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『冒険の書〜AI時代のアンラーニング』を読んで

「なんのために教育はされるのか?」
「なんのために学校は存在するのか?」
この大きな問いについての探究の旅がまとめられている本に出会った。

この本には80の問いが書かれている。
その問いは、考えてもみなかったことや改めて問われるとじっくり考える価値のあるものばかり。
この中の問いを仲間内で語り合うことをするのも面白そうだ。
例えば、次のような問いがある。

  • なぜ学校の勉強はつまらないのだろう?

  • これからの時代を生き抜くために、何を身に付けるべきか?

  • 学校はいつから生徒に自らを服従させるようになったのか?

  • なぜ基礎から学ばないとダメなのか?

  • なぜ世の中にはルールが多いのか?

  • 子供たちは何で学校に行くのか?

  • どうして「遊び」と「学び」が分けられたのか?

  • 「能力」 とは何か? 「才能」とは何か?

  • 学力何か身に付けてどうするのか?

  • どうして夢中なまま大人になっていくことができないのか?

  • イノベーションとは何か?

  • 「自立 する」 とはどういうことか?

この本の特徴は、これらの問いに対して、著者がしっかりと探究していることだ。
そして、その過程を読者に共有してくれている。それも物語のようにわかりやすい書き方で。
探究の過程で様々な書籍や大学で学ぶような歴史的な教育学者の名前も出てくる。
この人って名前は聞いたことあったけど、こんな考え方や主張をしていた人なのか。と歴史を学び直せたこともこの本を読んで良かった点だ。

以下、僕が読んで考えさせられた箇所を共有しておきたい。

学校教育の現状と課題は?


「僕は教育の本当の問題は私たちが『教育サービスのお客さん』になっていることにあると思います。」
「特に、義務教育は『みんな公平に教育をしなければならない』と言う平等主義が悪い意味で行き渡っており、堅苦しくて融通がきかないものになりがちです。そして子供たちを教師の監視と言う指導の下に置いて学ぶ自由を奪っています。」
「囚人を監視するのに最も効率が良く、最も安上がりで優秀な刑務所、それがパノプティコンだ。いいかい。学校もこれと同じだ。学校は監視・賞罰・試験と言う3つのメカニズムの複合体だ。技術や訓練で、子供たちを秩序の中にはめ込み生徒が自ら復習するよう巧妙にできているのだよ。」
「僕は学校にいじめが生まれる。根本的な原因は、学校という場所は、同級生と生活や人生の深いものを何も共有しないにもかかわらず、長い時間、その場を共にすることだけは求められる場所であることにあると思います。」
「僕は思うに、子供たちはここまで追い詰められてしまう。1番の原因は『不登校』と、いう言葉そのものにあります。『不登校児童』とは『学校に登校しない子供たち』を意味しますが、その言葉の裏には『学校に通う事は、当然の義務である』と言う大前提があります。だから社会は学校に通わない子供を『不登校児童』と、名付け、不良やアウトサイダーのような扱いをするのです。」
「だが、お金を貯めるだけの銀行みたいに、ただ知識を貯めるだけの教育を受け、続けたら、彼らから『批判的意識』が失われ、自ら世界を変えることができなくなっていく。現実を変えることに挑戦する代わりに、ただ現場に順応するだけの人間になってしまう。私はそれを最も恐れているんだよ。」

→学校の課題を辛辣に表現している。しかし、納得してしまうところも多い。しかも、恐ろしいのが教師一人一人がこのような場をつくりたくてつくっているわけではなく、無意識にこうなってしまうように学校がデザインされているところ。その歴史的背景もわかった。

なぜ学ぶことがつまらなくなったのか?

「遊びが三つに分けられた悲劇。1つ目は、社会における『遊び』と『働き』の区別だといいます。(労働者)2つ目は、学校における『遊び』と『学び』の区別です。(休み時間の誕生)3つ目は『自ら進んでする遊び』と『受け身の遊び』の区別です。(お金を払って受けるエンターテイメント)」
「子どもたちはと言えば、ただ『いい学校に進学する』と言う目先の目標に向かって、ひたすら勉強させられることになりました。『何のために勉強するのとか言われても、よくわからないし、考えるのもめんどくさいから、とにかく目先の勉強に集中しよう」と言うのは、思考停止以外の何物でもありません。」
「人間のすべての活動は、本来好きだから、楽しく真剣にやっている。ただそれだけで充分なはずです。それなのに、『熱意や努力では、どうにもならない。才能や適性素質などを持っていないものは、いくらやっても無駄だ。』と言う考えが、人々のやる気を奪ってしまいます。」
「『評価』は、人間の活動の多様性を注ぐだけではなく、人間の成長の可能性を狭めることにしかならないと思うのです。」

→「学ぶ」とは本来人間にとってとても有意義で楽しいものだったと思う。しかし、様々な社会のシステムによってそれが捻じ曲げられてしまったのだろう。その原因を分かりやすく示してくれている。

これからの教育を考えるための足がかりは何か?

「私たちは無意識のうちに『常識』と言う箱の中にいるので、まず『自分たちは箱の中にいる』と気づくこと。そしてその箱から出て外から眺めてみることそうすれば、必ず新しいアイディアが見つかります。私たちに必要なのは、まさにこういう発想なのです。」
「思考には、『これまで積み重ねたものを捨てることで、新たな思考が生まれる』と言う作用が根源的に潜んでいるんだよ。よく考えてみるといい。」
「教育は、人間のあらゆる活動の中で、最も心が広いものであるべきです。『教育』と、いう言葉は『教え育む』という意味ですが、僕はこれを『学び合い、はぐくみ合う』と言う『学育』という言葉に言い換えたいと思っています。学び合い、はぐくみ合うと言う姿勢には、どこにも心の狭いところがありませんなんであれいつであれ、学びにならないということなど何もない。ただ学びたいと言う好奇心と成長したいと言う気持ちを持つ人であれば、誰が来たって構わない。そんな新しい学びの場を僕は作ってみたいと今思っています。人間は学んで成長していくから人間なのだ。そしてこの世に役に立たないものなんかないものの見方を変えれば、つまり自分が変われば、世界はいつだって変えられる。」
「核心をつく良い問いを立てること。」
「人に伝えたいことがあるのだけれど、言葉ではうまく伝えられない。だからその人にわかってもらおうと思って何か形のあるものをつくる。しかしつくることによって1番わかるのは実は自分であり、そして以前よりうまく相手に伝えられるようになる。またつくってみるとたくさんの『わからない』が生まれるわからないから、わかるためにつくる。このように『つくる』と『わかる』は輪っかのようにつながっているのです。」
「これまでの教育機関は『学ぶために通うところ』でしたが、僕はそれを真逆の意味に変えたいのです。正直なところラーニングは1人でもどこでもできます。しかしアンラーニングは自分だけではなかなかうまくいきません。アンラーンしようとしている人と交わる中で対話を通じて初めてできるものです。ですから、わざわざ集まる意味はアンラーニングのため以外にないと思うのです。」
「『社会が自分を変えるための場』であった学校を『自分が社会を変えるための場』へ意味を逆転させるイノベーションです。」

→これらの言葉をどのようにしてまずはクラスで形にしていくのか。その環境をつくってみて、わかってみて、新しい問いがきっと生まれる。この繰り返しをしていきたい。

最後に
今回この本を読んで多くのことを考えることができた。
特に学校を
「自分が社会を変えるための場」
というあり方として捉え直すという考えに深く共感した。
きっとその社会というのは、一人ひとりサイズが違ってもいいと思う。
自分。家族。会社。地域。世界。
それぞれ、自分が変えたいと思う場所を変えられる。
そんな自分でいられる手伝いを学校はできればいいんじゃないのかな。

僕は自分が勤務する自治体を
「楽しく学び続けられる教育現場に!」
というビジョンがある。
それが僕の変えたい社会。
そのことを改めて見つめ直せる本だった。


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