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映画感想 ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り

 どこか懐かしい、ファンタジー・エンタメ作品。

 『ダンジョンズ&ドラゴンズ(D&D)』の歴史は長く、今もって現代の創作史において重要な位置づけにある。
 私たちが「ファンタジー」と呼ぶものの元素的イメージは、第1にはJ・R・R・トールキンによる偉大なる創作『指輪物語』が原点であるが、もう1つ原点と呼べる作品が『ダンジョンズ&ドラゴンズ』だ。
 歴史の始まりはゲイリー・ガイギャックスが失業中だった1970年代頃に、仲間内で作ったゲームが元になっていた(もちろんこの時、ゲイリーは『指輪物語』を創作の参考にしていた)。元々のゲームタイトルは『ザ・ファンタジー・ゲーム』で150ページのルールブックとして発表しようとしたが、当時は「ロールプレイングゲーム」という言葉が世の中に存在せず、しかもオイルショック直後の不況だったため、誰も出版を引き受けるところはなかった。
 その後、この作品は娘(妻という説もある)の提案で『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と改名され、本を出版するために『スタディーズ・ルールズ』という会社を立ち上げられ、1973年のゲームイベント『EasterCon』において発表。ここでなかなかの評価を得たことを切っ掛けに自信を深め、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は本格的に商業出版することになる。
 こうして『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は1974年に正式発表され、発表されると同時に大ヒットを記録する。しかし初期はあまりにもルールが複雑でわかりづらかったために、その後何度も改訂版が出版される。それと同時に様々なデザイナーが『D&D』のルールを元に新しい世界観をどんどん発表し、『D&D』は一つの世界観や一つの物語だけのものではなく、多様で重層的なものへと発展していった。
 日本でも1985年頃から『D&D』が翻訳され、『メディアワークス時代』『ホビージャパン時代』『ウィザーズ・オブ・コースト時代』と様々な時代を通して、様々な物語が発表されていった(私個人的には「リプレイ」に親しんでいた)。この流れはその後も続いていて、今も『D&D』を元素にした新しい世界観と物語は生み出され続けている。
 この『D&D』をデジタル上で再現しよう……その試みから生まれたコンピューターゲームが1979年『ウルティマ』と1981年『ウィザードリィ』である。この2作は『D&D』だけが原典というわけではないが、影響と見られる箇所は多く、重要な元素となったのは間違いない。

 しかし『ウィザードリィ』も『ウルティマ』もコンピューターゲームに馴染みのない人からすればとっつきにくい、難しい、わかりにくい……という部分が多かったため、日本でこの2作を誰でもわかりやすい形に手直しして発表された。これがゲーム史における重要な1本、1986年『ドラゴンクエスト』である。
 『ドラゴンクエスト』を切っ掛けに「ロールプレイングゲーム(RPG)」は世の中的に広まっていき、その世界観が普遍的共有イメージとして定着し、そして現在、様々なファンタジー作品の元素となっていった。今、創作の世界にはありとあらゆるファンタジー作品が溢れかえっているが、原典を辿ってみると『ドラゴンクエスト』があり、その前には『ウィザードリィ』と『ウルティマ』、さらに遡ると必ず出てくるのが『D&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)』だ。その『D&D』の前には偉大なる始祖『指輪物語』が出てくるわけだが。

 その『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の映像化は2000年に一度試みられている。それがコートニー・ソロモン監督の『ダンジョン&ドラゴン』だ。この作品は制作費4500万ドルに対し、興行収入は3300万円……と制作費すら回収することができなかった。映画批評集積サイトRotten tomatoを見ると、批評家による肯定評価9%。オーディエンススコア20%という、かなり散々な成績だ。
 しかしどういうわけか、この映画はシリーズとなり、第3作目まで制作されていた……らしい。私はこの第1作目は見ていたが、2作目と3作目が存在していたことを今回初めて知った。最初の1作目がそもそも不評だったから、2作目3作目の評価も推して知るべし。そもそも、どうして評価もされなかった赤字映画が3作目まで作られたのか謎である。

 かなり前置きが長くなってしまったが、こういう長い歴史を経て、ようやく辿り着いたのが今回の作品。2023年の映画『ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り』ということになる。
 ところがここからのお話しも長い。もともと2013年5月に映画『D&D』をリブートする……という発表があったが、その発表の2日後、ハズブロが「映画をユニバーサル・ピクチャーズで共同制作しようとしている」ことに対し訴訟を起こす。この訴訟は2015年にハズブロを映画の制作に加えることで和解。
 ようやく映画制作がスタートしたが、実際の制作はまったく進まなかった。この後、脚本と監督が何度も入れ替わり、ジョナサン・ゴールドステインとジョン・フランシス・デイリーに監督が本決定となったのが2019年。ジョナサン・ゴールドスタインは監督、脚本家で、『スパイダーマン:ホームカミング』で脚本を担当。ジョン・フランシス・デイリーはコメディ俳優であり、脚本家だ。
 それからやっとこの2人による脚本制作が始まり、実際の制作が始まったのは2021年4月……。あまりにも長い紆余曲折を経てようやく……だった。映画制作までのお話しがあまりにも長いので、ざっとまとめただけでも、こんなに長くなっちまったよ。
 本作の評価は、映画批評集積サイトRotten tomatoを見ると、313件のレビューがあり、肯定評価は91%、オーディエンススコアは93%。評価は極めて高い。Googleでざっと検索し、いろんなレビューを見たが、本作を悪く言う人はほとんど見かけない。
 が、制作費1億5100万ドルに対し、世界興行収入2億800万ドル。宣伝などの費用を足すと、損益分岐点にすら届かなかった。評価は極めて高いのに、興行的に恵まれなかった……不遇の作品となってしまっている。

 前置きが長くなったが、前半のストーリーを見ていこう。


 そこは凍てつく大地にひっそりそびえる監獄・レヴェルズ・エンド。周囲四方八方雪原に囲まれた、脱出不能の監獄である。その日、恩赦審議会に2人の囚人が呼び出されていた。元・吟遊詩人で盗賊のエドガン・ダーヴィス。バーバリアンのホルガ・キルゴアだった。二人はなぜ投獄されるに至ったか、なぜ盗みを家業にするようになったか、それを語りはじめる……。
《以下読み飛ばし推奨》
「このたびは議長と審議会の方々に感謝します。私、エドガンがどうして盗みを家業とするようになり、ここに投獄されるに至ったかをお話ししたいのですが……ジャーナサン審議員は? 嵐で遅れる? 彼を待つべきではありませんか。私の話をわかってくれるのは彼だけです。どうしても彼がいないと……。話さないなら棄権? ああ、いえいえ、話しますとも。もう何年も前になりますが、私はハーパーズっていう組織の一員でした。ハーパーズは圧制者から人々を守り、見返りを求めない集団でした。妻のジアは危険を承知で私を支援してくれました。昼は酒場のならず者の話を盗み聞きし、そいつらの悪事をくじき、夜には妻と娘のキーラのもとへ帰りました。……ところでジャーナサンは? まだ? ああ、話を続けます。しかしハーパーは危険な仕事でした。ある夜、私はいつもの仕事を終え、自宅への道を歩いている途中でした。そこで不穏な一団をすれ違いました。見覚えがあります。レッド・ウィザードです。かつて私が逮捕した危険な連中だったのですが、いつのまにか牢獄を出ていたのです。まさか……私は急いで家へ帰宅しました。妻の体はすでに冷たくなっていました。それからは娘との生活が始まったのですが……数ヶ月、まともな生活すらできませんでした。そんな時に出会ったのがホルガです。ホルガは私に……ではなく幼い娘に同情して、面倒を見てくれるようになりました。ホルガもまたどん底の暮らしをしていて、私たちは似たような境遇の者同士、兄弟同然のようになりました。しかしお互いに金もなく、これからどうしようか……そんな時、閃いたのです。強盗です。私たちは金持ちの家ばかり狙い、金品を得ました。そうこうしているうちに、仲間もできました。半人前魔法使いのサイモンと、詐欺師のフォージです。この2人が入ってきてくれたおかげで、大きな仕事もできるようになりました。間もなく私たちはこの界隈では知られる盗賊一味になっていました。するとソフィーナっていう魔法使いが私たちに依頼を持ってきました。私たちにとあるものを盗んで欲しい……と。それはハーパーズの砦で、ハーパーたちが逮捕した悪党から押収した宝が保管されている場所です。その砦の中にある宝がソフィーナのお目当てだったのですが、私にとって古巣でございますから、そんな場所を狙いたくない。しかし、フォージからその砦には“蘇りの石版”ってやつがあるって聞いて気が変わりました。その“蘇りの石版”ってやつがあれば、死んだ人間を1人だけ生き返らせられるらしいのです。私たちは砦に潜入し、間もなく目当てのお宝を発見しました。ところが簡単なトラップに引っかかりました。脱出しようとしたのですが……ソフィーナが“タイムストップ”の魔法を使ったために私もホルガも宝物庫で動けなくなり……そしてこうやって逮捕されたわけでございます。ところでジャーナサンは?」
 ここでようやく鳥人間のジャーナサンがやってきて、エドガンとホルガはジャーナサンを羽交い締めにして窓から脱出! あやうく地面に激突しかけたが、ジャーナサンがギリギリのところで滑空し、地面に着地。
 脱獄成功だ! エドガンとホルガは、2年ぶりの自由を謳歌する。
 すぐに古里の村に戻るが、娘の姿はない。家はもうずっと誰も住んでいなかった様子だった。
 娘はどこに行ったのだろうか……。途方に暮れていたところに、フォージが領主になっていることを知る。あの詐欺師が領主だって!
 会いに行くと、宮殿で娘のキーラと再会。キーラは2年間、ずっとフォージのもとで暮らしていたということだった。
 フォージと会い、話を聞くと、彼はキーラを引き受けてから「心を入れ替えた」、という。キーラのためにあの時の宝を資産に政治活動をはじめ、現在の地位を得ることができた。支援してくれたのは魔法使いのソフィーナだった。キーラは今や実の父親よりもフォージに愛着を持つようになっていた。というのも、キーラはフォージから嘘を吹き込まれていたからだ。エドガンは「金の石版」のために自分を捨てたんだ……と。
 フォージはエドガンとホルガを逮捕し、投獄しようとする。どうにか脱出したエドガンとホルガは、フォージ打倒、娘キーラの奪還の作戦を練りはじめるのだった。


 ここまでで30分。  む? 行替えなしの説明台詞がえんえん続いて読みづらい? 実際の作品もこんな感じなんだよ。雰囲気を再現しようとすると、こんな感じになるんだよ。
 読みづらかったら、飛ばしていいよ。たいしたこと書いてないし。

 あらすじが読みづらい……っていう話はさておき。
 前半30分……実はあんまり面白くないんだ。これがこの作品の損しているところ。冒頭は説明的なシーンがざーっとあるだけ。映像が美しいわけでもないし、セットや衣装ははっきりいってチープ。特撮やメーキャップのレベルも高いわけではない。映像で惹きつける要素が薄く、台詞で面白くしようとはしているけど、うまくいっているような感じがない。
 いまいちかな……ところが面白くなるのはここから。ややスロースタート気味だが、じわじわと確実に面白くなっていく。細かいところを見ていこう。

 映画の前半、いまいちかな……と思ってしまうのは、絵の弱さ。こちらは主人公エドガンの自宅だけど、まずパッと見の造形がいまいち。周囲の風景を見ても、いかにもその辺の森を切り開いて、セットを作りました……という感じ。風景と調和していない。質感が作り物くさい。やっぱり造形が美しくない。

 お城入り口の風景だけど、この場面もなんとなく嘘くさい。情報量を上げるために、とりあえず衣装を着た人たちを一杯歩かせた……という感じ。妙に薄っぺらい描写だし、絵としてのまとまりを感じない。映画で出てくるのは数秒だけど、その数秒だけでも描写が嘘くさいっていう気がしてしまう。

 物語の合間にちょっとかっこいい感じの風景描写があるけど、こういうファンタジー映画に詳しい人が見ると「あっ!」ってなるよね。構図から風合いまで『ロード・オブ・ザ・リング』のパクリ。

 出演俳優たちもことごとく微妙。主演もいまいちパッとしないオッサン。誰だ、このオッサン? 主演のクリス・パインは2009年からの『スタートレック』シリーズでカーク船長を演じている。『ワンダーウーマン』ではダイアナが最初に会う人間であるスティーブ・トレバーを演じる。
 そう言われれば見たことあるような気がするけど……。

 パーティメンバーのなかの紅一点といえばドルイドのドリック。可愛いといえば、可愛いけど……いや、微妙。

 ファンタジー映画の見所といえば、特撮&VFXだが……こちらもさほどクオリティは高くない。こちらのシーンは、バーバリアンのホルガが、かつての恋人である小人のマーラミンに会いに行く場面(ホルガはどうやら“小さい人”が好きという性癖らしい)。見るからに合成。周りと密度感が合ってない。

 こんな感じに、前半30分くらいは「いまいちなファンタジー作品だなぁ」……という印象。映像には既視感があるし、そのうえに画として美しくない。コメディ的な台詞もうまくハマっている感じがしない。設定考証もしっかりやっているように思えず、描写の一つ一つにリアリティを感じない。
 しかし席を立つのは待って欲しい。ここからじわじわと面白くなるのだ。

 こちらのシーンは間違えて逆さまに掲載したのではなく「重力反転魔法」を使った瞬間。要するにセットを天地逆転させて作りました……と。ただそれだけで、面白い画になっている。
 前半部分を脱すると、急に創意に溢れた魔法場面が次々と登場するようになる。これが見た目が楽しい。「なんだそれ?」という変な魔法が出てきて、それがもたらす映像がシュール。間違いなく『ハリー・ポッター』シリーズよりも意外性がある。『ハリー・ポッター』は昔から語られる魔法や妖怪を、いかに『ハリー・ポッター』らしく翻訳するか……だったが、本作『D&D』はどれも見たこともない、この作品独自のオリジナル魔法ばかり。「ああ、これは見たことない」と思わせるものばかり。
 たぶん、前半30分は設定やあらすじを解説しなくてはならないから、あまりトリッキーな演出が使えなかったのだろう。前半30分のうちの半分は、オッサンの語りだし……。退屈な30分を抜けると、急に視界が開けたように作品が面白くなる。本作の良いところはここから。

 みんな大好き「死者との問答」シーン。日本語吹き替え版では有名声優たちが集められた。
 物語作りは、極論を言うとあらすじさえ解説してしまえばいい。しかしそれでは見る人の情緒に訴えかけるものがない。だからそれぞれのシーンをピックアップして、膨らませる。物語作りはある意味、見ている側の手間を取らせているもの……である。その膨らませた物をいかに面白く、かっこよく、もの悲しく語れるか……。そこで物語の良し悪しが決まってくる。
 で、この死者との問答シーンは、改心の場面。このシーンは、ただ情報収集のために死体を蘇らせて尋ねる……というだけのシーン。真面目に撮るとそんなに面白くなるような場面ではないし、そもそもなんでそんなことが可能なのか、という前提も提示されていない。が、めちゃくちゃに面白くしちゃってる。ある意味では、無駄な膨らませ方、無駄に尺を取っている……といえるのだけど、それでも時間を割かせる価値があるシーンに仕上げている。

 私のお気に入りは地底に出没したデブドラゴン。なんでこんな食料が限られているような場所に、カロリーオーバーのドラゴンがいるんだよ……というツッコミはさておき、このデブゴンの“動き方”が面白い。ドラゴンはいろんな映画にいろんなふうに描かれてきたが、こういう動き方をするドラゴンは今までなかった。設定的にいってこんな場所にデブゴンがいるのはおかしいのだが、描写の面白さで、「そんなツッコミいいだろ」といえるだけのものになっている。
(細かいカット割りは、やっぱりピーター・ジャクソンのパクリっぽいのが残念だが)

城からの脱出シーン。VFXはいまいち……と書いたけれども、時々「おっ!」といえるすごいシーンが出てくる。チープなのか凄いのかどっちだよ!

 他にも面白いシーンは一杯一杯あるが、ネタバレになるのでここまで。この面白さは本編を見て確かめてほしい。2時間ちょっともある映画だが、見ていて損はない楽しい映画だ。
 ただし、すでに書いたように、映像がすごい作品ではない。最近のファンタジー映画に期待される物は、「すごいCG」とか「かっこいいクリーチャー」といったものだと思うが、そういうものはない。全体を通してB級感。どのシーンも一歩引いたチープ感。妙な手作り感がある作品だ。
 私がこの映画を見ていて感じたのは、80年代から90年代くらいまでにたくさん作られていたハリウッド・エンタメ映画。『グレムリン』とか『トレマーズ』とか『バック・トゥ・ザ・フィーチャー』とか初期の『インディー・ジョーンズ』とか……。今時の「凄い!」「かっこいい!」映画ではなく、あの時代にあったエンタメど真ん中な作品。陳腐な脚本に、安っぽい設定。出てくるのはその映画でしか見ないようなB級俳優ばかり。所詮は商業的に作られた作品に過ぎないけど、でもやたらと楽しい……そういう作品を思い出せる。むかし見た安っぽいけど楽しいハリウッド・エンタメがいきなり今の時代に蘇ってきた……そんな感じだ。絶対に嫌いになることができないタイプの映画だ。

 ファンタジー映画なのに、見所となる「凄いシーン」や「かっこいいシーン」はないけれども、一方で登場人物それぞれの心情と成長はきちんと描けている。やはり物語の核はVFXではなく、情緒。バカみたいな描写がほとんどだけど、一方で感情の掘り下げがうまくいっているので、後半に向けて共感できるようになっている。その共感を、最後にはいいところに高めてくれる。こういうところも、昔のエンタメ映画っぽい。こういう映画は見ていると愛おしくなる。

 キャラクターの描き方だが、キャラクターの前に必ず《職業》が設定されている。主人公は吟遊詩人。こちらのキャラクターはパラディン。その職業らしい性格、振る舞いをするように描かれている。こういう描き方は、RPGが広まった以後の今時らしい。『指輪物語』は古くから伝わる神話や民話がベースだから、「歴史とファンタジー」の端境のような描かれ方だったが、『D&D』はみんなが親しんでいるRPGベースのファンタジー。現代の「異世界ファンタジー」を好む人には親しみのあるお話しのはずだ。

 やはり惜しいのはこの作品があまり売れなかったこと。作品を見た人の評価は高い。すでに書いたように、この作品を悪く言う人はほとんどいない。なのに、商業的には成功しなかった。制作費の回収はできたけれども、宣伝費用その他諸々を足すと、どうやら赤字らしい。微妙な売れ方だったせいで、続編の話はないそうだ。
 どうしてこうも不遇の作品になってしまったのか……それはやっぱり見た目がダサいから。ぜんぜん今時じゃない。かっこよくもないし、洗練されてもいない。予告編で見ても出てくるのはB級感丸出しのチープなシーンばかり。映像が弱い。これがこの作品の究極的な弱点。
 実際の作品を見ても、映像で惹きつけるシーンが前半部分にないから、最初の方はさほど面白くない……というのは事実。ここで損をしている。
 こうなったら、ホームエンタメだ。最近はDVD・Blu-rayも売れない時代だから、みんなで配信を見るんだ。配信で再評価されたら、続編が動くかも知れない。そっちに期待しよう。

 ただ、視聴する場合は、オススメは日本語吹き替え。というのも、字幕だとどうしても「言い回しの面白さ」が伝わらない。ギャグで言っているシーンも、シリアスなシーンのように感じられてしまう。言葉の面白さを体験するには日本語吹き替え。特に主演を演じた竹内駿輔の演技は絶品。私には主演クリス・パインの演技よりも、竹内駿輔の演技のほうが印象深かった。まだ20代の若手声優だが、すでに大御所の風格を持つ凄い声優だ。
 実はこの作品、劇場公開時では日本語吹き替え版もかなりの数でやっていたらしい。興業側もこの作品は吹き替えで見た方が面白い……と判断したのだろう。この判断は正しい。まず初見は吹き替えで。面白かったら2週目で字幕……という流れをオススメしたい。


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