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墓泥棒が私の墓を掘り返したら髑髏が3つ出てくるかもしれない

髪を バッサリ 切ってから
人間関係も 躊躇なく
バッサリ切ってしまうようになった

…と、強く感じている。


その、状況を

肯定している自分と
否定している自分がいて

わたしの本体は

その葛藤で、今かなり
居心地が悪い状況にいる。

もうすぐ40歳になるというのに

まだ、自分の人格の統合に
手を焼いているのか 、

…と辟易する。

…変な人だと思われるかもしれないので
(まぁ、実際、私は変態だが)

あまり他人には言っていない事なんだけど

どうか、引かないで読んでほしい。
(って、誰に言ってんだか)



私は二十歳になってから数年
ある医者にかかっていた。

「多重人格」というのは
たまに、テレビでみるけれど

私もそれに似ている症状があって

医者からは
『同一性解離症』と診断された。

これは、一人の人間の中に
いくつかの人格があり

時々、人格に交代が起きるので
自分を自分がコントロールできていないような状況に陥ってしまう…と

そういうものだ。


性同一性障害ではないか
と思い、ジェンダークリニックを受診したが
その医者から
別のメンタルクリニックも紹介されて
地元のメンクリに通っていた。



『同一性解離症』または、『解離性同一性障害』

聞きなれない言葉だが

医者が言うには

「幼少期などに、大きなショックを経験した子どもがなりやすい」んだそうで

自分の心を守るため
心のなかに「もう一人の自分(別人格)」を形成し、その人格が、代理で生活を行う(ショックな場面に向き合う)ことで、つらい現実から逃避している…

とか、たしかそんな説明だった。


よくテレビでみるような

「人格が交代するとき意識がなくなる」とか
「出ている人格にあわせて声やしゃべり方が変わる」というのは私には無いが

考え方や、価値観、得意不得意、
好きな服装、好きな食べ物、苦手な食べ物、感情の触れ幅や、器用性 等、多くのことが

人格の変化にともない
変わっているというのは、自分でも気づいている。


例えば、主人格(優子)でいるときは
かわいい小物が好きで、
動物も好きだ。
基本的には男が恋愛対象で、
女の子同士でお話ししていても楽しいし、
女子の裸を見てもなんとも思わない。

トマトだって食べられるし
お酒もそこそこ飲める。

だけど、第2人格(優人)が表れると
女性物の服を着ることに抵抗があるし、
かわいい女の子を見ると鼻の下がのびるし、  
なんで自分は男と結婚してるんだろうと
大変残念な気持ちになるし
男友達と深い話をしたい!と思う。
どこかで女性という性別をめんどくさいと、思っている部分も少なくはない感じがする。

一人称も『僕』と言ってしまいそうになるのでそこは、気を付けるようにしている。

嗜好品も変わる。酒も弱くなるし
食べられないものがたくさん出てくる。   

優柔不断になり、感受性が薄くなる。 
この状態で映画をみても、イマイチ楽しめない。

…医者は、人格を『意識的に交代する方法』も提案してくれた。


化粧をしたり、女装(女の子の格好)をすると

優子の感覚で考えられるので
目が冴えるというか
しっかり物事が考えられる気がする。
いろんなことに配慮もできる。
常識的な価値観で物事を捉えられる。   

またビジネスをするにも、優子の脳がいい。
優人だと、どうも、幼稚っぽい。 
おそらく『我』を通そうとするからなんだろうけども。

でも逆に、いろんなことをイメージしたり
面白いネタが思い付く時というのは
優人でいるときだと思う。

力を抜くのがうまいのだろう。
ただ、こっちの方はバカなので
後先考えずに言いたいことを言って、やりたいことをやってしまうのだ。

だから、主人格『優子』に戻ったときに激しく後悔するも、後の祭…ということが多い。


…まぁ、そんなわけで
二つの人格…脳を交互に使い分けているのが

『三橋とら』の実態なんだけど

実は、もう一つ存在している人格があって

こいつがなかなか、厄介なのだ。



医者から、
子ども時代の話 を問われ
答えたのがこう。


「母から、

あなたはいらない子だった。
お腹にいたときに、殺そうとして、上野の山までマラソンしてもあんたは死ななかった。

あなたさえ生まれてこなきゃ
今頃お母さんは幸せだった。

あなたさえいなければ…

(ちなみに私は三人姉弟妹の長女だ。
両親はこどものとき離婚している)

…そんな事を、何回も母から聞かされていました。 


そのとき、わたしはヘラヘラ笑いながら

生まれて来てゴメンね~!
だって、生まれちゃったんだも~ん!

って言ってたんですよね」

って答えたら


先生が

「それは、辛かったですね」

と、言ったんだ。



私は驚いてしまった。


「それは、辛かったですね」と言われ


思わず、目をぱちくりさせてしまった。


 そして先生に質問した。


「え?

よその家でもそれが当たり前ではないんですか?

子どもを生みたいと思って、
子どもを生んだ親の方が、多いんですか?

子どもはみんな、歓迎されて生まれてくるんですか?

うちが普通じゃないんですか?」



先生は、これは重症だと思ったのか


「う~ん…まぁ、普通は…こどもには言わない方が多いですよね…いくらそう思っても…

まぁ…でも…親も人の子ですからね…」






そのとき





堰を切ったように






涙がボロボロ ボロボロ





溢れて流れ落ちた。








ああ、そうか!!!!


私は、やっぱり、いらない子だったんだ!!!





よそのうちの子どもは


親からそんなこと 言われたことがないんだ!!!





わたしは   不幸な子どもだったんだ!!!!!






…そこに



もう一つ 隠れていた人格が顔を出した。





もしかしたら、ずっとずっと

私の中にいたのかもしれない。




でも、その時はじめて、



わたしは それを 認識した。






人格C










これを仮に「ツバサ」と呼ぶことにする。

ドネガティブで、自己肯定感の欠片もない

そして、人を信じられず

一切、笑わないような

そんなやつ。




なぜ「ツバサ」かというのは

面倒くさいから割愛する。




ツバサは


もしかしたら


私の主人格なのかもしれない。



それを、社交的な優子や、面白いことが好きな優人がフォローしてくれているのかもしれない。




さて、話を最初に戻すと


髪をバッサリ切ってから

ツバサと 優人が

交互で表れるようになった。


髪は女の命

とか言うが


もしかしたら、それも一理あったのだろうか。




いままで優子が築き上げて来た信頼関係が、ツバサの発言によって一瞬で破綻する

という懸念が出てきた。


いや、でももしかしたら



信頼関係なんて


もともとなかったのかもしれない。



ツバサはツバサのままで



ありのまま、誰ともかかわらず



生きていくのも良いかもしれない。





ただ、私の中には

優子も優人も 存在しているのは事実だから

うまく折り合いのつくところを見つけ


今後も、生きていかなくてはいけないんだろなぁと



そんな風に思うのである。



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