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2024年冬アニメ5選を振り返る

こんにちは。こんばんは。蕩です。

無事に大学院を退院することができました。
正確には「修了」となるわけですが、やはり大学院は良くも悪くも「退院」と呼んで差し支えない期間だったと感じています。

さてさて、今回もまたアニメ記事です。
ですが、毎クールの中でアニメを振り返る記事を書いたことはなかったようなので、自分の中でも驚いている事に初めての内容となっています。

とは言いつつも、普段と変わらずに自分らしく作品について語っていこうと思っているので、最後まで気軽に読んでいただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします👨🏻
重ねて、どうぞよろしくお願いいたします
👨🏻

①『僕の心のヤバイやつ』

本当に。本当に。本当に大傑作でした。
やはり「斜陽」は名曲。『僕の心のヤバイやつ』。

ラブコメ作品にここまで感情を殴り倒されたのも久しぶりと思ってしまうくらい強い感動を覚えた今作ですが、この「憧れ」と「後悔」の両方を孕んでいる痒い心地よさが本当に素晴らしかったです。

まず「憧れ」については、単純に「こうゆう学校生活を送ってみたかった」と思ってしまうような物語です。結局はラブコメ作品って「妄想の詰め合わせパック」だと思うので、最大限に「憧れ」を抱かせた作品が面白いのかな、という風に私は考えています。

実際に私の学生生活を振り返ってみると、それはそれで友達も恋愛も「楽しかった」と今でも言えるのですが、それとはまた別に、市川が男友達と下ネタ言ったり恋バナをして盛り上がっているの楽しそう、萌子とか堀さんみたいな女友達がいる生活は楽しそう、山田みたいな女の子が相手にいて幸せそうなど、複雑の思考回路を必要とせずに「単純にその作品の世界に憧れてしまう」部分が良かったです。

本題は「後悔」についてですが、市川が足立と騎馬戦で「本音の衝突」を行っている場面であったり、最終話で山田に「好きだ」と真正面から感情の告白をした場面であったり、今作のあらゆる場面に「包み隠さずに伝える」場面が多かったですよね。

彼らも勿論「自分の地位」あるいは「相手の気持ち」を考えて悩む時はありましたが、最終的には伝え合う手段をとっているのが非常に印象的で、そしてその伝え合う場面が私たちの「後悔」を強く認識させる。

全てを言葉にする必要はありませんが、どこか「ちゃんと言葉にしておくべきだった」と思わせてくる部分が苦しく、苦しいのに不思議と温かい気持ち良さを実感してしまう物語が素晴らしかったです。何かこう、単に彼らの成長に劣等感を覚えるのではなく、彼らの成長とともに観測者である「私達も」少しだけ優しい気持ちを育めるような、そんなドラマが大好きでした。

今作は中盤から「子供でいる無力さ」「大人になりたい全能さ」に囚われている姿が印象的だったと思っています。これは誰にでも共感出来るようなテーマで、大人は「子供に戻りたい」とか子供は「大人になりたい」とか、やはりそうゆう取り戻せない理想を抱えて生きているのが人間だと思うんですよね。

個人の見解としては元も子もないですが「大人と子供に明確な区別はない」と言いますか、それに囚われている間は自分の存在が揺らいでいる象徴だと考えています。なので、まあフワッと「自分がそのままの自分であること」を認められた時に自分の存在を確立できると思うんです。

そうゆう意味で、私は市川が劣等感を抱えながら相手に気持ちを当てられる、あるいは最終話のように「自分は山田が好き」「山田に想いを伝えることが自分である」と理解した瞬間の吐露、その後に少し吹っ切れたような凛々しい表情が本当に大好きで、これこそが「大人と子供」の揺らぎに囚われずに「市川京太郎という自分」を確立した場面だったと思うんですよね。

同様に、修学旅行に気持ちを傾かせようと努めていた山田でしたが、自分の「やりたい事(=最終話ならオーディション)」を後押しとともに決断し瞬間、そして後押ししてくれた周囲のみんなをはじめ、特別である「市川」に感情を吐き出す決心がついた時こそ「山田杏奈という自分」を確立した場面だったのではないでしょうか。

なかなかここまで綺麗に成長を描いてくれる作品がないのは勿論、前述した個人的に抱いている答えと似ているようなアンサーが返ってきたと勘違いできて、単純に嬉しかったです。中学生の設定によって言動や行動の痒さに対する印象を少し柔らかいものに、それであって中学生が持つ痒さ故の「真っ直ぐなメッセージ」が最高でした。

ここまで中学生の恋模様に散々と小難しい話をしてきましたが、シンプルに胃もたれするくらい甘くてピュアで仕方ないラブコメを観れたことが本当に楽しかったですし、彼らの今後をまだまだ見続けていたい気持ちに溢れています。

個人的な趣味としては、もっともっと「萌子」の姿を見たいですし、新キャラのカンナとユリネも見たいですし、知りたいキャラが沢山いるので続編をやってくれませんかという欲望。こんな欲望を抱くほどに「魅力的なキャラ」で溢れているのが何より素敵な作品の証拠かもしれません。

作画は面白さを決めるわけではありませんが、今作の愛を感じる画面によって作画はキャラに愛着を持つための「バフ」だということも再認識出来ましたし、それを彩る牛尾憲輔さんの劇伴に再び音楽の良さを感じられるなど、全て含めて素敵なアニメ作品をありがとうございました。

②『ゆびさきと恋々』

非常に良質な恋愛アニメだったと思います。
仰る通りです。『ゆびさきと恋々』です。

この作品は物語が面白いのも勿論ですが、何より全ての要素が「丁寧に」作られている、そんな要素が画面からしみじみと伝わってくる温かさに惚れてしまいました。起伏はあるのにストレスはない内容と構成、何気ない表情芝居、声優さんの演技、全てを包む劇半、物語とシームレスな主題歌、どれを取っても良い作品だったと書きながら感じています。

どの作品でも「キャラに愛着を持てるか」って凄く大事な要素だと思うのですが、恋愛作品は特にその側面が強いと思うんですよね。やはり、現実においても醜い感情が生まれやすく、相手によって素直に称賛できない、むしろ嫉妬の感情を強くする要因こそ「恋愛」だと考えている節があるので、キャラクターを愛せない恋愛作品は正直言って厳しいのかな、なんてアニメを視聴し続けて思うことがたまにあります。

ですが、今作は複数キャラ、複数の感情の矢印を扱いながらも、その全てを丁寧に描写できていたのではないでしょうか(逸臣に苦言を呈す方がいるのもわかります)。勿論、雪と逸臣のストーリーがほとんどを占めていたとは思いますが、最終話の視聴後に「○○の掘り下げが足りていなかった」みたいな感想を抱かない程には満遍なく、そして温かみのある描写によって愛着を持てたのではないでしょうか。

正直言ってニヤニヤするカップリングは「りんと京弥」と「エマと心」なんですけど、特筆すべきキャラは「桜志」だったと思います。彼は、雪と会話するために手話を覚える純粋さを持つ一方、その手話でとるコミュニケーションには素直になれないといった可愛い奴でしたが、あまりにもピュアな負けヒロイン属性を背負っていて最高でした。

さて、恋敵である逸臣と桜志との違いは何だったのだろうかという問題に辿り着くわけですが、私は何となく、それは相手が「雪だったから」に尽きると思うんですよね。当たり前だろと言われればそうなんですけど、聴覚に不自由がある故「知っている世界が少ない(=限定かつ抑圧的な環境)」彼女にとって、やはり「様々な世界を知りたい(=自由で開放的な環境)」想いが生じるのは自然な話なのかなと、憶測で語ることにはなりますが。

何と言っても、桜志は雪と手話をしている時間を「自分たちだけの暗号」と表現していたのが証拠で、もし現状の彼と付き合っても、雪にとっては世界があまり広がらないように感じるわけです。なぜなら「自分たちだけ(=限定)」と捉えることができるからです。

ですが、逸臣は国際的な背景は勿論のこと、世界は広いことを見せ、そのうえで「どこに行きたいか」を委ねて共に楽しんでくれる人間なので、雪の背景を考慮すると「当然の話かもしれない」と思える感情の形成が良かったです。

個人的には、桜志のような相手と付き合う方が幸せになれそうな気がしてしまいますが、この『ゆびさきと恋々』という作品において、そして「雪」というひとりの人間にとっては「逸臣」が感情を強く動かされる相手だったんだろうな、と納得できて面白かったです。

冒頭でも書いたことですが、やはり最後に語りたいのは「起伏はあるもののストレスはない物語」についてです。この作品に抱く感想としてなかなか稀有だと思ったのが、主要キャラたちに「おい!何でそこで言わないんだ!」とか「何でそうゆう発言するんだ!」みたいな、どうしてもツッコミをしたくなる場面がほとんどなかったんですよね。

これは主観ですが、やはり主題の真ん中に「耳が不自由」という、既にコミュニケーションを円滑に進めづらい属性を抱えているわけです。なので、あまりにもテンプレ的な焦れったい展開を差し込むと更に円滑さを損なうだけでなく、より「耳が不自由」という属性をネガティブなものとして刷り込んでしまう可能性もあると思うんです。

だからこそ、面白さ、そして影響的にも無駄を省いて「ただひたすらに恋模様を楽しめる物語」として観れたのが本当に良かったです。心臓が苦しくて吐きそうになるほどのキツイ展開はないので、胸が締め付けられすぎずに観れるという点でも「ストレスはない」に該当するのかもしれませんね。

最後まで綺麗な物語だったと思います。何かこう、非常に綺麗な短編小説を読み終えたような気持ちというか、更に言うなら、短編小説の最後のページを読み終えて本をパタッと閉じた時に覚える特有の満足感のような感覚を味わえた作品だったということを最後に締め括ります。

③『薬屋のひとりごと』

安定した「面白さ」が其処にありました。
続編おめでとうございます。『薬屋のひとりごと』。

この作品は正直言って「韓国の時代劇ドラマ(=舞台は中国)」のアニメ版と称しても過言ではないと、韓国の時代劇ドラマが昔そこそこ好きだった身として思うのですが、確実に実写よりも取っ付きやすい雰囲気が人気になる要素だったのではないだろうか、と書きながら考えています。

例えば、このような歴史系の作品において切っても切り離せない「言語(=言葉遣い)」に関して、想像よりも現代に寄せているのが印象的であり、若干の違和感を覚える面も序盤にはありました。

ですが、そのおかげで、猫猫をはじめとした宮廷内のキャラクターに「厳そか」というフィルターを取っ払うことが出来、中盤から終盤にかけては時代劇ドラマでありながら、普通の深夜アニメ作品と同じような目線で観れたと思います。

また、少しだけ偏見を投入しますと、こうゆう「中国・韓国」の文化がメインとなる作品は女性に人気を集める(韓流ドラマの女性人気)傾向があり、男性はそこまで面白さを見出さない印象(偏見)を持つ中で、露骨かつ指数関数的に壬氏との恋物語が始まらず、あくまで「宮廷内(または花街)の問題」に取り組むスタイルが作品の本質的な面白さを示すことに繋がったのかもしれません。

先程に「取っ付きやすい」とは書きましたが、そのマイルドな雰囲気の裏側には「当時の文化的違い(=現代と比較して恐怖)」を感じさせながらも心の何処かで「良い」と思ってしまう物語が良かったのではないでしょうか。いや、良かったです。

私は、個人的に最終話付近の「羅漢が鳳仙を身請けする」や「李白が梅梅を身請けしたい(=自分の金で手に入れたい)」場面が好きでした。

昨今はやはり権利や金銭を餌とした「搾取」が問題であり、非人道的な「問題」であることに反論の余地はないのですが、今作においての「金が左右する純粋な恋愛感情」というのは非常に「健全なもの(に見える)」だな、と感心してしまうところがあったんですよね。

現代の感覚では人間に「金銭が絡む商品価値」を付けるのはタブーだと思いますが、今作では妓女が「自身をひとつの商品」として誇りを持ち立場を優位に運ぶ一方、資産があれば「誰にでも買われてしまう」というデメリットを抱えているバランス感覚が凄く生々しい。

そのデメリットから「解放してあげたい」あるいは単純に「自分のものにしたい」という感情に従い、意中の妓女を幸せにしたい一心があるからこそ有無を言わずに「金を積む」という構造が物語として非常に魅力的でした。

実際には良くない構造ではありますが、複雑に絡み合う矢印や出来事を振り払って、基本的にはシンプルな「好意」と材料としての「金」だけで成り立っているが故にその「好意」というものが非常に強烈で愛おしく描写されることもあるのだなと、時代背景(=当時の文化であるという潜在的な認識が成す許容)による要素は大きいですが、凄く新鮮であり、金と恋愛感情を絡めてここまで綺麗に描ける稀有な作品だなと思います。

また、猫猫の知識を十分に活用した「原始的な謎解き」もやはり面白さに一役買っていましたね。近未来的な捜査とはまた違った「知識があるからこそ解明できる」というワクワク感は素晴らしいですし、これもまた前述の「当時の文化であるという潜在的な認識」に基づくかもしれませんが、こうゆう積み重ねがあって現代に活きているんだろうな、といった勝手な歴史のノウハウを感じられて良かったです。

それで言うと、各時代(現代も含む)が持つ根拠のない「流行り」「花言葉」に関しても、当時の宮廷という厳格で煌びやかで文化的な認識を持って観ていると、邪念のひとつもなく「綺麗な花言葉だな」とか「そうゆう流行りにきっと心が呪われてしまうんだろうな」と思えてしまう、やはり何かそういった許容が成す感覚が新鮮で私の中には刺さったのだと思います。

続編おめでとございますということで、最後にまた話は戻ってしまいますが、というか前後してしまって申し訳ないのですが、言葉遣いもほどほどに「デフォルメ調」をはじめ表情が非常に柔らかくて豊富であることから「視覚的にはマイルド」に視聴者の心を掴みつつ、その掴んだ心によって視聴を続けた結果「内容は残酷で興味深い」ようなバランスが良かった作品だと、改めて感じます。

④『ダンジョン飯』

やはり『ダンジョン飯』は外せません。
厳密に言うと、放送中の作品ですけど。

私は原作から読んでいる身ではありますが、まず何と言ってもアニメ化の素晴らしい要素は「テンポ感」だと思っています。原作は九井諒子先生の無限大な創造力が織り成す「膨大な設定量」がひとつの魅力となっていると思うのですが、それを丁寧に描写していくと、どうしてもアニメの尺では間延びして面白さを伝えることが難しい気がします。

ですが、その「膨大な設定量」も必要十分条件を満たす程度に差し込みつつ、キャラクターの芝居や物語の進行速度(=テンポ感)を重要とする事で「視聴者の興味を飽きさせない作り」が確実に出来ていたのではないでしょうか。

原作通りでは退屈、反対に原作との差別化で迷走して期待外れになってしまう作品がどうしても多くなっている昨今、このように「原作の良さを反映しつつもアニメの良さが溢れている作品」に出会うことができて嬉しい限りです。

さて、例外なく、作品というものには「リアリティライン(=作中で発生しても違和感を覚えない事象の線引き)」があるのですが、今作は本当に『ダンジョン飯』という世界において、また『ダンジョン飯』という世界に登場する「各キャラあるいは各種族の思想と行動」が常に説得力を持ち続けているのが、非常に素晴らしい部分だと思います。

例えばですが、極端な話で、ロールプレイングゲームで「魔法使い」が剣術や拳を使用した物理攻撃を得意としているのならば違和感、日本の時代劇作品で現代用語を使っているものは違和感、ルフィが仲間を見捨てようとするなんて違和感のように、私たちは各対象に「こうゆうものだろう」といったイメージを抱いているわけです。

今作において、ライオスなら「魔物」に対する異常な執着心とその思想に付随する好奇心に忠実な行動力、マルシルなら「魔法」に対する絶対的な信頼と強引さ、チルチャックなら「仕事」に対する徹底っぷりと流儀、センシなら「食事」に対する拘りと生態系への貢献など、簡単に主要人物のキャラクター像を挙げてみるだけでも満場一致な特定の「ロールプレイ」を遂行し続けているんですよね。

私は作品に抱く面白さの要素として「没入感」が重要だと思っている前提を置いておきますが、この忠実なロールプレイによって「○○がこうゆう行動(=あるいは思想)するだろうか?」という疑念、言わば「ノイズ」を排除することによって滑らかに、そして深く深く『ダンジョン飯』という世界に入り込めた事が大きいと考えています。

また、その『ダンジョン飯』という独自の世界を提示する要素には、生物種あるいは生態系の詳細な設定があるのではないでしょうか。

これも例えばの話にはなりますが、私達は、ドキュメンタリー番組などによって、伝統的な文化で生活する人間たち(アフリカ圏等)を見て「民族」という独自の世界をスッと認識して理解すると思います。また、その生活圏に生息している日本では見ない不思議な生物を知っては「こうゆう生物がいるのか(=存在していても違和感ない)」と、見たこともないのに認めて理解してしまいますよね。

この感覚も、先程のロールプレイ的な面に抱く「こうゆうものだろう」といった考えの延長で、そんな彼らが生きている『ダンジョン飯』という世界では「こうゆう生物あるいは生態系がいるのか(=存在していても違和感ない)」と、独自の世界として認識してしまうほどの説得力が素晴らしいと思います。

そして、その説得力を生んでいる理由こそ「宝虫」のリアリティある生存戦略であったり、ダンジョン内の生態系が崩壊により個体数の変動または生息地の変化が生じたことであったり、可食部や部位ごとに嗜好が変わる調理・食事であったりと、前述した「膨大な設定量」とその描写に帰着するのではないでしょうか。

さてさて、若干の面倒な文章を書いてしまったことに後悔を覚えていますが、ここまでお話した世界観構築と膨大な設定量をアニメ版では「過不足なく」描写して端的に視聴者に刷り込んでいく、そんな構成が本当に素晴らしかったですね。

また、当初は制作会社との相性に少しの疑問を抱いていたものの、特有のケレン味ある作画や表情芝居が「アニメならでは」の躍動感や爽快感を生み出すものに繋がっており、ダンジョンには欠かせないアクション描写が堪らないなど、化学反応的な面白さが生まれていて本当に大満足です。

このまま後半戦の話数もぶっ通しで放送するらしいので、マルシルとチルチャックを見て癒されながら、私もこのまま『ダンジョン飯』というひとつの世界にワクワクしたいと思います。

⑤『葬送のフリーレン』

この作品を選出しないわけがない。
素晴らしかった。『葬送のフリーレン』です。

何が素晴らしかったのかと問われれば「全て」と答えてしまう程に完成度の高い作品だったと思います。私はこちらも原作を読んでいるのですが、まずは原作と差別化を図る「アクションシーンの充実さ」が顕著だと思っていて、原作では比較的パパっと終わってしまう戦闘シーンの「密度」「奥行」を想像以上に生み出している点が最高でした。

福士班の安定感が故に達成できた「全編が高品質のアニメーション作品」であり、キャラ芝居ひとつを取っても素晴らしいことに違いないのですが、そんな今作でも戦闘シーンでは「おお!」と露骨に心が昂ってしまう画面が多かったですよね。

ページを読み進めていく中で「物足りない」と感じることはなかったのですが、やはりアニメでは「魔法が無限大に可能性を秘めるファンタジー作品なんだ」「誰にでも」提示するような作りになっているのが個人的に好みでしたし、私たちが「剣と魔法の物語」に対して当たり前のように抱く憧れを余すことなく叶えてくれている画面が大好きでした。

では、物語の良さについても触れていきたいのですが、これはもう誰でも納得してしまう程に「道徳の教科書」を走り続けていることだと思います。全編のあらゆる場面ということではなく、何かひとつの場面、あるいは「たった一言」が貴方の心の中に響いて消えなくなっているのではないでしょうか。

そう思った時に「なぜ広範囲に響くのか」を考えてみたのですが、個人的には「各キャラがそれぞれ自分の意志で自分の人生を生きているから」に尽きると思います。一概には言えませんが、作品にはそれぞれ特有のメッセージ性(=作者の意志)が込められており、それは物語の展開やキャラクターの台詞に託すなど多種多様です。

この「作者の意志(=作者の存在)」が非常に重要な要素だと思っていて、例えば、視聴している中でキャラクターのスッと入らない自己啓発発言が紛れ込んだ時に「作者が見える」とか思ってしまうと何も響かないんですよね。現実でも、自分の言葉ではないような発言をする人間に違和感を覚えるのと同じ感覚です。

ですが、今作はそれが全くありません。なぜなら、前述したように「各キャラがそれぞれ自分の意志で自分の人生を生きている」ことを貫き続けている物語になっているからです。先程の『ダンジョン飯』でも似た話をしましたが、各々が「言うであろう(=違和感のない発言)」「考えるであろう(=違和感のない思想)」ことに筋を通して物語が進む、これが本当に素晴らしかったです。

ちなみに以前の記事でも書きましたが、私が今作で好きな思想はハイターやアイゼンの「そうゆう風に考えた方が都合がいい」というもので、フリーレンの役に立つのか曖昧な魔法収集も、デンケンが今更になって妻の墓参りをしたいという欲望も、彼らにとって「都合がいい」から目指しているものですし、これも其処に「噓が見えない(=彼ら自身の人生として違和感がない)」という説得力のもと、やはり良い考え方だなとしみじみ思います。

さて、彼女たちの物語は続いていきますが、続編を強く感じさせる展開作りも特になく「このまま物語が終わってもかまわない」と思ってしまうほどに綺麗で、余韻の残る最終話であったことも非常に良かったです。

前述したよう、やはり「心にじんわりと残る」ような場面が多い作品だと思うので、その残った言葉や物語について再びゆっくり考えることができるような、その時間を自然と与えてくれているような構成に感謝の気持ちでいっぱいです。

とは言ったものの、確実に続編がある作品だと思うので、いつか訪れるであろうその日を楽しみに、彼女たちの淡々とした旅にまた合流するその日を楽しみに、今は余韻に浸って作品に対する想いを深めていきたいことを残して、今回の記事執筆を閉じてみようと思います。

総括

皆さんの好きな「冬アニメ」は何だったでしょうか。
春アニメが始まってしまいましたが、是非聞きたいです。

春アニメはかなり前評判の高い作品が集っているので、ついに始まってしまった社会人生活と相談しながら観ていきたいと思ってますし、記事に関しても可能な限り更新を続けたいと思っていますので、どうかどうかよろしくお願いいたします。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

可能な限り記事は更新したいですが、そのモチベーションは読者の皆様のおかげで保つことが出来ると強く宣言します。

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では、次回の記事でお会いしましょう。
春アニメも楽しんでお過ごしください。




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