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性転換で得られるものは大きいけど、分野によっては失うものの方がもっと大きい

わたしは、氷川きよしさんが好きだ。

どのくらい前からかは覚えていないけど

高校時代に演劇部の友人たちと

氷川きよしさんを話題に下校していたくらいだから

もう20年近く、ファンだ。

 

まぁ、ファンといっても

ペンライトを振り回し

コンサートに行って「きよし~」とやるような感じではなく

「氷川きよし…素敵だなぁ…キレイだなぁ…」

程度である…。


けど、浅草のでっかい「かねふく」の看板を見るたびに

いつも惚れ惚れしてしまうのは

やっぱりこの人の顔立ちが

わたしの好みだからなのだろう。


「LGBTQs」、いわゆる「セクシュアルマイノリティ」と呼ばれる人たちの中に

わたしも、氷川きよしさんも、身を置くわけだが

スタンド使いがスタンド使いとひかれあう様に

セクマイもセクマイとひかれあうものだ

というのはわたしの持論。

正確には、ひかれあうというより

「本能的にわかる」ものだ。


氷川きよしさんが「ゲイ」だという事に

早い段階で確信が持てていた。

氷川さんが男性とデートしていること、

彼が「ゲイ」であるということは

二丁目界隈では有名だったから。



新宿二丁目に通っていた時期、わたしは

「オナベ」だった。

今はオナベとは言わないらしい。

「トランスジェンダー FTM」と言うんだそうだ。


「性同一性障害」というワードが出だしたのは

ドラマ「金八先生」で上戸彩ちゃんが、その役を演じていた時。

わたしは当時、19歳か二十歳だった。

「お姉ちゃん、これなんじゃないの?」と妹から言われ

はじめは疑心暗鬼だったが、徐々に確信が持て

医者にいったら、男性ホルモンの注射を進められた。


月に二回

エナルモンデポーという男性ホルモン剤を

腕か尻に注射してゆく。

これが、隔週の楽しみだった。

やっと「本当の自分で生きられる!」

自分の中に、男性ホルモンが注入されるたびに

幸福を感じていた。



真っ先にかわったのは「声」で

二か月か三か月くらいで

今まで余裕で出ていたキーが出なくなった。


恵比寿のカラオケ店でバイトをしていた当時のわたしは

バイト終わりに一時間、カラオケをして帰るのが日課だったが

十八番の「なごり雪」の

♪ふざけ~すぎた~♪  の「す」の部分が

ある日、突然、出なくなった。

「風邪でもひいたかな?」

最初はそう思った。


日に日に、高音キーが出なくなる。

そのうち…声が…全くでなくなってしまった。


その時、私は23歳。

高い金を支払って

某大手芸能事務所が運営するタレント養成所に通っていた。

声が使い物にならなくなり

金をドブに捨てているみたいな感覚にもなった。

役者の講師からは「オマエ、芝居できないじゃないか、どうするんだその声」

と言われていたし

ボイトレの講師からは「・・・また今日も声が安定してないのね…」

と苦笑されていた。

が、ここにいる講師たちは

みんな「変わり者」ばっかりの人だから

わたしの「オトコ化」を楽しんでいる様にも見えた。

芸能界という場所にわたしは救われた。

みんな「変」だし「個性」を重視してくれる。

だけど、市場が「お茶の間」になると

視聴者は納得いかないだろうし

「プロ」だったら、もはや「命取り」だろう。

性転換なんて、金はかかるし

身体はボロボロになるし、

大変なもんなんだ。

時間と金と体力がないと、できない。


わたしの通っていた養成所は、卒業前に

「公開オーディション」なるものがあり

錚々たる有名事務所のプロデュ―サーの前で

一芸を披露するのだが

わたしは「女装」でなんか糞みたいなコントをした。

何をやったか、まったく覚えていない。


なぜわざわざ女の格好でオーディションに臨んだか

それは、事務所の社長から

「オナベに需要は無い」と言われてしまったからだ。


「ニューハーフ、オカマは笑いになるけど

オナベってまだテレビに出てないでしょ。

正直、どうやって扱っていいのかわからないのよ。

あなたが本気でタレントや役者を目指すなら、女性に戻りなさい」


たしかに、それはそうなのだ。

そんなことは、オナベをやっているこっちが一番よく

理解しているのだ。


長い時間かかって生やした髭のような「もみあげ」は

某事務所の社長に剃られ

わたしは自分のアイデンティティーを押し殺した。

「売れるためなら・・・」


でも、わたしには

一社からも声が掛からなかった。


一社からも声が掛からなかったのは

学校の中で、わたしだけだった。


講師の先生方が

「おまえは、才能はあるんだからあきらめちゃだめだ。

今はまだ時期じゃない。

遅咲きなんだよ、おまえは、大丈夫、信じろ!

あきらめるんじゃねぇぞ!!!」


校舎の階段に座って

泣きまくる「ぼく」の坊主頭を

グリグリ撫でまわしながら

激を飛ばしてくれた先生方。

あの時は、ありがとうございました。


「ぼく」は

それから何年かして

一人称を「わたし」に戻し

化粧をし、髪を伸ばし

どっからどう見ても

「女」

に化けて、ずっとずっと息苦しく

心に闇を背負いながら

化けの皮が剝がれないようにして生きてきた。


多分、そこでいくつかの人格が生まれたんだと思う。

今は、その姿も板についてきた。



・・・



ある大晦日の歌番組で

「イケメンさわやか演歌歌手」が

「わたしは、わたしらしく生きたい」といって

生足をお披露目し

「限界突破!」と叫んでいるのを見て


腹の底から、マグマが沸き上がって己の中で噴火するくらいの衝撃を受けた。


彼、もとい、彼女は、自分自身を

「キーちゃん」と呼称した。


彼女のインスタグラムは・・・

美しかった・・・!!!!!!!!


そうだ、そうだ、これでいいんだ。


わたしも、自分に正直に生きよう。


そう心で思ったら

もう止められなかった


一人で悩んでいた。

真オナベにも真女にもなれない「ぼく」

嘘で固めて、世間に合わせていた「ぼく」


声変わりは自分で決めて

自分でしたことなのに

いつしか「否定」してしまった。


「声はコンプレックス」と

どの口がいうのか。


バカヤロー、それが

じぶんの

「PRIDE」

じゃないのか。


わたしの声は、のどは、声帯は

どんなどきも裏切らず

わたしの心を

支えてくれた。


ポリープが出来た時も

風邪ひいて声が出なかった時も

ホルモン治療で変形した時も


「自業自得」で のどを傷つけ

一度は「死にかけた」けど

こうして話せるし、歌えるし、芝居もできるまでに復活した。


ホルモン治療に耐え、乗り越え

声を取り戻すことが出来た。

(もちろん、キーは低くなったが)


ありがとう、声。ありがとう、ノド。

これからも共に生きようぞ。


そして今、

氷川きよしさんのコンサートが延期になったというお知らせが届いた。

4月のコンサートに当選し、喜んでいた。

が、Kiinaさんは今、「声帯ポリープ」の治療で大変なのである。

延期は12月だった。

決して無理をしないでほしい。

わたしは…もう、コンサートを中止にしてもいいと思っているのだ。

ファンは淋しがるだろうけど

別にいいのだ。



同じく声帯ポリープで悩んでいるわたしである。

他人事ではない。


これはただの邪推であるが

もし、きよしさん…いや

Kiinaさんがホルモン治療などをされていると仮定して

それが原因で、「のどに異変が起きている」のだとしたら…

今は落ち着くまで安静にしていてほしい。


彼女がホル治療をされているのかは

わからないし、男性ホルモンとは違い

女性ホルモンであれば、そこまで声帯に

負担はかからないとは思うが・・・


しかしヒトの身体はホルモンにデリケートに反応するから

体調の微細な変化が起きるのは当然だ。


「性転換」を臨む際

アーティスト(表現者)の場合は

慎重になったほうがいい


今までの声が出なくなる。


歌手・声優・俳優など

「声」の商売をしている人は


まず、まず、慎重になるべきだ。


声(声帯)が変わってしまったら

もう、元には戻らない。


もし・・・これは、完全に「もし」な話だが

Kiinaさんが、女性化を目指す場合

「のどぼとけ」を取りたいと考えたら

もう「氷川きよし」の歌声は聴けなくなってしまう。


でも、「Kiina」の歌は歌えるだろう。

ただ、ノドは弱くなるし

「前に出せた音域が、出せなくなってしまう」ということが

声を使う表現者にとって

どれだけ屈辱的なことかは容易に想像できる。


だけど


「歌が好きなら、性転換しないほうがいい」


とは絶対に言わない。


「自分の生きたい性別になってから

そこから何を目指すか考える」



が、大事なんだと思う。



わたしは、先日、「商業紙芝居」を引退した。


それはベースに「女であること」が辛いということが関係している。


他人がどうこう言ってきても

本人が「つらい」と思えばつらいのだ。


もっと自然に呼吸ができるようになりたいから


一度、私は「紙芝居師」をやめます。


必要としてくれる人と、共に。

ゆっくり、呼吸して生きていきたい。


Kiinaさん、今はご自身の心と身体を一番に考えて

ゆっくり休んでください。

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