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文字屑拾い

 文字の屑を拾って売っている。文字の屑とは何かといえば、人が使いそこなって削除した端切れの文字である。メールや何らかの文章を作成するときに必ず出る、一旦表示させて削ってしまった文字たち、誤変換した文字たちのことだ。あるいは、本当に伝えたいメッセージを下書きして、結局は全部消してしまうという事態に、誰しも覚えがあるだろう。すなわち不要になった文字たちのことである。そういった文字の屑どもをまとまった数集めてきて、ひと山いくらで売却するのである。

 この出だしの一文を書くだけでも、すでに誤記が多発してかなりの文字を削った。例えば「不要になった」というのは「役立たずの」から修正した。したがって「役立たずの」はもはや自分にとって必要な文字ではないので、用無しとして売りに回すわけである。あるいはたった今も「誤変換」を「ご返還」と誤変換してしまったので、「ご返還」は端切れの言葉として売れるわけである。あとは本当に細かい単独の文字で、「ら」とか「そ」とか一文字だけの端切れは、さすがに売れない。「が勝って」と「ご返還」は抱き合わせにして売ることにして、ついでにたった今もこの一文で「ご返還」をミスした「ご変換」もセットにして売ってみることにする。

 売っているのは自分の端切れ文字だけではない。自分の端末上には、いくつかの場所から、削除された文字列が自動的に流れてくる仕組みになっている。もちろん文字屑排出者からは了解を得て流してもらっている。契約先は企業のほか、個人客もいる。個人のうちには作家や評論家の卵みたいな人もいるので、そういう端末からは割合気の利いた言葉が流れてきて、少しばかり高値のセットを組むことができる。この商売は単純に集めて売るだけではなくて、選別が必要で、言葉に対する感性も比較的大事なのだと自分では考えている。収集契約先は、最初はみな等しく、こちらに見られることを気にして、おかしな文字列が屑にならないように気を遣っている様子が見て取れるのだが、数日経てばそんなことに構っておれなくなるらしい。次第に乱雑な言葉が流れてくるようになる。そこからがこちらの商売の領域である。

 文字の屑なんてものが売れるのか、と言われるかもしれないが、世に好事家はたくさんいるもので、それが案外売れるのである。もちろん文字の「屑」なので、大量に売ったところでそれほどたいした儲けにはならない。しかし、ゴミから拾った言葉で芸術家が芸術に練り上げるように、世の中には、文字の屑から美文やこなれたキャッチフレーズを練り上げる人種がいるわけだ。もっともお得意様になるのは詩人である。そのうちには俳人や歌人が当然含まれるし、コピーライターも顧客にはいる。クズの山から美の意匠のかけらを取り出す名人である彼らにとってみれば、一度意識の端に上って瞬間的に消えてしまったそれらの言葉こそ、人間の本質にせまるための「宝の山」なのである。またあるいは、研究者に向けて売ることもある。消えた言葉にこそ人間の潜在意識がうんぬん、とか、膨大な分析を行って傾向性をうんぬん、といった研究が成り立つのかどうだか知らない。プライバシーの関係から収集元を明かすことができないので、客観的なデータ検証に適したものかどうか知らないが、なんにせよ科研費なんやで高値で買い取ってもらえるのだから、卸先としては上得意である。

 それに、自分としてはこれは生まれずして散った文字たちの供養でもある。あるいは行き先を失って彷徨う文字たちに再生を与える機会でもある。だからボランティアや宗教的儀式に近い感覚に陥るときもある。『古事記』においてイザナギとイザナミの最初の子供であるヒルコが「良くあらず」として流されてしまったごとく、不完全な言葉たちがどんどん捨てられる。とはいえ、供養や宗教儀式などと言っていくら美化してみても、所詮は使い捨てられた文字だから、醜いネガティブな言葉が多いのは残念ながら事実であり、いささか気が滅入る時はある。特定個人に対する罵詈雑言(これはこのところ増えるばかり)はもとより、「景観を壊して利権を得ようとするカス野郎どもはどこでふんぞりかえってやがる」とか「動物を殺す人間は万死に値する」といった、社会への怨嗟あるいは個人的憤懣を独自の正義感に転化したと思われる言葉や、「ばかやろうばかやろう」みたいな単なる罵倒の羅列も多い。卑猥な言葉もあるにはあるが、罵倒語に比べると案外少ない。そしてもちろん、半分以上は意味不明の文字列である。もっとも多いのは「、」とか「。」とか「-」とかの本当の端切れで、文字列として復元できないそれらの端切れはリサイクルに回される。つまり新たな単体の文字を構成する一部として使われることになる。

 ネガティブな言葉が多いと言ったが、当方が集めているのは使われなかった文字たちであるから、むしろ否定的な言葉で溢れているほうが、かえって健全だともいえる。時折流れて来る極めて前向きな、希望に満ちた言葉たちに直面すると、なんとも言えない気分になる。それらは使われなかったのであり、摘まれた可能性である。「あなたが好きです」という言葉が流れてきたこともあるし「今日も元気です」とか「幸せな日だった」という言葉が見えたこともある。似たような言葉が何度も連続して流れてきたのであれば、単純に言い換えを工夫しているだけだとも推理できるが、たった一度きりしか流れて来ないそれらの言葉たちを理解しようとするとき、私の気分は少し落ち込む。商売上のマイルールとして、そういう言葉たちは売らないことにしている。あまりに紋切型でストレートな言葉はかえって売れないという事情もある。売らずにどうするかといえば、自分の作品として活用するのである。なにしろ私は物書きでもあるのだ。もちろん、そんなことだから、いつまでも作家としては売れないままである。





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