だと思っていた」と自身の気持ちにブレーキかけている姿を一旦挟み込んだ後に、今の侑ちゃんが自分を表現したくてたまらない気持ちや「高咲侑」の存在を求められている手紙によって"柱"を超えるのは、まさにここまで「2期が描いた物語」だったと思います。

ここで、俯瞰で映してきたからこそ「侑ちゃんはどんな顔してるのか」って気になるところに、寄りの"満面の笑み"で走り出している侑ちゃんを切り取るって緩急が効果的で、抜群にキマっていたと思います。

また、9話で嵐珠を救うために、全員が同好会として存在する「未来」のために、ミアと栞子が左側へ走り出していたのと同じように、侑ちゃんも「自己表現」をする人間としての新しい「未来」を掴むために、左側へ走り出しているという"向き"も一貫していて最高。

みんなー!! 大好きー!!(🖤)

ファン代表から「高咲侑」を確立したものの、私たちの言葉を代弁してくれるのが「高咲侑なんだよなあ」なんてことを思ってしまうくらいには、あまりにも真っ直ぐな叫びで、感動すら覚えてしまう瞬間でした。

ただ、やっぱりファン代表ではなく、自身の手で扉を開く芝居には「彼女自身が未来を切り開く」ような想いが込められているようにも感じますし、もちろん代弁してくれている気持ちにはなったものの、この言葉は代表としての言葉ではなく、「高咲侑」の自分が溢れ出した結果の言葉に違いないと思えるのが素敵なシーンです。

自分が虹ヶ咲を好きな理由の中に「キャラクターがキャラクターの気持ちとして動いている」があって、メタ的な話をすると、どうしてもアニメは絵に起こすことや脚本が存在するので「スタッフの意思が介入する」気配を感じてしまう時があるんですけど、紛れもなく「高咲侑という存在」が"自ら"動いているんですよね。

きっと「ファン代表(=高咲侑)」としての設定はある程度決められていて、でも物語自体は「ラブライブに出場する」って明確な目標がなく、アプリゲームの設定に若干の制約を感じつつも自由に展開していかなければいけない、なんて難しい始まりから、「高咲侑(=確立した個人)」が生み出されたのは、きっと侑ちゃんという存在が"自ら"走り出したからだと思っています。

自分は創作のそうゆう瞬間が大好きなんです。
そんな瞬間に立ち会えた。2期の意味が詰まってた。

1期13話「夢がここからはじまるよ」

実は1期13話の時はファン代表なので、スクールアイドルたちは侑ちゃんを認識してましたけど、ファンの人たちって彼女のことを確実な認識は得ていなかったと言いますか、画像のように「侑ちゃん(=ファン)」として紛れ込むように一緒に楽しんでいて、周りにいる人間も特別に気にしている様子はなく、馴染んでいます。

さて、2期の最終話に関してはどうでしょうか。

侑ちゃんの叫び声に舞台が一旦止まり、観客たちはザワザワしつつ「同好会の高咲さん…?」「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の高咲侑」「個人」として認識ているから出てくる言葉を発しているんですよね。

間違いなく1期の時はザワザワする側にいたであろう彼女が、「高咲侑」としての存在を得ることで、暗闇の中において"スポットライト"が当たるという絵に描いたような「表現者」らしい照明の演出により、自身の存在を証明する展開にはトキメキが止まりません。

また、その前に描かれていた「手紙」にも各地の人間たちが「高咲さん」という風に「高咲侑」を個人として認識した文章を書いていることから、ファーストライブにいる人間だけでなく、各地の「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」を知る人間が彼女自身を認識したうえで応援している変化は、1期と比べると感慨深いです。

私たちがいるから…!!
元気が欲しい時は会いに来て…!!

前述と変わらず、侑ちゃんは"左側"に歩みを進めることで「未来」を掴み取ろうとする意思に一切の揺らぎがないことを再確認できますし、姿勢や一歩一歩の凛々しさからも成長を感じ取れるのが良いですよね。

最初は「スクールアイドルを好きになってくれる手伝いをしたい」と願っていた人間が、今は「好きになってほしいだけだった対象」を背中に、自分も含めて「私たちに会いに来てほしい」と言えるドラマは強すぎる。

1期13話「夢がここからはじまるよ」

最後の楽曲が始まります。ついに終演が迫る。

舞台上から歩夢が「手」を差し伸べて、冷静に掴んで引き上げてくれるのも成長を感じられましたし、1期13話でも全員が「手」を伸ばして掴むという描写があったように、ここでも同じような演出が組み込まれていることにはもう…「虹ヶ咲だなあ」って語彙が消失。

これ以上はいろいろと考える必要はありません。
終演が迫る、最終話が終わる寂しさが頭の中をチラつくこともありましたが、11話で果林さんたちが乗り越えた時に一緒に乗り越え、彼女たちは乗り越えたうえでのパフォーマンスをしているので、私たちだって楽しむしかないと思うんです。皆は笑顔が一番似合います。

始まります。「Future Parade」が。🌈🌈

虹ヶ咲は新しいことに挑戦し続けていくテーマパークのような楽しさを届けてくれる一方で、アニガサキの強みとしては"演出をアップデートする"が個人的には印象的なものの一つになっています。例えば、せつ菜が鼓舞するために突き出した「拳」を、2期では歩夢がお返しするように「拳」を突き出し、最後はせつ菜が「拳」を振り付けに混ぜ込むといったものが挙げられます。

今回の「Future Parade」はどうでしょうか。
まずは1期と同じように「ライブにおけるソロ楽曲の振り付け」を組み込んでいる点が同じですよね。これは多少のファン向け演出にならざるを得ませんでしたが、ただ単に新しいものを描き起こすより、ちゃんと「ファーストライブ」で披露したソロ楽曲たちを受け継いで繋いでいくっていう、1期の良さが出ていたと思います。

ただ、これだけでは1期と同じどころか若干わかりづらい演出になる一方で、背景が「自分の表現世界=1期のソロパートの背景」になっている要素から、確実に1期の時よりも演出がアップデートされています。

背景に関しては、1期を観ている人間なら誰でも気づくことが可能な演出ですよね。また、1期では「自分らしさ(=ソロ)」をグループの中でも表現するための振り付けギミックと考えるなら、今回における同様の演出はおまけに近いもので、進化した本質は「個々が持つ表現世界をソロパートで映し出すことができる」と解釈できるほどに、彼女たちは「ソロ」としての実力や幅が広がったんだろうなって思えるのが、素敵でした。

もちろん、ソロとしての魅力には「楽曲の違い」「振り付けの違い」など、実力的な部分で個々の違いを楽しめるのが何よりの強みだと思いますが、彼女たちが理想を映し出す「個々の表現世界(=背景)」こそ、彼女たちの特徴だと思うので、それらをグループの中でも表現できるようになったのは、確実な成長だと思います。

1期13話「夢がここからはじまるよ」
2期13話「Future Parade」
2期13話「Future Parade」
2期13話「Future Parade」
「マッチカット」

本来は時間や場所が異なっているのに、
動作が繋がっているように見える映像手法。

この演出は個人的に2期の象徴でした
前述の通り、1期と同じよう「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のタイトルロゴを背景に、個々のメンバーカラーに塗られた中で、それぞれが芝居をしている。

ただ、1期の時は彼女たちの芝居に連続性はなく、1期の物語を「ソロとして自分自身の表現を掴み取る」と解釈するなら、それぞれが"別々の方向(=目指す場所の違う表現世界)"に手を伸ばすのが、物語と非常にリンクしているものになっていると思います。

ですが、2期ではユニット活動や同好会としての「仲間(=ソロ以外)」を意識する部分が増えてきて、気持ちや考え方を合わせるというよりは"共有"する経験を経てきたからこそ、"マッチカットのような技法(今回そう呼んでいいのか怪しい)"によって、彼女たちが繰り出す芝居が"連続性(=繋ぐ , 重なる)"を持つまで進化しているの、個人的には大好きな仕掛けでした。

これも、1期と同じような演出ではあるものの、2期の物語と重ねるようにアップデートしていると受け取れるものであり、台詞だけでなく、映像表現からも彼女たちは成長を続けているのが伝わってくると思いますね。

本当にこのカットも素晴らしいです。大好きです。
観客からは侑ちゃんの姿が見えているかどうか怪しい立ち位置はもちろんのこと、やっぱり「高咲侑=スクールアイドル」と捉えても、彼女が舞台上に表立って歌唱をするなんて日は絶対に来ない。それが何よりも良い。

璃奈ちゃんがボードを外した時だって、外せるようになったから大団円として「表情豊か」まで成長が飛躍してしまうことはなく、他のメンバーよりCGの表情も非常に淡白なものになっていて、「外せる勇気」「実際に表現できること」は区別して描かれていました。

侑ちゃんに関しても同様に、高咲侑は「表現者」の括りとして同じ舞台にはいるものの、「自己表現」自体は完全に交わらず、それらを区別したうえで「虹ヶ咲学園スクールアイドル」「高咲侑」の相互の「夢」が叶えられたであろう"この"瞬間は最高に美しかったです。

締め括りに相応しいライブだったと思います。
こんなに清々しい締め括りが待っているなんて。

全員が「虹色」の背景の中に輝いているような大団円を描写するのではなく、紛れもなく「ソロのスクールアイドル(=自分の色を持つ)」として、自身のメンバーカラーともに汗を流すカットが「虹ヶ咲」らしい。

ただ、侑ちゃんだけは「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のプリズム的な立ち位置から、背景が「虹色」になっているのも大好きです。ありがとうございました。

ライブが終わっても尚、侑ちゃんは「未来」が待っているであろう"左側"へ進みますが、熱量に満ち溢れて駆け抜けていた瞬間とは異なり、一旦落ち着いて、サンダルを履き直すような芝居が混ざり込んでいるのも、ライブが終わってしまったという事実や、また新しい一歩を踏み出す余韻に感じられて、とても好きですね。

目の前に広がる空には「虹」が架かっている。

立ち位置的に、侑ちゃんは「虹」の真ん中に立っているように見えることから、侑ちゃんや同好会メンバーを中心として「新しいこと」が広がり、「虹の架け橋」として活動を続けていくワクワク感を感じられました。

青春として、或いは「虹ヶ咲」の象徴としての「虹」とともに熱量が含まれる"レンズフレア"を焚きつけることにより、終わりを感じる一方で、まだまだ「未来」は続いていくことを汲み取れるのも素晴らしいです。

また、空に「虹」が架かっていることから、「空(=海の向こう)」に渡った歩夢の短期留学生活も「虹色」に輝いているように受け取れますし、これ以上ないくらいの綺麗な構図や展開から、清々しい気持ちで閉幕。

次は…あなたの番!!(🖤)

ここまで、1期では「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会→侑ちゃん」の矢印で「夢」を与えていくことが最終話で描かれていましたが、2期では表現者として確立した自分を手に入れたことで1期の自分に対する役割の全うを告げ、次は「高咲侑→視聴者」の矢印で物語がバトンタッチしていく構成には、言葉が見つかりません。

虹ヶ咲は「画面を飛び越えてくる」と前々から何度も言っていた通り、また、「虹ヶ咲」はラブライブの中でも特に「スクールアイドルとファンの境界線が曖昧」になっている通り、侑ちゃんが境界線を消し去り、最後は画面を飛び越えて「あなた(=視聴者)」にメッセージを残したのは、純度100%の「虹ヶ咲」でした。

素敵な物語をありがとうございました。
本当にあっという間で、楽しい3ヶ月でした
🌈

個人的に好きなところ

こんなに素敵な景色を自分たちも見れるなんて。

せつ菜が最初に侑ちゃんの前でライブパフォーマンスをした時はやや閑散した状態だったこと、そもそも「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」という存在が消えてしまう可能性があったこと、それ以前にアニメ化の話すら無かったということ、様々な背景を抱えた彼女たちが必死に「大好き」を追い続けた先に掴み取った光景。

ここまで駆け抜けてきた歴史が報われたように感じられる景色を拝めただけでも涙腺ピンチ姫ですし、虹ヶ咲の面々は涙を流すわけではなく、単純に嬉しい気持ちが笑顔として出ていたり、成長した末の凛々しい表情をしているのも、個人的には熱い展開だったと思います。

今回の主要スタッフはアニガサキを支えた面々。

本編でもダンスパートでも監督である「河村智之」さんが参加していること、また助監督として何度も貢献してくださった「ほりうちゆうや」さん、璃奈ちゃんやミアのライブ回で虹ヶ咲の知名度を確実に上げてくれた功労者であろう「中山直哉」さん、そしてシリーズ構成から各話数の脚本において素晴らしい物語を描き続けてくれた「田中仁」さん、まさにオールスターでした。

本当に。本当に。本当に。
こんなにスタッフ陣から「愛」を感じることはない。

毎週のように最終話を届け、誰よりも「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」に対する解像度が高く、あらゆる楽しみ方を綺麗に詰め込んで形にする構成には感謝の言葉しかありませんし、アニガサキを通して「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」のことを好きな気持ちが爆発したことは、自分の中では揺るがない事実です。

名前を出して取り上げたのは主要スタッフですが、アニガサキを制作するうえで関わってくださった全ての関係者の方に「ありがとう」と「大好き」を伝えたい。

最終話で一番好きな場所かもしれません。

個人的には「虹ヶ咲」という存在は「ファン」との距離が最も近いと思ってはいるのですが、様々なアーティストのライブ映像であったり、アニメのアイドルコンテンツとしても、"ここまでアイドル以外が映る作品"があるのだろうかって驚いてしまったんですよね。

やっぱり「虹ヶ咲」はビックイベントである「スクールアイドルフェスティバル」が彼女たち以外に、裏方やファンの存在があることで「開催できる」ことを十分に自覚している作品であり、主人公とも呼べる「高咲侑」が事実上のアイドルではなく、ある意味では「作曲家(=裏方)」としてトキメキを届けているため、焦点を当てる範囲が自然と広がる作りになっていると思います。

だから、家族であったり、友人であったり、支えてくれる運営であったり、仲間であったり、拡散されたトキメキを受け取る世界中の人間であったり、世界に存在する全ての人間がフィルムとして切り取られる可能性を秘めていることが大好きで、だからこそ「次はあなた(=不特定多数のトキメキを持つ人間)の番」という言葉で締め括りをすることに、説得力があった気がします。

現実においても、「誰か」を応援するためにペンライトを握っている人間の中に、自分の「好き」を届けるために声を出している人間の中に、十人十色のドラマがあることを改めて感じましたし、そういった方たちの想いを作品を通して知ることができたのも幸せですね。

総括

終わってしまったことは寂しいですが、彼女たち自体に悲しさを覚えることはないという、トキメキと輝きに満ち溢れたパワー全開の「虹ヶ咲らしい」終わり方が自分はとっても大好きで、最高に清々しかったです。

毎週土曜日を楽しみに生活して、虹ヶ咲を大好きと叫ぶ方たちと関わることができて、全話を書き切るということは断念しましたが、自分の解釈を書き綴っては新鮮な感情を残していく日々が本当に楽しかったです。

尋常じゃないくらいの文字数に途中から呆れている方もいたと思いますが、最終話の記事まで、いや一話でも読んでくださった皆さんには感謝しかありません。

最後の虹ヶ咲2期の記事なので、ぜひお話したい!!
リプ, コメント, 拡散を全力でお願いしたいです。
noteの方でも「♡(スキ)」を押すと、愛が広がる。

また、虹ヶ咲の…アニガサキの記事を書きたい。
この「13人」の物語に「13000文字」の文章を届けることを最後に、記事を締めようと思います。

大好きをありがとうございました。響け!!ときめき🌈

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